Japan: 3. Kanto Region - 3. 日本: 関東地方

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I have been to 33 of Japan's 48 political subdivisions (prefectures).

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3. Kanto Region

3. 関東地方

Ibaragi Prefecture

茨城県

私は水戸市へ行ったこともないし、筑波山や大洗海岸へも行ったことがなく、茨城県は一度も行ったことがない。

Tochigi Prefecture

栃木県

Nikko 日光。栃木県といえば日光、ここへは小学校の6年生の遠足で春の日光へ行って以来、男体山・戦場ヶ原・奥日光も含めて何回かいっている。最近では、定年退職の直前ころ奥日光へスキーに行き、また中国時代にも秋の日光へいっている。

Gunma Prefecture

群馬県

Mt. Haruna 2015

榛名山 2015

父が横川の出身なので、子供のころ碓氷峠あたりへ2度ほど行ったことがある。また信州行きの汽車の中で、父がよく「赤城山・榛名山・妙義山の上毛三山は山の侵食の状態を3様に表している」などと解説してくれたが、どの山にも登っていなかったなと思っていたところ、2015年10月中旬、榛名山へ妻と旅行する機会ができた。旅行の目的のひとつに2・3年前に圏央道(首都圏中央環状高速道路)が完成して、隣町の茅ヶ崎市が出発点なので、そこを通り、厚木・高尾山などを経て鶴ヶ島で東北道(東北高速道路)へ達するのを通ることで、確かに便利になった。行程を書くと、14日は8:15藤沢を出発、9:15圏央道の海老名ICに入ってすぐの厚木PA(PA=パーキングエリア)で妻から運転を交代し、10:15鶴ヶ島JCTで東北道へ入り(前橋まで片側3車線でそこから2車線)、11:15渋川・伊香保ICで一般道路へ出て、伊香保温泉と高根展望台を経て、12:15榛名湖へ到着し、湖畔で持参の弁当。(片道200キロ弱、料金は4820円、高速道路ではみなさん大体毎時100キロで走行していた。)15日の帰路は、14:45榛名湖を出発、鶴ヶ島を経て、17:00には厚木PAで妻へ運転を交代、途中コンビニで夕食を買ったりして、18:30には帰宅。圏央道は路肩も狭くてまるで首都高速のような作りで、起伏が激しい所が多くてトラックがスピードを落とすので度々車線を変更し、大きく曲がるトンネル、途中で坂を上下するトンネルもあり、最近完成した余裕ある第二東名とは大違いの危険道路と見た。しかし途中で東名高速、中央高速へ通じ、10月には東北高速にも通じるので。確かに便利になった

1日目に宿へ到着後は、13:15にそこを出発して、すぐそばの登山口から榛名富士(1390m)へ登り(高度差は確か270m)、紅葉はまだまだで、14:15には頂上へ。頂上は300度位のいい景色で、赤城山から前橋市街・高崎市街・利根川などがよく見える。下山はロープウェイで(440円)、15:15から榛名富士の麓の榛名湖畔を30分位散歩してホテルへ帰ったが、これが最高だった。16:30から近くの「ゆうすげの湯」へ入りに行って(割引き券で440円)、18:00から宿(セゾン・ド・はるな)の夕食はフランス料理。このホテル、この時期に我々だけの貸し切り状態だった。2日目、私は6:30に起床、湖畔を散歩。8:00から湖畔のレストランで朝食を食べ、これが2番目に最高だった。ホテルの支払いを済ませて(約25,000円)、9:45にゆうすげ園へ車を置いて外輪山の相馬山へ登山開始したが、三ッ峰山へ行き帰りの所で道を間違えたことに気付き、もとの所へ戻り、11:00には再出発。紅葉を楽しみながら、11:30にはスルス峠を経て、12:25に相馬山頂上へ(1411m)。黒髪神社があって狭苦しいのですぐ下山して、見晴らしのいい所で13:15からホテルでもらったパンと持参の缶詰で昼食30分、秋の日差しの下、榛名富士と榛名湖と遠くに浅間山と多分浅間隠山を望む。私だけ、近くのスルス岩へ20分位で登りに行って、これが3番目の最高。スルス峠から下り、ゆうすげの道をススキに吹かれながら歩いて、14:30には駐車場へ戻った。両日、丁度帯状高気圧が来ていて、天気は快晴で、風もほとんどなく、行楽には最高の暖かい日だった。 (2015.10.13.-15.)

