世界一周家族旅行(米国〜イタリア〜ギリシャ〜モスクワ〜日本〜米国)で

イタリアとギリシャへ

1984年夏

 

Italy & Greece

During an Around-the-World Trip

(U.S.-Italy-Greece-Moscow-Japan-U.S.)

in Summer 1084

 

  

内容 The Contents:

世界一周計画... 1

イタリア.. 1

ギリシャ.. 1

旅の後で.. 1

 

 

 

 世界一周計画

 

 1984年、私がニューヨーク州ホワイトプレインズで働いて、アーモンクに住んでいた時に、妻が土地の旅行会社と話していたら、パンアメリカン航空で飛行ルートをうまく選ぶと、日本への往復料金で世界一周ができることを発見した。飛行ルートをうまく選ぶとは、常に西(あるいは東)へ飛ぶことだった。2・3か月苦労して旅行計画を作り、毎年一回故郷へ帰る費用を会社が出してくれるホームリーブの時、その年の7月に一家でニューヨークのラガーディア空港を飛び立ち、イタリア、ギリシャ、日本でそれぞれ一週間を過ごす世界一周の旅に出た。

 

イタリア

 

イタリアのレゾート地・ストレーザ

まずイタリアのミラノへ飛んで、そこでドゥオーモと呼ばれるミラノ大聖堂、ガレリアと呼ばれるショッピングセンター、サンタマリア・デレ・グラツィエでダヴィンチの名画「最後の晩餐」を見た。それから、レンタカーを借りて、北のマッジョーレ湖のほとりにあるストレーザと呼ばれる保養地で2・3日泊り、そのあたりのコモ湖のクルーズでナポレオンがイタリア遠征の際に訪れた城がある島を訪ねたり、イタリア・アルプスの名山モンテ・ローザにロープウェイで登ったが、寒くてロープウェイの終点からすぐ引き返してしまった。

 

そこからミラノへ戻り、急行列車でローマへ移り(確かフィレンツェへは寄らなかった)、ローマ駅からホテルへのタクシー運転手が悪で、ホテルのすぐ前を「ここは一方通行だからホテルへ停められない。」というようなことをイタリア語でいって大回りをしたので、私は怒って、ホテルで荷物を下ろして家族もホテル従業員の後ろへ回ったことを確認して、「No tips for you!」とどなってチップは当然払わなかった。ローマではトレヴィの泉、スペイン広場(映画「ローマの休日」の中でオードリ・ヘップバーンがグレゴリーペックとデートした所)、コロッセオ(円形競技場)などの観光ルートを巡った。コロッセオは当時猫の捨て場になっていて、気持ちが悪かった。バチカン市にもいって、ミケランジェロの名画「最後の審判」などもみた。さらに日帰りツアーで、アウトストラーダ(高速道路)をナポリ方面へひた走り、船でカプリ島へ行き、ボートに乗って「青の洞窟」を見たりした。

 

ギリシャ

 

 そこからさらにギリシャのアテネへ飛び、アクロポリスにあるパルテノン神殿などを見た。当時私は大学院時代にアメリカ・ヨーロッパではやっていたギリシャサラダ、ムサカ、ギリシャコーヒーなどのギリシャ料ブズーキ音楽などが大好きで、いい時を過ごし、ギリシャ語で「ロガリアスモー!」(お会計!)などといえた。古代ギリシャでスパルタ軍がペルシャ軍と戦って全滅したテルモピュライの戦い地はアテネから遠くて行けなかった。

 

ギリシャ・ミコノス島

アテネのピレウス港からフェリーでエーゲ海キクラデス諸島ミコノス島に行ったが、青いエーゲ海をイルカに追いかけられながら進み、古代ギリシャ詩人のホメロスの「オデュッセイア」の中の一節を思い出した。ミコノスは当時米国では観光スポットとして有名で、そこに何日か滞在して、ヌーディストビーチの隣の家族向けビーチで泳いだりした。帰路にはキクラデス諸島の中心にあるデロス島へ上陸して、ギリシャ人、ユダヤ人、ローマ人が町を築き、いまは無人島になっているのを見た。ピレウス港へ帰ってくると土曜日の午後で、タクシーが拾えなくて、一家で旅行トランクをガラガラと引いて歩いて、苦労してアテネのホテルへいった。

 

アテネからはモスクワの飛行場を経由し、私は始めてソ連に寄るその機会にマトリョーシュカと呼ばれる民芸品を買った。東京に着いて、自宅でしばらく休んで、そこから太平洋(多分アンカレジ経由)・アメリカ大陸を越えてニューヨークへ戻り、無事3週間以上の世界一周旅行を終った。

 

旅の後で

 

 もう30年も経って、この世界旅行は私もよく覚えていないが、最近子供たちへ聞いたら、私がローマでタクシー運転手と口げんかをしたこと、ミコノス島がよかったことなども結構よく覚えていた。長女はこの旅行でキャベッジ・パッチ・キッズ(人形)を買ってもらうのに成功したそうで、次女はローマ時代にコロッセオで奴隷たちが戦ったと習っていたので印象深かったという。

 

 私は1960年代前半に学生時代を過ごしているので、当時建国間もないイスラエル、軍事政権から民主制度に移行したギリシャ、宇宙開発で先行していたソ連は、我々の「希望の星」に見えた。その後歴史は進み、希望の星は輝きを失ったようだ。

 

以上

 

 

Created on May 26, 2017. Updated May 26, 2017.

 

Return to Europe Page

Return to Here and There in the World

Return to Logos Home Page