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アジアの目次

Bali Island, Indonesia 1991

インドネシアのバリ島 1991

台湾に滞在中、5月ごろ家族でバリ島南端・ヌサドゥアにある「地中海クラブ」のリゾートへいったもの。宿舎・プール・海岸などすべてそろっているリゾート地だったので、途中ジャワ島で川下りをしたり、ジャワ島のボロブドゥール仏教遺跡へ見たりした以外は、バリ島を見たとはいえない。

Bali Island 2010

バリ島 2010

中国の旧正月休みの南方のツアーをさがしてくれと大連の旅行業者に頼んでいたら、バリ島ツアーをさがしてくれて、最初上海経由と聞いていたのが、蓋を開けてみたら韓国・仁川空港経由で、7泊8日のツアーだった。ホテルはデンパサール空港から少し南の、「南湾」(とすべて中国語しか知らない)を隔てた東側(ロンボク海峡側)の海岸のホテル。
  1. お昼に大連〜ソウル、夕方にソウルを出発、深夜にインドネシアバリ島のデンバサー空港着
  2. 南湾内の海亀島、西海岸のタナ・ロットというお寺
  3. 午前中はバリ・ダンス、ろうけつ染め、木工品展示場、午後はバトゥール山近くのキンタマニ、ティルタ・ウンプルというお寺
  4. 午前中はアユン川下り、午後からは自由行動になり、ホテルのプールで泳ぎ、夕食は街の日本料理店、南の夜の星空
  5. ホテルのプールで泳いだり、街の見学、夕食は街のKFC
  6. ホテルのプールで泳いだり、街の見学、夕食はプールサイドのイタリア料理
  7. クタ・ビーチ、街の百貨店、クタ・ビーチで夕日、深夜にデンバサール空港を出発
  8. 早朝にソウルへ到着、お昼にソウル〜大連
無線LANでインターネットが使えたので、バリ島関連のページを作ったり、またバリ島の山と海、街をいろいろ見てよかったが、雨季(10月〜3月)だったので毎日雨に降られた。 (2010.02.12.)

Cherating Beach, Malaysia 1992

マレーシアのチェラティン・ビーチ 1992

台湾から日本へ帰って翌年、1992年(3月28日〜4月2日)に一家でマレーシアのチェラティン・ビーチ(Cherating Beach)にある地中海クラブのリゾートへ、以前のバリ島に続いていったが、東シナ海の日の出がよく見えるきれいな海岸だった以外はよく覚えていない。地中海クラブは子供が小さい時は安全でいいが、そのまわりの土地を見ないという欠点があり、その後いっていない。

Singapore on the Way back from Australia 1989

シンガポールへ寄る 1989

勤めていた会社の社内オフィスシステム担当者のアジア太平洋地区の会議があり、会の前に香港とシンガポールでそれぞれ一泊して遊んでから、シドニーへ行きました。香港では(詳しくはここ。)ケーブルカーに乗ったり、プラネタリウムを見たりして、シンガポールでは屋台料理へ寄り、プラネタリウムも見て、セントサ島でシンガポールの歴史館を見たりしました。この歴史館には第2次大戦中の日本軍の歴史場面があり、私はこういうのは始めて見るので、非常に印象的でした。シドニーでは会議が主でしたが、コアラのいる公園へ行ったのと、夜ホテルのプールで南十字星を眺めたりしたのを覚えています。このシンガポール訪問について、詳しくはここを見よ。

A Pilgrimage to Israel 2014

See its details.

イスラエル巡礼 2014

日本からのツアーに乗って、2週間弱のイスラエル巡礼(別ページ)に行き、地中海岸・ガリラヤ湖・死海・アカバ湾・エルサレム・テルアビブを訪問してきた。

A Trip to Uzbekistan 2013

See A Trip to Uzbekistan in Chinese, English,and Japanese.

ウズベキスタン旅行 2013

 またはウズベキスタン旅行 2013を日英中で(別ページ)

以下の旅行記は、私の週間日記からで、前書きが「先週金曜日から、いまウズベキスタンの旅行(ユーラシア旅行社のツアー)にきている。中央アジアへ私は初めてくるので、この数週『「地球の歩き方』以外にいろいろな本を読んできた。」とあるので、この旅行中に書き始めたもの。(2021.01.29.)

