Japan: 4. Chubu Region - 日本: 中部地方

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4. Chubu Region

4. 中部地方

Yamanashi Prefecture

Fujiyoshida - Mt. Fuji - Subashiri (1958)

山梨県

吉田〜富士山頂〜須走 (1958)

Mt. Kushigata (1990)

櫛形山ハイキング (1990)

アヤメについてBBSでこうした議論があった翌年に、櫛形山のアヤメ平(標高1900m)に仲間(安藤敬夫、及川欣也さん)と3人で登ってきた。車を運転した安藤さんが、当時のマニュアル・シフト車のシフトし過ぎと登山で足を痛めたというのを後でお聞きした。(右の写真は安藤敬夫撮影、コダック・リバーサルフィルム使用)(2019.07.12.追記)

Climbing Mt. Senjoh 2002

仙丈ヶ岳へ登る 2002

2002年夏の終わり、南日本アルプスの山梨県と長野県の境にある千丈ガ岳(3033m)へ妻と登った。
  • 初日は:千丈ヶ岳へ藤沢を出発6:18-1950円->8:46(130km)中央高速道路の甲府昭和-->10:00(172km)広河原10:30-往復1100円22人乗りバス->11:00北沢峠-->11:18大平山荘--> 13:10昼食13:46 --> 14:40馬の背ヒュッテ, 17:00夕食(カレーライス), 夏の星を見たあと、20:00消灯
  • 次の日は:4:00起床(外で冬の星と黎明を見る),5:00出発-->6:16仙丈小屋2880m-->7:00仙丈ヶ岳3033m7:45-->9:00小仙丈ヶ岳-->11:00北沢峠-*7:35,9:45,(11:15),13:15,15:10->広河原12:35-夜叉神峠で休み、工事中ということで、中央高速道路を大月で出たので、帰りが遅れた->18:20自宅 (2002.09.01.-02.) 

Mt. Ashiwada (2013)

河口湖・西湖を見下ろす足和田山へハイキング (2013)

先週は火曜日の他に木曜日にも山登りをすることになり、ワイフと神奈川県の山・山梨県の山(山と渓谷社)を調べて、結局富士山麓の西湖付近の足和田山(1355m)へ登ることにした。朝7:15に車で家を出て、西湘バイパス(250円)・箱根新道・国道138号・東富士自動車道(500+520円)で小田原・御殿場経由で、富士山北麓の鳴沢村一本木へ着いて、登り口が分からず少しウロウロしたあと、10:15には東海道自然歩道の看板があるところから登山を始めた。すぐはきつい上り坂で、尾根にたどりつくと河口湖が見えて、富士山は雲に隠れて見えず、11:35には五湖台(足和田山頂上)に着いて、途中の御殿場のセブンイレブンで買ったオニギリ弁当。眼下に西湖見えて、向かいに御坂山地を望む展望台がある。

昼食後12:10に出発して、途中林越しに西湖が下に見えてクロアチアのプリトヴィチェ湖群国立公園みたいだなどと話しながら峰歩きをして、13:15には三湖台という裸の地面で見晴らしがいいところへ出て(青木ヶ原樹海・大室山、遠くに精進湖が見える)、中学生が大勢写生をしている。13:30には紅葉台を通り(展望台は有料だったのでスキップ)、13:50には紅葉台入り口(@国道139号)へ下った。国道を歩いて一本木へ戻る計画だったが、14:27の富士急行路線バスがあったのでそれに乗り(290円)、一本木から車で14:45には出発し、帰路は国道139・138号を素直に通り山中湖・御殿場・小田原経由で、藤沢市へ帰宅したのが17:30だった。運転距離訳200キロ。夕食は藤沢駅南口の奥田センターの「とんこ」でトンカツ。 (2013.10.17.)

Autumn Leaves in Mt. Fuji: Aoki-ga-Hara & Bat Cave (2017)

青木ヶ原樹海・コウモリ穴 (2017)

静岡県から移動して、本栖湖、精進湖、西湖の脇を通って、この辺りは4年前に西湖と国道の間にある足和田山(東海自然道)へ登っている雨なので青木ヶ原樹海の「富岳風穴」に寄り、また近くの「コウモリ穴」でガイドを雇って「樹海」を案内してもらい、これは富士山(先小御岳、小御岳、古富士、新富士の4つの大きな噴火があった)、富士五湖(本栖湖・精進湖・西湖はつながった「セ(?=[戔リ])の湖」だった)、樹海(平安時代の864年の噴火でできた)について学ぶことが多くてよかった。ここは自殺の名所で、樹海内は暗いと思っていたが大変明るい森林地帯で、松本清張が『波の塔』を雑誌『女性自身』へ連載して自殺の名所となったもので、自殺者は女性が圧倒的に多いという(女性の大部分は薬で、男声は首つりもある)。コウモリ穴の案内所に秋田県の田沢湖で絶滅したクニマスがどうやって西湖に来ていたかの展示場があり、なかなか力が入っていて、多くを学んだ。

本格的雨になったので、富士スバルラインで五合目へ寄るのは辞めて、道の駅「鳴沢」で寒かったから暖かいソバの遅い昼食にして、その後の富士吉田からは東富士五湖道路経由を辞めて、山中湖・篭坂峠経由の国道138号線を走り、御殿場へ戻り、これで富士山を反時計回りに一周したことになる。国道138号線をさらにYMCA東山湖・箱根宮ノ下経由で、小田原から国道135号線の湘南道路経由で16:30には藤沢市の自宅へ帰宅した。 (2017.10.13.)

Three Days in Oshino Village (2019)

忍野八海の民家で二泊 2019

土・日・月は天気が雨模様だったが、一族郎党を連れて富士山裾野の忍野八海へ、2泊3日の旅行をしてきた。土曜日は上の娘の家族とNaviがしきりに圏央道・中央高速道路を勧めるのを無視して、新湘南道路・東名・東富士五湖道路経由で篭坂トンネルを過ぎて山中湖湖畔へ出たら、幸い雨が止んでいた。富士山麓の「さかな自然公園」で東京から来た下の娘の家族と会って、戸外で梅雨の合間に持参のおにぎりで昼食後、そこの山梨県立「湧水の里水族館」で小雨を避けて楽しめた。富士スバル・ラインで五合目手前の奥庭自然公園まで行き、霧の中を展望台までハイキングしても何も見えなかったが、二歳児が小学5年生と1年生に手を引かれて歩き、大分仲良くなったようだ。宿泊は敷地内を忍野八海駐車場にも提供している民家「鱒の家」で、茅葺の日本家屋で、日本庭園があり、前を清水が流れる宿。風呂の後マス料理などで夕食。テレビ番組「ぶらタモリ、阿蘇山」は10分遅れだが、私はしっかり見て、ベンガラ、前方後円墳、カヤ場、野焼きの意義などを理解。(2019.06.29.)