Saitama Prefecture

埼玉県

埼玉県へも行っているのを思い出した。秩父にある武甲山へ登ったことがあり、熊谷市の友達に会いに行き、熊谷駅前の熊谷直実の写真も撮ったことがある。

Metropolitan Tokyo

東京都

私は東京生まれ。ただし幼年時代を長野県で過ごした後、中野区(小学校の最終学年と中学)・杉並区(高校)・三鷹市(大学)で学び、社会人3年生までを東京の中野区・杉並区に住んだ。

東京時代台湾から日本へ戻ってから(短期間の信州時代を除いて)、東京都中央区にある営業本部のソフトウェア事業部で働いた。

Mt. Takao and Akikawa Valley 高尾山・秋川渓谷。東京都の西部は山岳地帯で、中学生ころから高尾山や秋川渓谷へはよく行った。最近2014年5月には、拝島(はいじま)駅に高校同期生が8人集まり、我々のひとりの実家に当たる石川酒造を訪問してそこで昼食にして、その後彼の家にも寄って彼の著書『なぜヒトだけがいくつになっても異性を求めるか?』を肴に旧交を温めた。 (2014.05.25.)

Kanagawa Prefecture

Kawasaki

神奈川県

川崎時代米国での仕事から日本へ戻って、川崎駅のすぐそばにあった東京プログラミングセンターで、ホストコンピューター中心のオフィスシステム(電子メールと文書処理)を開発した時で、この時には藤沢市に住んでいた。春には会社ぐるみで、夢見ヶ崎公園で桜の花見をした。

Yokohama 横浜時代。社会へ出てすぐ横浜営業所へ配属になり、約2年をそこへ東京の家から通ったので、これを横浜時代と呼ぶ。仕事は、日本鋼管、日本冶金、スタンレー電気、モービル石油など横浜、川崎一円の製造業を担当するSEで、IBM 1440、System/360 Model 20、Model 30などのコンピューターのめんどうをみた。

Fujisawa 藤沢・大和時代米国留学から日本へ戻って、藤沢市にできた製品開発研究所で(後に大和市へ移転)働いた時代で、東京その後で藤沢市に引っ越した。

The 5th Asian BBS Conference in Fujisawa 1993

第5回アジアBBS会議 in 藤沢 1993

湘南海岸・丹沢山塊・箱根は神奈川県が誇る観光地で、家の近くなので何度も行っている。湘南海岸は、以前はカヌーを漕いで東の逗子海岸や大磯・小田原海岸まで行ったり、自転車で東へ相模川まで行ったり、最近は独りであるいは友人たちとゆっくり散歩したりしている。丹沢山塊は...箱根は...

Kamakura 鎌倉:
鎌倉:天園ハイキングコース。5月中旬の火曜日に、以前勤めていた会社の先輩と北鎌倉駅で待ち合わせて、鎌倉の町の北側の山路をめぐる天園コースを歩いてきた。全体で10キロくらいになるコースで、明月院の横から山路へ入り、晴天下の太陽を浴びながら天園という所で手製のおにぎりも食べて、鎌倉宮へ出て、そこから鎌倉駅まで歩き、結構楽しめた。私は以前の会社では大型コンピューターに接続・使用される表示端末機シリーズの開発部門で15年くらい仕事をしていて、途中で他の部門へ移ったので、この先輩はその後退職するまでその部門にいたので、いくつかしっかり思い出せないことを聞きただした。(これらの端末機の詳細はWikipediaに載せている。)また最近彼の紹介で、その頃の米国の同僚たちにも連絡が取れ、彼らが日本へ来た時に一緒に鎌倉の八幡宮へ寄り、端末機の開発が成功するように絵馬を奉納したり、ひとりは東京で石灯籠を買ったので、重い石灯籠を本当に持って帰ったかも聞いたりしたので(本当に持って帰っていてニューヨーク市北郊外の自宅の居間に置いてあるという)、こんな話題も天園コースを歩きながら話した。鎌倉にはこれ以外に町の東側の山路を歩く大仏・銭洗い弁天・極楽寺コースがあるので、近々行ってみよう。 (2013.05.14.)