旅行準備:アミアン・マアルーフ著『サマルカンド年代記、「ルーバイヤート」秘本を求めて』(Amin Maalouf, "Samarcande", 1988)を図書館から借りて読み終わった。ウズベキスタンへ行ってサマルカンドへも行くので借りてきたもので、レバノン生まれのアラブ系フランス人が書いた歴史フィクション。11世紀に活躍したオマル・ハイヤームがサマルカンド・イスファハーン・ネルヴで詩集『ルーバイヤート』を完成して、その手稿が失われたのち、18世紀後半にパリで出現し、フランス系アメリカ人がイラン立憲革命後に入手して、それを持って豪華船タイタニク号で渡米する過程で再び失われる模様を書いて、まずまずだった。 (2013.05.08.)  東京へ行ってついで...東京駅で下りて、銀座通りの丸善本社で大連のタンザニアからの留学生がヘミングウェイの本『The Snow of Kilimanjaro』(キリマンジャロの雪)を見たいといっていたのでそれを見つけて買って、旅行ガイド『Lonely Planet, Central Asia』(2010年)は丸の内本店の方にあるというので、そこへ行くのは初めて行き、この本を入手できた。このガイドブックにはもとソ連邦の中央アジア5か国以外にアフガニスタンも載っていて、ウズベキスタンについてはカリモフ大統領の強権政治と少数民族への弾圧、南部のテルメスを通してのロシアとアメリカのアフガニスタンへの侵攻などが生々しく書いてあり、思わず今度の旅行の該当箇所を読み終えてしまった。 (2013.05.29.) あとは『地球の歩き方、中央アジア』(最新版)をワイフが借りてきていたので、これを持って旅行へいった。

1日目:東京からタシュケントへ。朝4時起きで、6:22大船発の成田エクスプレスで成田に着き、25人のツアーで(男性7人)、みな集合時間より早くに着いている。10:30にウズベキスタン航空で出発して(ウズベキスタン産のワインは以前の日本の赤玉・白玉ポートワイン風で正直まずかった)、現地時間15:00にタシュケント飛行場へ着いた。タシュケントまで9時間の飛行は北京、包頭、ウルムチの上空を通り、圧巻は2つの沙漠を見下ろせて、時々雲が出てきた以外は、こんなに雲がないことは珍しいという。

2つの沙漠というのは、まず包頭のあたりから雲が晴れて大きなゴビ砂漠が延々と3時間くらい続き、右側に雪をいただく山脈が見えるので、空いている席を探してカメラを持って移動する。(スチュアデスからは写真を撮ってはいけないと注意を受けるが、私は規律人ではなくて自由人だ。)沙漠を横切る道路や石油の採掘所・輸送管らしきものも見える。次にウルムチの大きな町が見えて、このあたりからは左側に雪をかぶった天山山脈が現れ、そこを横切って山脈の南側へ出て飛行して、左にタクラマカン砂漠を2時間くらい見る。それから中国・ウズベキスタンの国境を越えて19:30(現地時間15:30)には、日本の地方の空港みたいなタシュケント空港へ到着。気温は33℃で暑い。通関などに一時間くらいかかり、特別バスで今回のガイド(Asia Adventure社のターニャ)が迎えにきていて、15分くらいで市内のホテルへ到着。空港には一般売店がなかったが、ホテルの売店でやっとウズベスタンの地図(6千スー)を見つけて訪問先を確認できた。ホテルは国立劇場のすぐ前にあり、19:00からの夕食前に、戦後シベリア抑留日本人が建設して1966年の大地震でも壊れなかったことで有名なこの建物を散歩がてら見にいった。 (2013.05.17)

2日目:アクサルサイ渓谷。朝早く起きてホテルのロビーでインターネットを使う。7:00の朝食後、バスでチャルヴァク人造湖へ向かい、途中日本人添乗員とロシア系地元ガイドからウズベキスタンについての説明があり、植物学者のイヴァン先生(Ivan Maltsev)も乗り込んできた。この人造湖のそばでカリモフ大統領の別荘、大統領の娘の別荘のそばを通り、赤いポピーの花が沢山咲いている丘で休憩。人造湖へ流れ込んでいる3つの川の一つ(プスケム川)の橋のたもとへ流れ込んでいる小川(アクサルサイ川)を遡って、天山山脈の一番西側の雪山に向かって散歩する。カンカン照りの暑い日で、汗びっしょりになる。河原で持参の弁当を食べて、さらに雪山が見える所までいって、折り返し、暑さと汗で疲労困憊して下山。バスで湖を一周するように人造湖のほとりのホテルに着いて、シャワーを浴びた。(2013.05.18.)