日曜日、私は朝風呂の後の散歩で土地の人に出逢って暮らしの様子を聞いたら、そこは海抜千メートルなので竹は根が凍るので育たず、柿も水分が多い幹なので凍って育たないという。朝食後に忍野八海の涌池・濁池などの場所へ歩いて見に行ったら(我々夫婦は去年に次いで二回目)、狭い池の周りを大勢の日本人・外国人たちが取り囲み、周りの商店もうるさくて、混雑とアジア人たちの自撮りで幻滅だった。(あとで調べたら、八海の中心地の地権者のひとりが中池と称する一番深いと宣伝する九番目の池を掘り、その脇に30軒からの商店があるビルを建て、そこを通らないと池に到達できないようにしているような、資本主義社会の無法地帯だった。)宿近くへ戻り麺処「びわ」でソバのランチ。ボートに乗るべく山中湖へ移動したが、雨に降られて断念。Lawsonでコーヒーやアイスクリームを買って宿へ戻り、孫たち(小学5年生、1年生、2歳児)を1年生持参のプラレールを使って室内で遊ばせ、大人たちはいろいろなおしゃべり。午後四時過ぎには東京組は仕事があるので帰っていったが、いとこ同士仲良くなったようだ。我々は少し離れた出口池へ行き、そこは閑静でよかった。風呂の後の夕食でヤマイモの「とろろ」が出た。食後子供たちが好きなテレビ番組「ワイルド・ライフ」を見て、グレートバリアーリーフの大潮の時のサンゴの産卵、アオウミガメの産卵の様子を見た。(2019.06.30.)

月曜日は朝風呂と朝食後、小雨模様なので、まず富岳風穴へ行き、ここへは我々夫婦は去年寄った所。そこから青木ヶ原樹海を20分ほど歩いて鳴沢氷穴を見たが、堂内の往路は10メートルほど這って歩くし、小規模で、土産店ばかりが立派で、好きでなかった。(風穴も氷穴も忍野八海もすべて私立の施設で、投資が小規模でダメだ。)国道の歩道を富岳風穴へ歩いて戻って、そこから河口湖方面へ移動して、道の駅「かつやま」で上の娘が「ほうとう」は初めてというのでそれと他で昼食。雨は止んだので、河口湖の河口湖大橋の東側にある船津浜で、私以外の4人は足漕ぎ「アヒルちゃん」ボートで繰り出して、私は岸部で居眠り。北口本営富士浅間神社を娘が見たいというのでそこへ寄り、帰路にまたNaviが中央高速を勧めるのを無視して、東富士五湖道路で出発。篭坂トンネルを過ぎて御殿場側へ出たら濃霧で、それでも何とか東名に入り、新湘南バイパスで平塚へ出た。国道135号線沿いの焼肉「さかい」で夕食後、19:00には自宅へ帰った。神奈川県から富士山麓へは車で1・2時間内に行けるので、我々は山の西(朝霧高原)・北(五湖)・南(宝永山)・東(山中湖)へと行くのが大好きで、今回の梅雨時の小旅行は小雨模様だったが、水族館などに助けられて何とか乗り切った。 (2019.07.01.)

To My Friend's House in Kobuchizawa & Nishizawa Valley, Nagano Pref. 2020

ウィルス禍が一段落して八ヶ岳南麓・小淵沢の友人宅へ、また西沢渓谷へ 2020

6月末の日曜日、前々日金曜日にコロナ禍の県境を跨ぐ出入りが解禁されたからという訳ではなく、以前から高校同級の友人が招いてくれていた旅行で、妻の運転で山梨県小淵沢と長野県野辺山へ二泊に出かけた。圏央道・中央高速経由で小淵沢で降りて、花パーク「フィオーレ小淵沢」駐車場で友人夫妻、他の4人に会い、まず「泉寿し」で自然食の昼食。ひとりが最近マリインスキー劇場ウラジオストク支部で上演した「ニコライ・ネフスキー人生の旅」の脚本・演出家だったので、その旨をウィキペディアに載せたのを話して、それをインターネットで見せたりした。

八ヶ岳の南麓にある別荘地帯にある友人宅へ行き(「えほんの村」の近くで途中収穫間近い麦畑が印象的)、そこは別荘というより2階建ての立派な家だ。落ち着いたあと主人の案内で4人で「信玄棒道」という往時の森を抜ける山道がハイキングコースなっているのを歩き、途中「棒道チャレンジコース」へ寄り道して、水源地で水を汲んで、また友人宅へ戻った。

それから、近くのパン屋「Paisan」へ行き、これは薪の炉で残り火でパンを焼く設備がある店だ。5時少し前から夕食になり、総勢8名の多少三蜜状態で飲むやら、食うやらで三時間を過ごし、雑談が続き、私は最近入手したEchoをデモして、YouTubeは高音質なのでそれをEchoの音源にするといいのを学んだりした。この夏至の日、私は10時頃に就寝。(2020.06.21)

翌月曜日は小雨模様。朝起きてすぐ「棒道」」を昨日とは反対方向へ散歩。砂防ダムががある大きな川を超えて、森の中を小川を渡り製材所まで歩き、木の香りで気持ちがいい。8時から、りんごジュースとコーヒーと朝食。 この後は、長野県野辺山へ。

西沢渓谷へ。翌々日の火曜日は雨が上がり、6:30に起きて、妻と八ヶ岳高原ロッジの敷地中の音楽堂・ヒュッテ方面へ散歩。朝食の食堂は外のテラスへ出て食べて、東方面へ遠く男山・天狗山が雲間に見えて(これは10年前に登った御座山のすぐ南に当たる)、いい感じ。朝食中忘れてきたリュックを友人が届けてくれて、すぐ出発。国道141号線、長坂IC、中央高速経由で一宮御坂ICで降りて、山梨市駅前の案内所で西沢渓谷について聞いてから、国道140号線で山梨県笛吹川上流の西沢渓谷へ。

12時丁度に三富川浦という所で駐車して(最近できた埼玉県秩父市へ抜けるトンネル入り口の手前)、笛吹川に沿って歩き始めて、初めは散歩道のようだったが、二俣吊橋からは山道になり、沢登りの東沢渓谷への分岐点を過ぎて調子いい感じだったのに、「三重の滝」以降は最近の台風の影響か、通行禁止。仕方ないので引き返して、ネトリ広場で持参のオニギリを食べてから帰り、私は妻から少し離れて歩き、周りに誰もいないので、沢から聞こえる水音に負けないようにカラオケ調に歌を歌って歩いた。

駐車場近くの東沢山荘でモグサ餅を買って食べて、モグサ茶も買ったのは子供時代にモグサを集めて経験があるため。3時少し前にはそこを出発して、カーナビが推奨の道を間違えたら「ぶどうの丘」の脇を経て甲府盆地を見下ろす感じいい「甲州市フルーツライン」という道を通る正解で、勝沼ICから中央高速・圏央道・茅ヶ崎経由で、5時前には帰宅。こうしてコロナ禍が一段落して、車では国内旅行ができるようになったのを感謝した。(2020.06.23.)

Shizuoka Prefecture

静岡県

Autumn Leaves in Mt. Fuji: Mt. Ho-ei, Lake Tanuki, and Asagiri Highland (2017)

富士山の紅葉:宝永山登山・田貫湖・朝霧高原 (2017)

前置き:実は2年前に富士山の山梨県側の五合目で紅葉を見ようという話しだったが箱根・芦ノ湖へ行ってしまい(2015年)、私も静岡県側の新五合目で宝永山へ登ろうとしたもので、ワイフは先週NHK−TVの「ブラタモリ」で宝永山を見たという。ハイキングの翌々日はその続きで富士山頂をやっていて、頂上のお鉢周りで回る峰々は昔の信仰登山ではお釈迦様の弟子たちで真ん中にブロッケン現象で自分の姿が見えたり、お鉢の深さは200mで八合目に相当するとか、富士山レーダーの施設では現在雷の発生メカニズムを研究しているなど、大変興味ある番組だった。 (2015.10.31.)