鎌倉:源氏山・大仏ハイキングコース。上と同じ月の土曜日にここへもひとりで行って歩いてきた。JR北鎌倉駅から県道を少し歩いて浄智寺から南の源氏山公園へ上がり、ずっと山路を歩いて、銭洗い弁天で団子とお汁粉で昼食。鎌倉大仏へ下って、街中を歩いて長谷観音へ出て、そこから成就院でアジサイ(紫陽花)と由比ヶ浜を眺めて(明月院のアジサイほどではない)、極楽寺から江ノ電に乗って江の島へ出て、歩いて自宅へ帰った。昔子供たちと一緒に桜の花の時期にいったことはあったが、久し振りのハイキングコースで、次週の新疆旅行の身体訓練をしたつもり。 (2013.06.01.)

A Stroll in Oiso Town with Dad (1988) 大磯町:
父と大磯町を散歩(1988年)

A Stroll in Oiso Town Again in 2014 大磯散歩(2014年):以前3・4回いったことがある大磯町をまた散歩してみたいと思っていたので、金曜日に雨が上り、陽が指してきた午後に『神奈川さわやか散歩』の本を片手に行ってきた。JRの電車で4つ目の大磯駅で下りて、跨線橋から北側へ回ったのが1時半。まず湘南平の高台の一部の高田公園へ急坂を登って、大磯の町と相模灘を見下ろす風景を見て、下ってJR東海道線をくぐって島崎藤村旧宅を見学した。信州生まれの母が『若菜集』から始まって大の藤村ファンだったこともあって、そこの係員と「信州生まれで東京に長らく住んでいた文豪が、晩年になぜ大磯に住んだか?」の雑談をして、毎年1月14日夜に海岸で行われる勇壮な左義長(ドンド焼き)を見て気に入って決めたのではないかという私の推察が正しいことを確認し、私も以前大磯に住む友人と各部落が集まって海岸で一緒にやるドント焼きを見て感激したことがあると話す。次に、国道1号線へ出て旧東海道松並木を歩いて、「滄浪閣」を見てから西湘バイパスをくぐって「こゆるぎの浜」(万葉集に出てくる歌で有名で、平塚から小田原の海岸をいうらしい)へ歩く途中で、大磯町のガイドをしている人に会い、いまは固定資産税逃れの駐車場がおもな業務の滄浪閣は伊藤博文の住居跡で、そのあたりは「元老街道」と呼ばれ、沢山の政治家・実業家の別荘地帯で、などと説明してくれる。以前友人と見にいった大磯海岸のアオバトはいまも来ているとも説明してくれたが、湘南平はタカの類が南へ渡る前の集合地だとは、知らないようだった。

海釣りの人たちがまばらに見える勇壮な海岸を歩いたあと、また西湘バイパスをくぐって1号線へ戻る時に、防風林の手入れをしている人たちが「いいカメラを持っているね。」と話しかけてきて、そこに黄色の花が咲く(実を付けた?)ウメモドキが珍しいから持って行けというので、貰ってきた。次に「旧吉田茂邸再建基金」の宣伝がかかる町役場の隣りの「鴫立庵」へ寄り、ここは西行法師が「心なき身にもあわれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」と詠んだところと伝えられている。鴫立沢の水音がいい庵だが、狭くて暗くて好きではなく、そこにある「湘南」という言葉な大磯が発祥地という石碑は、藤沢人としては納得いかない。さらに国道を歩き、大磯宿跡を通り過ぎて、井上蒲鉾店でハンペンを買い、高価なのですぐ反省。湘南信金で駅方面へ曲がると地福寺があり、島崎藤村の墓がある。以前父を案内した時に、ここと駅前のコーヒーショップへ寄ったことがあるのは覚えているので、町立図書館をのぞいた後、駅前広場にレストラン「風月堂」があったので、パンケーキ付コーヒーを取った。文化の日に湘南国際マラソンがあるので、「大磯宿場祭り」もそれを避けて11月第3週に延期したなどの雑談に合いの手を打つ。隣りの歴史あるらしい風月堂洋菓子店は閉鎖していて、このコーヒーショップも10年前に持ち主が変ったそうで、そこも5時には閉まるというので、閉店直前にそこを出た。駅前のエリザベス・サンダーズ・ホームの聖ステファノ教会へ以前長野聖救主教会に人たちと隠れキリシタンの遺品の展示を見たこと(1999.10.07.)を思い出したが、そこへ寄る時間はなく、鴫立沢の係員が新聞紙につつんでくれたウメモドキをかかえながら電車で藤沢駅へ戻り、帰宅した。 (2014.10.24.)