3日目:チムガン山をトレッキング。前夜は大雨で雷も鳴り、朝食後、曇り空の下を湖畔のホテルを出て、チムガン山脈の別荘地帯を抜けてクンベル山(2100m)へトレッキングに向かう。そこのアジアで一番長いリフト(3.5q)が頂上の雨で動いていない。別荘地帯へ戻り、チムガン山を見上げる谷をトレッキングして、雪解け水であふれる川を2度ほど渡り、途中イヴァン先生の解説でチューリップの原生種を観察しながら残雪地帯へ達して、弁当。風が寒い。小石は多い山道で下山する時に不覚にも柔らかい土を踏み外して、右手のカメラを地面に置いて、顔面も地面につけるようにして倒れてしまったが、大した擦り傷でなかった。クンベル山のロープウェイが再開したというのでそこへ駆けつけて少し待ったが、やはり再開できなくて別荘地帯へまた戻り、そこの前山へロープウェイで登ったら(片道5千スー、往復7千スー)、360度抜群の眺めだった。バスで2時間くらいかけてタシュケントへ戻り、チムール広場に面したウズベク・ホテルで夕食、ひとりの参加者が誕生日で、それを祝った。8時過ぎに、2日前に泊まったホテルへ着いた。(2013.05.19.)

4日目:ザーミン国立公園トレッキング。5時半に起床して、週間日記をインターネットでFacebookへはアクセスできたが、Mixiへはアクセスできなかった。8時に出発して、国道M39とM43を走ってザーミン国立公園へ向かい、途中で野外トイレをする。ザーミンの町を過ぎて、大きなザーミン貯水池を見下ろす所で一休み、タジキスタン共和国との国境にあるパミール高原の大きな山々が遠くに見える。ザーミン国立公園の入口に大きなサナトリウムがあり、13:20にその近くのチャイハナ(簡易レストラン)でほぼウズベク式の昼食。14時半にはそこから(標高1200m)歩いて出発し6kmのトレッキングへ出発。トランクはバスに残し、もうひとつの荷物は別に(翌日の帰りに通った道から)馬で運んでもらう。

みんな元気で15:50には標高2200mの峠まで登り、眼前に土地の人がトゥルクメン山脈と呼んでいる山々(向こう側はタジキスタン)を見て休憩して、そこから谷のずっと向こうのキャンプ用のテントが遠望できる。あとはおおむね下りで、雨であふれた小川を渡り、ほぼ平地を歩くような感じで18時には広い尾根のテントへ到着。それぞれ2人用・1人用テントに入って準備。19時に大きな黄色のテントに集合して夕食がなかなか始まらないと思ったら、大雨が降り出し、しかも雷も轟き、生きた心地がしなかった。幸いテントは頑丈で雨が漏らず(ドイツと合弁のロシア製)、ワインとウォツカで大騒ぎして待つうちに、20時少し前には夕食も始まり、雨の合間を縫ってテントに帰り、21時過ぎに就寝したが、テントに当たる雨の音でよく眠れなかった。(翌日ガイドから聞いた話しでは、我々の就寝後30分くらいで空が晴れて星空がきれいだったという。) (2013.05.27.)

5日目:ザーミン国立公園からサマルカンドへ。雨は朝まで続き、7時少し前にほとんど上がったので起床、少し寒いくらいの中でロシア式と日本式のラジオ体操。7時半に朝食(丸い暖かいナンにバター、ヨーグルトなど)、8時に出発して、雨で道がぬかるので付近の散歩は止めて、ひたすら下る。9:45に公園入口近くのバスに到着し、バスで公園を出て、サマルカンドへ向かう。途中草原に羊やヤギや牛を飼っていて、菜の花やその他の花などもあったので、時々止まって写真を撮ったり、野外トイレをする。ジジャクで国道M39に入りひたすらこのタシュケント〜サマルカンドへの道を直進して(鉄道も並行、三蔵法師は行きも帰りもこの道を通っている)、12:40には道路わきの「カボブホナ」(Kabobxona)とあるチャイハナ(軽食堂)で串焼き肉中心の昼食、隣りはドイツ人グループ。そこを出るとすぐ「チムールの門」と呼ばれる岩山が道路に張り出して門のように見えるところを通り、またひたすら国道を行き、17時過ぎにカラダリア川を渡るとすぐシルクロードの大中継都市・サマルカンドに着いた。