本番:木・金は妻と富士山へ紅葉を尋ねて、1泊旅行をした。まず湘南海岸、箱根経由で御殿場から国道138号線から国道246へしばし入ってすぐ富士山スカイラインへ入った頃は曇り空で、2年前の10月末に来た時は霧に巻かれてしまい箱根へ転進したので(そこは富士山スカイラインの手前の支線を2kmくらい登った「須走り新五合目」だった)、その再チャレンジもダメかと思った。ところがスカイラインの奥の支線を6kmくらい登った「富士宮新五合目」へ着く前に快晴になり、富士山の中腹にかけてすばらしい紅葉で、おもにカラ松だろう。駐車場は2,400米で、そこから登山を開始して、六合目を経て、宝永山とその火口を見下ろす所で休憩。登山道は火口へ少し降りて、次に急坂を上るのだが、その途中で疲れてしまい、また砂ぼこり対策でゴーグルをしてなかったので目に砂ぼこりが入り、断念。前日ハワイから着いた時差もあるが、歳の勢だろう。

下へ下って火口とその下の第二火口の間にベンチがあるところで、昼食。そこから六合目経由で駐車場へ戻る途中に、ドイツのドルトムントから来たドイツ人若者たちに遭い、富士山は外国人観光客が多い。駐車場で富士山ナンバーの車の持ち主がいたので聞いたら、富士宮市に住むガイドさんで富士山を登山した帰りで、このナンバーは静岡県・山梨県で富士山に関係した市町村で貰えるという。富士山スカイライン道路をさらに富士宮方面へ向かい、田貫湖湖畔の「休暇村富士」のコッテージ(ログハウス)で1泊。本館へ歩いて行き温泉(田貫湖の入り江に面して、晴れていれば富士山が見えるいい場所)、夕食はバイキング料理。 (2017.10.12.)

翌朝は6時に起きて、田貫湖湖畔を散歩。ここは子供たちが小さい頃、何回かオート・キャンプに来ているが、しばらく前にボーイスカウトの世界ジャンボリーがあり、最近も日本ジャンボリーがあったらしく、きれいな芝生になっている。スイス人のドイツ語と英語を話しテントで泊まったおじさんが日本の若者たちと話している仲間に入って、雑談。温泉に浸かって、朝食を終わる頃から小雨が降り出して、濃霧が出だし、国道139号線を運転するのが危険。道の駅「朝霧」で買い物をして聞いたら、この辺りは霧が多いという。山梨県へ移動。 (2017.10.13.)

The MOA Museum of Art and Kiun-Kaku in Atami City (2016)

熱海のMOA美術館と起雲閣 (2016)

3月の初日に仕事上の先輩で大磯住まいの友人と、静岡県伊豆半島の付け根にある温泉観光地・熱海へ散歩にいって来た。10:22藤沢発の電車で熱海には11:40に着き、駅前商店街の「だるま」(小田原の「だるま」とは無関係)にてカツ丼で腹ごしらえして、勇躍熱海駅の裏山の桃山へ30分くらいで登って、初めてMOA美術館を参観。入場料1200円で大々的なトンネルをくぐって、ヘンリー・ムーア作の「王と王妃」像がある広場へ出ると快晴の下に相模灘と初島、伊豆大島、伊豆半島が良く見える。美術館へ入ると尾形光琳の「紅白梅図」が目玉展示品で、まったくすばらしい構図で、去年は根津博物館の彼の「燕子花(かきつばた)図」と共にここで展示された時期があったという。茶室などを見た後の帰りに、バスで熱海駅へ下りる時の隣りの席は、この美術館を作った岡田茂吉が創始した「世界救世教」(ここにも説明有り)の信者で、今日は月の初日なので毎月福井県から来ていて、毎月6日には福井市にも200人位の信者が集まるといい、いまでも熱心な信者が全国に、またブラジルや東南アジアなどの海外にも多いらしい。私はハワイで自然農法に関係し始めていて、インターネットを見るとの世界救世教いづのめ教団の自然農法(長野県松本市)が必ず出てくるので、興味あって話しかけたもの。

この後、頼朝と政子の恋の舞台でもあったという「伊豆山神社」へ行くハイキング計画は止めて、熱海市内をしばらく歩いて「起雲閣」へ寄った。大正時代に海運王(内田信也)が3千坪の土地に母親のために2つの家を建てて別荘を作り、その後鉄道王(東武鉄道の根津嘉一郎)が「ローマ風浴室」などの様々な棟を建ててホテル風になり、谷崎純一郎・山本有三・志賀直哉などが滞在して作品を書き(太宰治が「人間失格」を書いた直後自殺したのは熱海市内のここではない根津の別邸で)、戦後は石川県出身の事業家(桜井兵五郎)が麒麟・大鵬などの部屋に大名だけに許された「加賀の青漆喰」の青色の壁などを導入して、高級ホテルとして発展した。1999年にはホテルは終り、その後熱海市が渡り廊下で時計回りで一周できるようにして観光施設として公開したという。大変興味がある和洋折衷の屋敷だった。市内の糸川に沿って河津桜より早く、日本で沖縄のヒカン桜と共に最も早く咲く「熱海桜」の花は2月中旬で終わっていたので、しばらく歩いて海岸そばの公園へ行って「大島桜」の満開を見た。熱海は有名な温泉町だが、私は子供たちを連れて伊豆半島へ遊びに行く時にはいつも素通りしていたのでよく知らなくて、今回も温泉へは入らなかったが、それなりに面白い町と見た。 (2016.03.01.)

Driving in Izu Peninsula on Weekends

週末に伊豆半島をドライブ

横浜時代、仕事上の仲間と、自分の車でよく伊豆半島へドライブに出かけた。西岸の道路ができても、まだ舗装が完成していない時代で、ガタガタ道をよく走った。

Taking My Chinese Colleagues to Izu Peninsula, on a Weekend (2004)

週末に中国の同僚たちを伊豆半島へ案内 (2004)

中国人の方々を日本で接待して、商談の合間を見て国内旅行に連れていくのは、どんなにしたらいいのでしょうか。11月のウィークエンドが空いたので、東京からは北郊外の日光/鬼怒川温泉とか西郊外の高尾山ハイキングとか昇仙峡とか思ったのですが、木曜日に急遽JTBの知り合いに電話して、箱根か伊豆半島の温泉へ行くように頼んだところ、「今年は紅葉が遅れていて、丁度シーズンになって、土日は箱根や伊東などのいいところが空いてなが、熱海や下田なら空いている」ということで、下田温泉を頼んで翌金曜日に事務所へ赴いて、現金を支払って、チケットを受け取りました。土曜日の朝7:30に品川プリンスホテルへ4人(男性3人、女性1人)を迎えに行き(4人共約束通り、チェックアウトして朝食をすませていたので助かりました)、東京駅8:00発の特急「踊り子」に十分間に合い、快適な列車のt日で、10:30に下田に着き、まだホテルのチェックインには早いので、駅前でレンタカーを見つけて、借りて(丸1日距離無制限で1万円弱)、まず伊豆半島のドライブに出かけました。