Climbing the Tanzawa Mountains
丹沢山塊で山登り:
私が住んでいる神奈川県は北側に丹沢山塊があり、丁度東京人が中央線/西武線で高尾山/秋川渓谷などに行くように、我々は小田急線で丹沢の大山や鍋割山や宮ヶ瀬ダムや丹沢湖などへ行く。丹沢は私が藤沢研究所に勤めていたころ毎年5月に丹沢集中登山があり会社の同僚たちと登っているし、東京・箱崎に勤めていたころもLAMN山登り会で塔ノ岳に登っていて、そのコースは下りがダラダラと長かったことを覚えている。

二ノ搭・三ノ搭・塔ノ岳 1)。2012年真夏に、丹沢へ山登りにいってきた。この日はいつも通り家でオニギリ・卵焼きを作っていたら出足が遅れてしまい、8:40ごろ小田急線秦野駅で降りてヤビツ峠行きバスに乗ろうとしたら(下の注参照)、最終バスがなくなっており、タクシーに乗ったら4千円もかかってしまった。注:丹沢にはヤビツ、ユーシンなど不思議な名前がたくさんあり、以前朝鮮の新羅と戦って敗れた任那・高句麗の人たちが神奈川県に亡命してきた歴史があり、その頃の名前が残っているという説を私は信じている。

9:40にヤビツ峠から登山を開始して、二ノ塔・三ノ塔を抜けるいわゆる表縦走路「表銀座」を歩き、この日は下界が35度位に達する暑い日だったが、山は霧が出て涼しく、そのおかげで富士山は少ししか見れなかった。14:10に塔ノ岳(1491m)に達し、少し休んで、14:30に下山を開始して、以前経験した通りに眺めがいいがダラダラした山稜を歩いて、17:00過ぎに大倉へ着いたらそこに待っている感じの渋沢駅行きバスに乗って、相模大野・藤沢駅経由で自宅に帰ったのは19:00過ぎになった。登山コース上は6時間のところを、ほぼ連続で7時間かかって歩いたので、リュックサックもカメラも汗だらけになり、もう疲労困憊して、翌々日まで足が少し痛かった。 (2012.08.16.)

二ノ搭・三ノ搭・塔ノ岳 2)。 2014年の秋の土曜日に、仲間5人でまた行ってきた。この日も曇り空で、富士山は見えずだったが、涼しい登山だった。塔ノ岳から大倉への長い下りが更に長く感じられて、疲労困憊した。 (2014.10.04.)

In and Around Odawara City 小田原市:
小田原市は独特の文化を持っており、藤沢南図書館主催の「小田原文学散歩」で、小田原城・小田原梅林・北原白秋の「からたちの花の小径」などへ行っている。 (2013.11.12.&13.)

Climbing the Outer Rims of the Hkone Mountains 箱根の外輪山をハイキング: 
金時山金時山1213mへ登り、その時は晴れていて、富士山が良く見えた。 (2006.11.18.) また曇り空を、いって来た。 (2014.10.20.)

明星ガ岳・明神ガ岳。中国の旧正月休暇で1週間日本へ帰っている。このところ日本へ帰ると、自宅から箱根へは車で1時間ぐらいで近いので、日帰りハイキングにいっている。おとといは箱根の外輪山の明星ガ岳924m明神ガ岳1169mへ登るコースに、連れ合いといってきた。強羅(ごうら)温泉の下の方の宮城野あたり(@老人ホーム)に駐車して、すぐ急坂を登り明星ガ岳へ。そこから尾根を歩いて、おにぎり弁当を食べ、霧が晴れるのを見て明神ガ岳へ行き、そこから火打ガ岳の手前の鞍部からヒノキ林を下山開始。天気予報では午後から晴れるはずが、午後遅く小雨が降る中を宮城野へ戻ってきて、湯元温泉の弘法の湯あたりに入ろうとも思ったが、遅くなったので、そのまま箱根をあとにして、途中茅ヶ崎の大連菜館で夕食を食べて帰宅。(2007.02.19.)

Chiba Prefecture

千葉県

Inage and Funabashi Sea Coasts 千葉県北部の東京湾沿いの稲毛とか船橋は私が中学・高校生の頃は、比較的きれいな海岸の海水浴場で、4月の大潮の時には潮干狩りが盛んで、毎年クラス替えがあったので前年のクラス会などと称してみんなでよく潮干狩りにいった。

千葉県の松戸市の本土寺へ、秋に高校同級生と行ったことがある。 (1999.11.21.)