ホテルは新市街で中心からも少し離れたところで、みんなゆっくりシャワーを浴びて、私らは大きな交差点(ウルグベク通りxベルニー通り)向かいのオリエント・スーパーで物色したが興味あるものはなくて、隣の携帯電話の店の地下でウズベキスタン音楽CDを探したら、CDにありったけの伝統的および現代風の歌を入れてくれて4千スー(200円)を払った。夕食は19時少し前からレギスタン広場のレギスタンという店でハンバーグ風などが出てあまりよくなかったが、サマルカンドのPulsarビールと初めに出たラグメン(ウドン風)はよくて、音楽大学の学生4人が演奏する伝統音楽演奏(太鼓・小型のチェロ・横笛・5弦琴)付きで、隣りの伝統的な座席に座ったアメリカ人家族がキルギスのビシュケクに住んでいるそうで写真を撮ってくれたりして、21時少し過ぎにホテルへ帰り、パソコンをいじって22時過ぎには寝た。 (2013.05.22.)

6日目:サマルカンド観光後、日本へ帰国。朝5時半に起きてすぐ、インターネットでMixiへやっとアクセスできた。7時の朝食後ゆっくりして、9時にバハディールさんが運転するIvecoバスに代わって出発した。まずチムールの寵愛した妃の名を冠したビビハニム・モスク跡に寄り、ここは前だけきれいに復元されていて、内部や裏はひどい状態で、もともと急いで作ったもの。近くのシヨブ・バザールはきれい過ぎて気に食わなかったが、干し果物やサマルカンド・ナンをいくつか買った。次にウルグベク天文台跡を訪れて、チムールの孫にあたるウルグベク王は戦争が嫌いで、ここで星座表を作ったり、1年を現在分かっている365日6時間何分何秒と8秒しか違わない正確さで推測したという説明が博物館にあった。残っている天文台の基礎に、半径30mくらいの半円形の巨大な六分儀(sextant)が復元されていて、六分儀といえば大航海時代に船上で使われた携帯型の六分儀しか知らなかったので参考になった。この近くのもとのサマルカンドの都市があったアフラシアブの丘とそこの博物館にはソグド人の壁画があるが、あいにく停電でうまく見えなかった。

昼食は市内のムバルさんの家の中庭で取って、サムサ(ロシアのピロシュキに近い)とピラフが出た。15時少し前にチムール廟へ着き、これはなかなか真面目な廟でチムール一族の墓があり感心した。次にレギスタン広場へ行き、3つのもとメドレセ(神学校)があり、ここでいろいろなお祭りをやる中心広場で、この日は2年おきに8月20日に行われる世界アジア音楽祭の入場行進を練習していた。16時少し前からシャヒジンダ廟に着き、ここは女性も含めたいろいろな人の廟が様々な形で残っているところで、これを最後にホテルへ戻り、麺類・梅干し・タクアンなどの日本食風と土地の料理が混じった夕食で、この旅行社の慣例だそうで、あまり感心しなかった。ホテルの部屋に添乗員さんが毎日1枚の手書き絵日記を書いてコピーを入れてくれて、これもこの旅行社の慣例だそうで、感心した。一日快晴だったので、夜の星空を観測にいったが、上弦の月と大都会の灯火で、星空は観察できなかった。 (2013.05.23.)

7日目:タシュケントへ戻り観光。朝8時にサマルカンドのホテルを出て。バスはひたすら国道を300q走りタシュケントへ戻る。国道M39をそのまま走るとカザフスタンをかすめて通るので途中で少し迂回して、トイレ休憩で出遭ったフランス人グループの一人と話したら、ヒヴァ(町の城壁が残存)、ブハラも回って来たという。シルダリア川を渡り、タシュケント市内へ入ったところの路傍のラグマン(うどん、中国語で拉条子)がおいしいレストランで鶏肉のシャシュリークとウォツカと一緒に昼食。そこを出て、14時半には終戦後シベリアから抑留されてここで亡くなった79人の日本人の墓地@ヤッカサライ通り(アライ・バザールの向かい)を見て(他の場所の墓地の表示もあった)、15時半には市内に入りウズベキスタン国立歴史博物館(3Fのウズベキスタン南部のテルメズの仏教遺跡、4Fの20世紀の展示が面白かった)を見る。そこの斜め向かいにある、日本人抑留者が建設にたずさわったナヴォイ国立オペラ劇場(設計者はレーニン廟も設計したロシア人)を外から見て、そこから歩く途中で蚤の市を見て、チムール広場へ行き、これで市内観光は終わり。

夕食は「Season」と書いたコーヒーショップ風の所で、生ビールだけがおいしい食事をした。面倒をみたウズベキスタン旅行社から小さな陶器製おじいさんの人形を各自もらい、ザーミン国立公園の高所2200mまで登った証明書をもらい、うれしくてそれなりに盛り上がった。19時少し前に空港へ着き、通関後、ウズベキスタンの貨幣・スムは外貨に交換できないのですべて簡単なものを買って使い果たした。空港のインターネットは遅くて、メールさえ取れなくて、そこで出会った40人の日本人団体はひとりの添乗員でトルコからの帰路にここで乗り換えているだけだそうで、その勢か飛行機内はほぼ満員だった。22時少し前出発のウズベキスタン航空が30分遅れて出発し、8時間半かけて成田に翌朝10時に着き、JR普通列車のグリーン車で家へ帰った。 (2013.05.24.)