まず海岸を北へ河津を通って(「ここは2月に河津桜が咲くという」は説明はあまり興味はなかったみたい)、そこから天城峠方面へ行き(ここが川端康成の『伊豆の踊り子』(伊豆舞女)の舞台という説明は、皆この作品を知っていて興味があったようだ)、河津七滝(ななだる)で車を止め、そこの大滝庵で昼食のソバを食べて、大滝へ下りて見学して、写真を撮りました。また車に乗って、ループ橋・天城峠・浄連の滝を通り(もし女性の方が中ヒールで来てなかったら、山の中を少し散歩したかった)、修善寺へ入る前に西伊豆海岸の方へ抜けて、土肥へ入り(ここへ下るところの紅葉は、紅葉が全体的に遅れている今年は残念ながらまだ早かった)、ここから伊豆半島西海岸を南へ下り、堂ヶ島あたりで1、2回海岸の崖の上の公園で停車して(残念ながら富士山は見えなかった)、松崎を通り、17:00に下田温泉ホテル榮岬(はなみさき、0558-22-3111)へ入った。箱根の山の中のホテルとは一風変って、下田港と防波堤と岩の海岸が一望に見える、大変いいホテルでした。温泉も露天風呂から港が見え、良かった。食事は海鮮料理と例の伊豆の土地の料理で、皆さん大変良かったといってました。

翌日は8:00から朝食を取り、9:00にレンタカーで出発、下田港の防波堤で散歩して、石廊崎は遠いので止めて、爪木崎へ行き(2月に水仙が咲くというのには、あまり興味がなかったみたい)、写真を撮ったりして、11:00には下田駅へ帰り、レンタカーを返しました(135km走行して、ガソリン代は千円くらい)。ここで12:00発の東京行き「踊り子」に乗って、14:05に大船で降り、モノレールで藤沢市南東部(片瀬山)の我が家に寄ってもらい、我が家の中を案内して、車で近くの江ノ島のヨットハーバーを案内し(東京オリンピックのヨット競技が行われたという説明は、2008年北京オリンピックでヨットは青島で行なわれ、大連ではなくなったので、多少興味があったみたい)、これまた近くの鎌倉市南西部(鎌倉山)にある中国人の方の家へ行き(その週に東京でお会いした香港系会社の社長さん)、そこは茶室がある立派な家で、奥さんがここでお茶をごちそうしてくれて、もう1人の中国人の方も合流して、ワイフたちも一緒に七里ヶ浜のすし屋で夕食を食べて、食事後みなさんを藤沢駅まで車で送り、分かれました。費用はすべて含んで20万円くらいでした(すし屋での夕食は、我が家近くに住むこの中国人の方が払ってくれた)。(2004.11.14.)

Hiking in Mt. Amagi (2013)

天城山ハイキング(2013)

5月初旬の水曜日に、伊豆半島の天城山へ登山にワイフといってきた。家を朝6時少し前に車で出て、途中ターンパイクやスカイラインを通り、晴天なので富士山が大きく見えて、西の駿河湾にある初島や伊豆七島や三浦半島や遠くに房総半島らしいのが、東の駿河湾と沼津の町がよく見える。8時少し過ぎにはもう天城高原ゴルフ場へ駐車して(走行距離は106 km)登山を始め、天城山脈の万二郎岳(1,299 m)へ登る途中はマメザクラ(富士桜)が満開で、次に万三郎岳(1,406 m)へ登る途中は満開のアセビの花のトンネルがあり、頂上でおにぎりで昼食。(このあたりは6月にシャクナゲ街道になるはずが、季節が早すぎた。)そこから八丁池と天城峠(川端康成青年が「伊豆の踊子」で湯ヶ島から天城峠を通り下田へ向かった)へ行く縦走コースは全体で7時間も歩くので止めて、万三郎岳からすぐ南へ下り、ブナとヒメシャラの原生林を何度か通り、万三郎下分岐・涸沢分岐を経て、15時には四辻・ゴルフ場へ帰ってきた。午後のコースは何度も上下する予想外の難コースで、文字通りの健脚向きだと分かり、疲れ果てて18時少し前に車で帰宅した。 (2013.05.08.)

Entertaining Makinohara House for the Handicapped and the Aged with Songs (2013 & 2014)

牧之原やまばと学園を歌で慰問 (2013 - 2017)

大学の同級生(長沢道子)が静岡県牧之原市で身障者の学校・老人ケア施設・「 牧之原やまばと学園」を経営しているので、20人くらいの同窓生たちで近くに一泊して歌を歌い、お土産も持参して、慰問にいってきた。慰問が終って、同期生7人はJR六合駅まで車で行き、そこから汽車で静岡駅に移動して、夕方6時から駅前のセンチュリーホテル1Fの食べ放題(\3000)・飲み放題(+1600)で同級会をやって、毎年のこの会も3期の先輩たち(斉藤万里子さんなど)が中心だったが、これからは我々(飯田徹くんなど)が中心になり、また後輩も育てなければと談合した。 (2013.10.01.-02.)  2014年にも、また行ってきた。 (2013.10.27.-28.) 2015年にも行って、静岡市中も見てきた。 (2015.10.18.-19.) 2016年にも、また行ってきた。 (2016.10.06.-07.) 

2017年が最後の慰問になった。(2016.10.16.-18.) 例年この時期、静岡県牧之原市にある身障者&高齢者施設「やまばと」へ大学の同窓生と一緒に歌で訪問している。月曜日の朝は小雨で、6:18発のバスで家を出て、藤沢駅で6:35発鈍行沼津行きに乗り、沼津経由で静岡駅に着き、そこの珈琲館でしばし休憩。そこから浜松行鈍行で金谷駅へ行き、大井川鉄道の始発駅でみんなと待ち合わせて、田野口駅で降りて、先輩の奥田恵二・万理邸で昼食兼ワインパーティー。そのうちに先輩の指揮者も着いて、合唱の練習。迎えのバンに乗って、川根本町にある宿泊所「ウッドハウスおろくぼ」へ。寝る前に、そこにあるタカハシ望遠鏡(40インチ反射鏡)、コンピューター制御赤道儀(2001年)付き、について説明があった。その夜は、今年の参加者は少なかったので、一人一室で寝た。注:川根本町から島田・牧之原市にかけての大井川に添った茶畑では「茶草場農法」をやっていて、草場から刈り取ったススキなどを茶園に敷いて、有機で良質なお茶を生産するもので、「世界農業遺産」に登録されているという。私はユネスコの「世界遺産」は大嫌いだが、これはいい。。 (2017.10.16.)

翌日は8:00に朝食で、バンに乗って島田市立養護老人ホーム「ぎんもくせい」へ。大学の同級生で「やまばと」の経営者の長澤道子さんを囲んで、大井川鉄道の金谷駅から届けてくれた「大井川ふるさと弁当」で昼食。すぐに現場で練習を開始して、14:30〜15:30まで、

    「朝静かに」(詩:水野源三)、「朧月夜」、「夏の思い出」、「ちいさい秋見つけた」、「ペチカ」、「やまばとの朝の歌」を歌い、独奏:ピアノ「さくら」、フルート「アルルの女」からメヌエット、独唱「椰子の実」、「待ちぼうけ」、「エーデルワイス」をがあり、最後はいろはクイズなどをやりながらみんなで「ドレミのうた」、「浜辺の歌」、「川の流れのように」、「茶摘み」、「故郷」を歌ってお開き。

施設の見学を30分ほどして、大井川鉄道新金谷へ。丁度、蒸気機関車を回転台で回転させていたので、写真を撮りまくった。有志で、大井川鉄道で川根温泉へ行き、コッテージに泊まり、夕食は3種類の鍋料理:シシ鍋、雑鍋、鶏団子鍋。NHKテレビでセリーグのファーストステージ、横浜ベイスターズ対阪神タイガースの野球(ファースト・ステージ)をやっていて、みんなで観戦し、横浜が6対1で勝った。各コッテージに付属の露天風呂に入って、夜11時ころ就寝。やまばと訪問は、初回参加が2013年で、5回参加してきたが、現在みんな高齢になり、今回で一応打ち切りになるのが残念。 (2017.10.17.)