Yoro Valley 1999

養老渓谷 1999

1月末の土曜日に、LAMN山の会で千葉県中部にある養老渓谷へ日帰りで行ってきた。アプローチ : 1.総武線快速乗車:横浜(7:18)品川(7:39)東京(7:51) 錦糸町(8:00)津田沼(8:24)千葉(8:35)。2.内房線乗車:千葉(8:40)五井(8:58)。特急利用の場合は、さざなみ5号 東京(8:30)蘇我(9:00)五井(9:08)。3.小湊鉄道乗車 五井(9:22)養老渓谷駅(10:23)。交通費 : 2170円(東京から片道) 特急利用は+950。行 程 : 養老渓谷駅 30 女ガ倉 55 上古屋敷 20 大福山(292m) 40 女ガ倉 40 夕木台 20 奥養老バンガロー村 25 弘分洞 60 養老渓谷 (徒歩合計10時間半)。帰りは17:20の小湊鉄道乗車の為、時間がないので打ち上げは電車の中。 (1999.01.30.)

Visiting Southern Chiba Prefecture 2010

南房総へ小旅行 2010

税金申告がまだだったので、旧暦正月の3日から短期間日本へ帰った。中国の旧正月休みなので混んでいて、JALしか空いてなく、往復運賃が5千元を超えてしまった。日本の家で申告書をがんばって書いたら、計算しだして税務署へ届けるまで3時間で終わって、近ごろの最短時間記録だった。それで、以前勤めていた会社の健康保険組合が経営する海の家が千葉県館山市にあるので、ワイフと一緒に一晩泊まりでいってきた。藤沢市から車で鎌倉・葉山を過ぎて、林交差点というところからNTT通信研究所・YRP(横須賀リサーチパーク)へ寄り、そこで写真を撮り、そこから三浦半島の一番先までいって東京湾フェリー(久里浜〜金谷)に乗ったが、最近「海ほたる」(東京湾アクアライン)経由が無料(千円?)になったため、毎日14便のフェリーはガラ空きになっていた。(ちなみにフェリーは乗員2人で往復が8260円だった。)我が家の車はETCなどという5万円だか3万円もする機器は搭載していないので、我々は東京湾フェリー存続署名に協力してきた。

私は館山の2駅手前の富浦町におじさん・おばさんがいて、中学・高校生のころそこに毎夏2週間くらい遊びに行っていて、おじさんは医者でそのころめずらしいテレビを見て、自家用車で鴨川高校へ剣道試合観戦などあちこち連れていってくれたので、館山へも花火を見にいつもいったりしていたので(「ナイアガラの滝」という仕掛け花火があった)、このあたりは多少知っている。宿泊先は以前私たちの子供たちが小さいころ来たこともある館山湾に面した海の家で、いまはもとの雇用主ともう一つの電機会社との共同経営に変わっていて(1泊ひとり4500円)、どうやら私はこれからはこの電機会社の保養所も使えるらしい。夕食は「キンメダイ」コースを特別注文してあったので(1500円追加)、おいしかたが食べきれなかった。

翌朝は近くの洲埼(すのさき)灯台を見て、房総半島の南端の千倉(ちくら)へ廻って、「花つみ」といって、近くの農家が道の駅近くに花園を開いて、そこで好きな花をつんで、買ってゆけるところが沢山あったので、好きに寄った。折からの陽光に照らされて、いい時を過ごした。そこから帰路に着き、岩井駅から少し内陸の富山(とみさん、標高369m)へハイキングがてら登ったら、ここは「南総里見八犬伝」の伏姫(ふせひめ)が愛犬・八房(やつふさ)と洞窟にこもって、そこで八剣士が生まれ、お家再興後に終えんを迎えたところで、ここで持参のおにぎり昼食を食べて、景色もよくなかなかよかった。夕方のフェリーが出る前に時間があったので、鋸山が東京湾へ尽きるところの明鐘(みょうがね)岬で、夕日が東京湾というか、相模湾というかに落ちるのを見て、金谷〜久里浜フェリーに乗って帰った。 (2010.02.19.)

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Prepared by Yoshi MIKAMI on November 28, 2004. Last update: April 23, 2016.