ウズベキスタンはカリモフ大統領が強権で20年も支配する国で、もとソ連邦の他の中央アジア4か国(カザフスタン・キルギスタン・タジキスタン・トゥルクメニスタン、言葉はペルシャ語系のタジキスタンを除いてすべてチュルク語系統)との間でいつも民族騒動・水利権問題があり、街の要所・要所、12ある州の各州に入る際、大きな町に入る際に必ず警察の検問があり、まるで警察国家のようだった。いろいろな民族が雑居しているので仕方ないとも言えて(例えばサマルカンドは住民数から言えばタジキスタンに属すべきのようだ)、でも現在は大きな騒動はなくて安全に見えた。人々は我々に必ず「コンニチワ」と声を掛けるし、必ず一緒に写真を撮らせてと言って人懐っこい。年配の人たちやレストランなどではロシア語の方が英語より通じて、私は練習も兼ねて「ヴィノー・クラースノエ」(赤ワイン)などとロシア語で押し通したが、子供たちは英語を習っているらしく英語で話しかけてきた。日本車はほとんど見かけず、新車はほとんどがDaewooかGMシボレーの小型車で、フェルガーナのアサカにGM/Daewooの工場ができて、輸入車関税は100%だという。一度だけ昔懐かしいロシアのジグリ(海外ブランドはLada)を見かけた。バスはHigerバス(中国の金龍バス)とIveco(イタリア)を使ったが、日本のいすゞ自動車が多分この地方の習慣で多額の賄賂を払って近々生産を開始するらしい。第二次世界大戦中にソ連の航空機産業などあらゆる工業がこちらへ引っ越したようで、技術力は基礎ができているようだ。携帯電話サービスの多くはBeeline(ロシア)、たまにUcell(スェーデンのTeliaSonera)の宣伝を見かけた。お土産はチムガン山から下りた所で買った蜂蜜、国立公園へ行く途中に道端で買った小さな丸い塩辛いチーズ(Kurtと呼ぶ)、サマルカンドで買った干し果物類、大きなベーグル風のナンは3つ、ウズベク歌謡の手製CD。

この旅行を通して、中央アジアの自然と歴史と文明を直接多少触れることができた。私は世界遺産などという税金の無駄遣いには一切興味がなくて、旅行にはその土地の自然に触れて、できたら汽車の駅へ足を運んで庶民の生活にも触れて、また大学構内へいってみんなどういう教育を受けるのかに思いをはせるのが好きなのだが、このツアーでは駅や大学へは行けなかった。

注1:中央アジアの国々の地図は世界地図帳でも詳しく載っていないが、ウズベキスタンについては当地のおもなホテルの売店で英文カラー地図「Uzbekistan Tourist Map」(State Scientific Industrial Enterprise "Cartographiya"、2008年発行、6千スー=2013年5月現在)を売っており、これは開くと縦68cm x横 88cmになり、表面は12州と1自治州が色分けされて州都の位置も書かれ、おもな道路(例えば国道:タシュケント〜一時カザフスタンに入り〜サマルカンドはM39と旧ソ連邦時代の番号を記載)、川と支流と湖水、山脈と支脈なども記入されていて、裏面はタシュケントとサマルカンドが一般の旅行ガイドブックの地図より広く書かれていて便利である。

注2:ウズベキスタン旅行から帰った日と次の日は、時差ボケのため家でブラブラして、Wikipediaのウズベキスタン関係を新規作成、更新をした。新規作成したのはプスケム川、アクサルサイ川(英語版も)など。更新したのは、サマルカンド(国立外国語学院など)、ザーミン国立公園(位置と外国人の訪問可能)、チャルヴァク湖(3つの支流)、ナン(サマルカンド風ナン)、タシュケント・サマルカンド高速鉄道など。 (2013.05.25.)

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Prepared by Yoshi MIKAMI on November 30, 2013. Last update: Nov. 1, 2013 / Jan. 29, 2021.