島田市の3日目は、早朝の散歩、川根温泉ホテルで川根茶を買う。徐々に晴れになって、他の参加者は大鉄で大井川上流の遊覧にいったが、私は横浜で用事があるので遊覧には参加せず、10:05発の下りで金谷へ向かい、10:50金谷発JR登りで静岡へ、11:35発のひかりで新横浜に着き、12:30に地下鉄で横浜駅へ着き、そこで眼科医へ寄って、横浜駅西口地下街の有隣堂へも寄ってから帰宅した。 (2017.10.18.)

Shizuoka City (1966 & 2014)

静岡市(1966 & 2014)

横浜営業所時代、会社員かけだしのころ、1966年だったと思う、できたばかりの新幹線に東京から乗って静岡営業所へ行き、そこの先輩SEと一緒に沼津市までもどり、大昭和製紙の工場へ入れた大型コンピューター(IBM System/360モデル40国産第1号機)のめんどうをみに3か月ほど通ったことがある。ただし、静岡市内を見物した覚えはなく、夜は先輩たちが飲みに連れて行ってくれて、ただ静岡鉄道で静波(しずなみ)という美しい海岸へ土日に泳ぎに行ったことのみを覚えている。

2014年に上記の牧之原訪問の折、静岡駅で下りて、静岡市中心部を見物した。そこで短時間でも静岡見物をしようとして、繁華街の紺屋町地下街と呉服町を歩いて、市議会ビルと県議会ビルを経て駿府城公園へ行き、徳川家康の像とお手植えのみかんの木を見て彼がそこに3度住んだ歴史を学び、公園内をしばらく散歩して東御門・巽櫓(たつみやぐら)から出た。翌日牧之原の施設で歌を歌って慰問した後、観客と交流会を持ったが、私はもうひとつの施設から来ている1925年生まれて静波の出身の人と話し合い、昔いい海水浴場だった静波へいったことを話したら、そこはもう砂利が多くていい海岸ではないという。

「大井川ふるさと弁当」のカバーに静岡方言集が書いてあったのを保管していて、「そうずら=そうでしょう、しぞーか=静岡、せんころ=この前、ごせっぽい=せいせいした、そらつかい=とぼけるひと、ばんげんしま=夕方、ばんたび=その都度、まめったい=まめに働く、そこらはっちょう=そこら中、そのいとに=そのうちに、わきゃーない=たやすい」とあったのを、彼にひとつひとつ聞いて確かめたりした。 (2013.10.27.-28.)

Niigata Prefecture

Joetsu, Kashiwazaki and Niigata Cities

From Nagano to Yonezawa, via Naoetsu, Niigata and Sakamachi

新潟県

上越市: 春日山と直江津海岸。長野県の「信州の海岸」なので、長野県北部の小学校3年生の時の遠足で、上越市高田にある上杉謙信の春日城と直江津海岸へ行っている。このとき初めて海を見た。

また、長野市に住んだ時もしばしば行っている。毎週土曜日に日本酒「雪中梅」の丸山醸造所へ予約が電話して取りに行ったり、「日本のワインの父」川上善兵衛が作ったワイナリー「岩の原葡萄園」も訪ねたりした。

柏崎市鯨波:鯨波は有数の夏の遊泳海岸で、遠い親戚があったので、幼少の頃に訪れている。海岸の背後は崖になっていた。

新潟市。冬季オリンピックの信州時代に、NIFTY-Serveの外国語フォーラムの友人たちと新潟市でオフラインミーティングをやった。海産物がおいしかった。

長野から直江津・新潟経由で坂町へ。長野県松代で小中学校の同窓会へ出席した後、長野駅から私はJR列車「青春18切符」もどきの一人旅で長野〜新潟〜坂町〜米沢方向へ移動開始。(実は、新幹線で埼玉県大宮まで帰って、東北・山形新幹線で行った方が便利な世の中になっていて、慨嘆!)まず「しなの鉄道」で妙高高原まで(豊野〜牟礼〜古間駅あたりの鳥居川沿いが私の田舎での本拠地)、それから「えちごときめき鉄道」で直江津まで(二本木駅では昔ながらのスイッチバックがまだあった)行った。そこから信越本線で長岡まで行き、新潟へ着いて、新潟県がこんなに大きいとは知らなかった。新潟で時間がなくなり鈍行はあきらめて、羽越本線の特急「しらゆきに」に乗って、やっと坂町へ着いたが、翌々日に山形県高畠町で「熱中小学校」で講師をする予定が、もう米坂線で米沢まで行く列車はなくて(途中の小国行きはまだあった)、駅員に宿屋があるか聞いて、ほぼ駅前の旅館「いづみや」に入り、近くの割烹食堂「いそべ」で新潟の酒と魚の夕食と取ったらもう疲れて、寝てしまった。 (2015.05.19.)

Mt. Naeba 2001

苗場山 2001

8月初旬に、長野県境にある苗場山(2,145)へ2泊3日でLAMN山の会の仲間と越後湯沢から登った。代替案もあり実際どれを取ったか覚えていないが、神田健一さんが作った山行計画をそのまま書くと、コース概要:苗場山は山頂の広大な台地いっぱいに散りばめられた大小の池塘の美しさが魅力です。苗場山には登山コースが四方から集中していますが、今回のは東京方面から最も取り付きやすいものです。 川端康成「雪国」の駒子像が出迎えてくれる西口から、ジャンボ・タクシーにて和田小屋まで行きます。身支度、準備運動をしてコースタイム4時間を頂上まで。途中下ノ芝あたりで昼食を取ります。弁当は集合後、湯沢駅にて購入する時間を設けます。 翌日は朝の頂上湿原を充分に楽しんでから赤湯温泉に向けて出発。急降下4時間ですが、脚をいためないようゆっくりと景色を眺めながら降ります。2時ごろには着くので秘境の露天風呂を満喫することができると思います。 最終日は、旅館を8時出発、越後湯沢にて昼食後、13時台発の新幹線かと考えています。

集合日時場所:2001年8月3日(金)午前9時10分 、越後湯沢駅 西口改札。往路の交通:上越新幹線;たにがわ431号 東京駅発 7:16 --> 上野駅発 7:22 --> 越後湯沢駅着8:51。上越新幹線;あさひ307号 東京駅発7:48 --> 上野駅発 7:54 --> 越後湯沢駅着9:05 。行程計画:◆8月3日(金) 越後湯沢駅---タクシー0:40-->和田小屋(10:00) <手前で降りる場合もあり>。 ===登り1:10==>下ノ芝(11:40)---昼食0:40(12:20) 。 ===登り1:30==>神楽ケ峰(2:20)===登り1:10==>苗場山頂(4:00) 。 ◆8月4日(土) 苗場山頂(8:00)====降り0:25==>2068m地点(8:30)===降り2:00==>1570m地点(11:30) 昼食 0:40(12:10)===降り1:25===>赤湯(2:00) ◆8月5日(日) 赤湯温泉(8:00)===登降1:30==>林道(9:50)===登降1:00==>ゲート駐車場(11:10) ---タクシー0:30-->越後湯沢駅(12:00)。携帯品: 宿泊先 - 8月3日 苗場山頂ヒュッテ 0257−67−2202 8月4日 赤湯温泉山口館 0257−72−4125 費用 - 東京−越後湯沢(片道) 乗車券:3,260円、新幹線自由席:2,720円、新幹線指定席:3,430円 タクシー:1,000円程度(往路)、1,600円程度(復路)。 魚沼交通:0257−84−2025 宿泊(8月3日) 素泊り:5,500円、2食付き:7,700円、弁当:700円 ミネラルウォーター500ml:500円、ビール350ml:600円。 (2001.08.03.-05.)

Nagano Prefecture

長野県

信州時代。幼少のころ信州で過ごし、また長野冬季オリンピック(1998年)の時に1年3か月長野市に住んだので、これらを一緒に信州時代と呼ぼう。

The Days of My Boyhood in Iizuna & Shinano Towns
飯綱町:幼年時代は中郷村(後の牟礼村、現在は飯綱町)に住んでいたので、近くの土手でフキノトウを採ったり、八蛇川で春先にネコヤナギと取ったり、黒川(鳥居川の支流)で魚を捕ったり夏には泳いだり、夏休みは小学校の校庭で夕方にセミのさなぎを地中から捕って夜に虫かごの中でセミになるのを観察したり、秋には飯綱山の村有林でキノコを採って冬の前に学校全体で薪(たきぎ)を集めたりの、典型的な田舎生活をした。

サンクゼール。飯綱町芋川(もと三水村)のサンクゼール(St. Cousair)はワイナリーで、気持ちのいいレストランにもなっている。

信濃町:野尻湖があり、高原にあるので8月初旬の二週間のみが泳げて、家族で泳ぎにいった。柏原は小林一茶の故郷(参照:私の「一茶の俳句ホームページ」)。

Nagano City:
Worked in Nagano City for the 1998 Nagano Winter Opympic Games.
1998 Winter Olympic Games in Nagano: IT Supprt
Supporting the 1997 Winter Pre-Olympics' Ski Jump IT in Hakuba
Supporting the 1998 Winter Olympics' Main Press Center IT in Nagano
Living in Nagano 1997-98
Climbing the Mountains in Northern Nagano Pref. in 1997-98
長野市:1998年長野冬季オリンピックで、長野市で働いた。

1998年長野冬季オリンピックITサポート
1997年長野冬季プレ・オリンピックで白馬スキージャンプITをサポート
1998年長野オリンピックでMPC(Main Press Center)ITをサポート
長野市に住む 1997-98
北信(長野県北部)の山へ登る 1997-98
信州の花(ネコヤナギ、福寿草、桜=高遠、アンズ、ハナミズキ、カタクリ、水芭蕉=飯綱・戸隠)と紅葉=松川渓谷
信州のワインとお酒


Nagano Prefecture People's Association in Dalian, China

中国・大連で長野県人会に所属 2001-2015

In Matsushiro with My Primary & Middle School Alumni 2015

松代で田舎の小中学校の同窓会 2015

2015年5月のある月曜日、田舎の小中学校の同窓会が長野県松代で開かれて、参加してきた。私は小五までしかそこにいなくて、中学もそこで卒業していないが、毎年招いてもらっている。最後に参加したのは長野冬季オリンピックの時だから、もうほぼ約20年ぶりだ。午後三時に長野駅へ集まるのだが、少し前に着いたので善光寺へ行く大通りを昭和通りまで行き、そこの小林一茶の句碑4つの写真を撮った。飯綱町から来た専用バスで松代町へ行き、そこの国民宿舎で泊り、六時から宴会。何と椅子に座っての宴会で、中締めは私がやり、二次会はカラオケだったが、私ともう一人以外は歌う人が少なかった。 (2015.05.18.) 翌火曜日は同級生たちと9:30からバスで真田邸文武館などを見学してから、長野駅ビルMidoriの「草笛」でソバを食べて(クルミソバが良かった)、皆と別れて新潟県を経て、山形県で開催された「熱中小学校」へ行った。 (2015.05.19.)

Tsugaike Plateau, Nagano Pref.

From Omachi, Nagano Pref., to Mt. Tate, Toyama Pref.. via the Tateyama-Kurobe Alpine Route

栂池高原へ

これは信州滞在から神奈川県へ帰ってからだが、小糸線で仁科三湖より北へ行き、南小谷駅からバスで北アルプスの麓に着き、大きなゴンドラとロープウェイを乗り継いで栂池高原へ行き、標高2,200mの高原でトレッキング。

大町で扇沢から立山黒部アルペンルートで富山県の黒部ダムを経て室堂まで

Staying at Otari Hot Spring and Climbing Mt.Amekazari 2000

小谷温泉に泊まり、雨飾山へ登る 2000

2000年秋のウィークエンドに、LAMN登山クラブの仲間と私が幹事で、小谷温泉に泊まり、信州北端の新潟県境にあり、紅葉真っ盛りの雨飾山(1963mm)へ登る。次のような予定と実際の記録がある。
  • 初日は、予定: スーパーあずさ3号 JR中央線 新宿 08:00--->11:55 大糸線 南小谷(みなみおたり)駅 (遅れた人は、スーパーあずさ5号 10:00発-->13:45着に乗る)。南小谷駅でバスに乗るまで時間があるので、小谷村郷土館(入場料300円、村役場0261-82-2001の紹介)などを見学、名物のソバなどで昼食をする予定。バスで、南小谷駅 14:38--->15:13 小谷温泉。(宿泊宿:小谷温泉 熱泉荘(0261-85-1241、太田さんに三上の名前で予約)
     実際: 6人が予定通りの8:00発のスーパーあずさに乗り、南小谷駅では郷土館で信州ソバなどを昼食に食べ、千石街道「塩の道」を30分くらい歩いた。神田さんが1列車遅れて南小谷で合流、14:38発のバスで、小谷温泉へ到着。木部さんは、あとから宿で合流。このあとは何もせず、温泉を楽しんだ。
  • 次の日は、予定: コース : 登りが3時間30分(標高差700m)、総合計で6時間30分。小谷温泉07:00 --(宿の車0:20)--> 07:20登山口駐車場 --(1:30)--> 8:50荒菅沢 --(1:40)--> 10:30稜線 --(0:20)--> 10:50山頂。頂上で昼食後11:30出発、3時間で下山、登山口駐車場で14:30に宿の車で小谷温泉へ、バス15:11発に乗る。バスで、小谷温泉 15:11 ---> 南小谷駅 15:44(次は、小谷温泉16:38発、18:03発) JR大糸線 スーパーあずさ14号 南小谷駅 16:51 ---> 21:01 新宿駅
      実際: 6:00に朝食、6:30宿の車で出発、6:45登山口駐車場(キャンプセンターがある)から登山開始。時々日が差す、うす曇りの空の下、急な登りをこなして、荒菅沢で休憩。あたりのすばらしい紅葉を見ながらさらに登って、9:50稜線に着き、笹平(北の新潟県方面へ降りる登山道がある)で荷物を置いて、10:10雨飾山頂上へ。しばらくして降りて、10:25から笹平で昼食、11:15下山開始。西方下に天狗原山から金山・焼山へ至るすばらしい紅葉をながめながら、くたくたになって14:00登山口駐車場へ到着。そこのキャンプ場センターで野ぶどうジュースなどを飲んで、14:30に宿のバンに乗り、小谷温泉の宿にもどり温泉につかり(やった!)、予定の15:14発のバスに乗った。帰りの16:51発スーパーあずさが、東京の中央線の人身事故で遅れ南小谷〜白馬がキャンセルになったので、鈍行で白馬に行き、時間をもてあまし信州ソバなどを食べて、無事白馬発のスーパーあずさへ乗り込み、30分くらいの遅れで東京へ着いた。 健脚向きの山だったが、信州最北端の山で紅葉を楽しんた。 (2000.10.14.-15.)

Mt. Norikura and Kamikochi Highlands 2011

乗鞍高原・上高地へ小旅行 2011

長野県育ちの私だが、有名な観光地の上高地へは2011年の10月に始めていった。ワイフと藤沢市の自宅から2泊で行ったもので、
  1. 快晴。車で6時間かけて神奈川県〜山梨県〜長野県乗鞍高原(海抜1500m)。シャトルバスで乗鞍岳畳平(2700m)へ行き、魔王岳(2764)、富士見岳(2918)へ登った。北アルプス穂高連峰がよく見えた。泊りは乗鞍高原休暇村で、夕食、温泉。夜は星空を観察。
  2. 曇〜雨。沢渡大橋からシャトルバスで上高地高原(1500m)へ行き、大正池から梓川に沿って歩き、途中ニホンザルにもあいさつして、ウェストン碑・河童橋を経て、明神池まで歩いた。曇り空で穂高連峰はよく見えず、午後は小雨が降り出したので早々に引き揚げて、乗鞍高原の別のホテル(山水館信濃)ですばらしい夕食、白色の硫黄温泉。
  3. 小雨〜晴。雨が何とか上がり、乗鞍高原を牛留池から善五郎滝(滝に虹)へ、かなり高低がある白樺林の中を散歩。車で下山して、梓川脇の安曇村の道の駅でトロロ・ソバを食べて、6時間かけて長野県〜山梨県〜神奈川県藤沢へ夜に帰宅。
この年の紅葉はいまいちだったが、いい山の空気を吸って帰った。 (2011.10.06.)

National Route 141: Fom Sudama, Yamanashi Pref., to Komoro, Nagano Pref.

国道141号線:山梨県須玉〜長野県小諸

山梨県須玉〜長野県小諸の国道141号線は、東京都・神奈川県から中央高速道路を通って、小諸の後は国道18号線を通って私の育ち故郷の長野県北部へ行くのに、何回も何回も通った。そこでは西八ヶ岳連峰を見て、野辺山で国立天文台の電波望遠鏡、高原野菜、牧場、小海線の踏切と列車と出逢う、清々しい高原道路だった。

Trekking the Northern Yatsugatake Mountains

北八ヶ岳連峰を縦走 1962

大学生時代の1962年夏に、北八ヶ岳連峰を中学・高校一緒の友人二人(長野隆と斎藤某)と共に縦走した記録を、約60年後になって24枚の白黒写真アルバムに発見した。手書きの地図もあるのでこれをたどると、まず(多分夜行で)上野駅を国鉄信越線で出て、早朝に小諸駅へ着き、バスで蓼科牧場に行き朝食。そこから御泉水の脇を通り、将軍平で昼食にして、蓼科山(海抜2530米)を往復。大河原峠(2093米)、双子山を経て歩き、双子池の山小屋で宿泊。 翌日は、まず大岳へ登り往復、北八ヶ岳連峰の最高峰である北横岳(2473米)に登り、坪庭で(おそらく山小屋で用意してもらったもので)昼食。そこから、縞枯山(2395)と雨池はスキップして(南八ヶ岳連峰の最高峰の赤岳2899米、丸山2330米と白駒池には寄らず)、スキー場まで下り、バスで親湯に寄り(多分急いで温泉に入り)、蓼科湖の脇を通り、バスで中央線茅野駅へ出て、(多分夜行で)東京(・新宿駅)へ帰った。(1962.10.11.-13.)

Climbing Mt. Ogura 2010

御座山へ登る 2010

いま急用で中国・大連から日本の自宅に一週間帰っている。急用は一段落したので、金・土と一晩泊まりで妻と長野県の御座山(おぐらやま、2112m)へ登って、今の時期最盛期のシャクナゲの花を見てきた。車で外出するのは近ごろめずらしいので交通経路も少し書くと、金曜日藤沢市の自宅を出発するのが8時半ごろになってしまい、車で県道を通って用田を抜けて、門沢橋で相模川を渡って、厚木を抜けて国道412号線で相模湖へ行き、相模湖ICで中央高速に乗るまでが2時間20分もかかってしまった。高速の双葉サービスエリアで持参のサンドイッチで昼食を食べ、須玉ICで下りて、国道141号線(韮崎〜小諸)を小諸方面へひた走り、清里・野辺山を抜けて、松原湖で一休みして、湖畔を一時間ぐらい散策したあと(ミツバツツジ、レンゲツツジ、サラサドウダンなどが満開!)、車は141号線を佐久平へ下りて、海ノ口の千曲川源流あたりはこの時期ニセアカシアの白い花が満開で、車の中までいい匂いがただよってきて、中国・大連でいま満開なのでなつかしかった。

私は長野県北部(北信)育ちだが、中部(中信)のこのあたりはいつも通過するだけで、よく知らない。そこから相木川(あいきがわ)に沿って東へ入り、北相木村(きたあいきむら)で大きな滝(おみかの滝)を見て、そのあと目指す南相木村の民宿へ着いたのは、もう4時ころになってしまった。夕食まで時間があったので、近くの三滝といわれる所を見に行って、ここは冬には大禅滝が凍って壮観らしい。民宿は宮ノ平というところにある民宿でいろいろ土地のことも話してくれて(1月の成人の日にドンド焼き、3月3日に子供たちがお雛様を川へ流す、8月1日にお墓の掃除など)、食事も田舎風でなかなか良かった。

翌朝は快晴で、7時過ぎに出発し、農道を上がって、白岩登山口の4台分くらいある駐車場に無理して駐車して、7時半くらいに登山を開始した。セミやウグイスが鳴く森を、途中満開のミツバツツジを見ながら歩いてゆくと、いよいよシャクナゲが現れて、見晴台(1750m)で一休み、木漏れ日の木々の中をシャクナゲの群生に近いものを眺めながら前山(前衛山、1992m)まで行き、また一休み。そこから少し下りて、最後の急登坂がつらかったが、10時少し前に御座山の頂上(2112m)へ達した。360度のすばらしいながめの岩石の頂上だが、少し曇り始めて、遠くの八ヶ岳などが見えなくて残念。そこで写真を撮り、民宿で作ってもらったオニギリで昼食。

11時半ごろ下山を始めて、ただただ下へ歩き、足を棒のようにして午後2時少し前に駐車場に着いた。車での帰りは清里の道沿いの「マミイ」という所でソフトクリームを食べた以外は、国道141号線と中央高速をひたすら走って、厚木からは国道129号線で平塚へ出て、国道1号線で土曜日のせいか難なく相模川を渡って、茅ヶ崎で海岸沿いの国道134号線を江ノ島経由で、夜8時少し前に自宅へ戻った。行きはワイフが全部運転して、帰りは清里から談合坂までは私が運転した。御座山は「日本200名山」の一つで、日本には「日本200名山を登る」上・下(昭文社)や、「花いっぱいの山歩き」(成美堂出版)、「満開の山」(山と渓谷社)などが出ていて便利そうだが、御座山は「ベストハイキング100」(実業之日本社のブルーガイドブックス、1975年)に載っていたのを妻が発見したもので、いいところを見つけていくのは資料がそろっている日本でも意外と難しいと思った。(2010.06.12.)

Spending Summer Vacation in a Loghouse in Fujimi-cho, Nagano Pref. 2017

富士見町のログハウスで夏休み 2017

2017年7月末、日本滞在の最後の週をハワイの孫たちを連れて長野県富士見町のログハウスで過ごした。
  1. 朝10時に出発。圏央道・中央高速を行き、パーキングエリアでランチの時、中国・大連の友人(大谷章夫さん)とご一家に遭遇し、こんなことは珍しい。小淵沢I/Cで降りて、道の駅「白州」で「天然氷のかき氷」を食べてからログハウス「Cara Bosco」へ。家主の案内で富士見町のA-Coopで買い物をして、家でBBQ。
  2. 早朝、セミの鳴き声で目覚める。全5日間天候には恵まれず、北の八ヶ岳連峰も、南の南アルプスも雲の中。午前中は国道141号線(須玉〜佐久)を清里を経て北へひた走り野辺山あたりの滝沢牧場で「乳しぼり」へ、午後は山梨県立「まきば公園」のふれあい広場へ。シャトレーゼ白州工場でアイス製品を食べ放題。
  3. 朝ログハウスを出て、八ヶ岳エコーラインをひた走り、車山高原へ。(ここは若い頃、車にスノータイヤを履かせて、妻と日帰りスキーに何度か来たことがある。)リフトで車山へ登り、昼食後車山肩へ降りて、そこはニッコウキスゲが満開。近くの八島ヶ原湿地帯で散歩しかけたが、霧が出て散歩を中止。富士見町A-Coop近くのコインランドリーを利用。
  4. 前夜下の孫が耳を痛がり、中耳炎だと分かり、近くの医院へ行った間、午前中はログハウス周りを散歩。午後は原村の八ヶ岳自然文化園へ出かけて、パターゴルフなど。
  5. 早朝、家主が下の畑へ孫たちを野菜の収穫に連れて行ってくれる。ログハウスを出て、南アルプスの入笠山へゴンドラで登り、林を抜けて、入笠山湿地へ。そこから少し下へ戻ると、そこはお花畑になっていて、きれいなアサギマダラ(蝶々)が舞っている。ルバーブ入りソフトクリームを食べて、ゴンドラで下山。遠路、藤沢へ帰宅。
富士見町は長野県でも山梨県堺にあり、両県にまたがって色々と見れてなかなか面白いところだった。また、富士見町の四つ辻で大きな病院を見かけたが、堀辰雄の小説『風立ちぬ』(1983年)が富士見町を舞台にしているので、そこに出てくる結核患者のサナトリウム『富士見町高原療養所』かなと思ったが、あとでその後身だと確認した。(2017.07.28.)

To My Friend's House in Nobeyama, Nagano Pref. 2020

ウィルス禍が一段落して八ヶ岳東麓・野辺山の友人宅へ 2020

6月末の月曜日、前日の山梨県小淵沢の友人宅滞在を出て、10時に長野県JR野辺山駅に集合して、もうひとりの友人に会い、八ヶ岳東麓の「八ヶ岳高原海の口自然郷」内の別荘というよりこれも自宅へ行く。国道141号線から延々と10キロくらい入る大きな別荘地の森の真っ只中の家で、傾斜地なので三階建になっていて、学者生活のあらゆる本や奥さんの音楽関係の本、CDなどを全て捨てることなく保管している。ほどなく昼食が始まり、前日に続いて、総勢10名の三蜜状態で飲み食い、雑談が始まり、外は本降りの雨で、外出することなく続いた。

5時になって、我々は八ヶ岳高原ロッジへ。週末は何人かが泊まったと口を濁していたが、客はまばら。旧館のベランダがある部屋に泊まって、私はもう夕食はなし。実は雨の中にあわてて友人宅を出て、大事なリュックサックを忘れてきてしまい、それについて連絡するのに手間取ってしまって、寝る前にテレビで「伊豆の踊り子」を少し見ただけで、9時過ぎに就寝。(2020.06.22.)

翌日の火曜日は、雨が上がり、6:30に起きて、妻と八ヶ岳高原ロッジの敷地中の音楽堂・ヒュッテ方面へ散歩。朝食の食堂は外のテラスへ出て食べて、東方面へ遠く男山・天狗山が雲間に見えて(これは10年前に登った御座山のすぐ南に当たる)、いい感じ。朝食中忘れてきたリュックを友人が届けてくれて、すぐ出発。この後は、山梨県笛吹川上流の西沢渓谷へ。

Toyama Prefecture

Kurobe Dam and Mt. Tate, via the Tateyama Kurobe Alpine Route

富山県

黒部渓谷・ダム&立山。信州滞在から神奈川県へ帰って後に、小糸線で長野県大町まで行き、立山黒部アルペンルートで黒部渓谷・黒部ダムを超えて立山の室堂駅(標高2,450m)まで行って日帰りトレッキングした。これが私の唯一の富山県滞在。

Ishikawa Prefecture

Watching Go-Jinjo Drum Play Inside the National Route 249 Tunnel

Staying in a Tent on the Wajima City Seacoast

石川県

国道249号線のトンネルで御陣乗太鼓を聞く。神戸時代に、ひとりで車を運転して、能登半島の日本海岸を通る国道249号線を走った。ある町で国道の交通を止めて、トンネルの中で「御陣乗太鼓」(ごじんじょうだいこ)を観光客のためにやっていた。トンネルから反響がすごくて、トンネルの中のある個所は海に通じていて波音も聞こえて、すばらしかった。

輪島海岸でキャンプ。川崎時代に、車で岐阜県高山市白川郷を経て、輪島市の海岸へ家族でキャンプに行った。街でほぼ毎日朝市が開かれて、そこで買い物をしてのキャンプだった。

Fukui Prefecture

Eihei Zen Buddhist Temple

福井県

永平寺で座禅米国のアサインメントから帰って、日本風のものが欲しくなり、夏休みに永平寺へこもり座禅を組んだが、悟りには至らなかった。

Gifu Prefecture

Paddling a folding kayak down the Nagara River

Stopping at Shirakawa Village

岐阜県

長良川をカヌーで下る。私は1988年5月連休に、30人の仲間と神奈川県藤沢市から小型バスで美濃市へ明け方に着き、そこから長良川をカヌーで下り、関市と金華山(岐阜城)の河原にテントを設営してそれぞれ一泊ずつして、羽島市の新幹線の鉄橋前で終り、新幹線で神奈川県へ戻った。

白川郷へ寄る。上記の輪島旅行の途中で、合掌造りで有名な高山市の白川郷へ寄った。

Aichi Prefecture

愛知県

Toyota City 1964 and Nagoya City

豊田市 1964 と名古屋市

私は愛知県をよく知らない。1964年に豊田市のトヨタ自動車本社へ入社試験にいって、しばらくして内定通知を断りにいった。名古屋市もよく知らなくて、南の海岸にある東海製鉄所へ会議で行ったこと、西郊外の南山大学へそこにIBM PCがお好きな教授がおられたので訪ねて行ったことがあるだけだ。

Mie Prefecture

三重県

私は三重県へは行ったことがない。

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Prepared by Yoshi MIKAMI on November 28, 2004. Last update: Aug. 29, 2020.