アカシア便り−19(木澤さんの大連,鞍山,瀋陽)   1995年 6月15日

 5月25日から6月1日までの1週間、現役時代に大和證券のプロジェクトで一緒に

仕事をしたことのある元IBMの木澤要治さんご夫妻が来連されて当学院にも4泊した。

木澤さんは鞍山市の出身で,終戦の小学校3年生までそこで過ごされたということだ。

今回の訪問目的は,大連での日本語教師としての可能性を見極めることと、第二の故郷・

鞍山市を訪ねることであった。

 彼の最初のスケジュールでは,大連は素通りして鞍山と瀋陽に行き、私の授業の一部

を参観するだけであった。しかし,この時期は年に一度のアカシア祭りが催されること

になっており、私たちもこれを見に行くことを楽しみにしていたし,木澤さんにもこの

時期を選んでいらっしゃいと言っていたので,当初のスケジュールを少し変更して大連

観光を織り込むことにした。

 アカシア祭りは労働公園と聞いていたので,民航大厦で木澤さんの帰りの航空券をリ

コンファームした後,すぐ目と鼻の先にある労働公園に行った。戦前は 中央公園と言っ

ていて,自由に出入りができていたのが今は5元の入場料を払うことになっている。中

には 屋台があったり露店のサーカスがかかっていたりしていた。当日遠足に来ていた

のか,小学低学年の子供たちがあちこちで大勢遊んでいる広い敷地内をゆっくり散策で

きた。昼食は,屋台の包子とビールで軽く済ませてサーカスを見、約2時間ぐらいでそ

こを出た。アカシアだけを見るのであれば,学院内にも立派な木が花を咲かせているし、

鞍山にもたくさん咲いていた。

 この後,木澤さんの奥さんが組み紐を用いた手芸品の趣味を持っていることを聞いた

ので手芸品のルートを探していたところ,大連の観光コースにもなっている刺繍工場と

貝殻細工工場があるとのことで,そこに行ってみやげ物を少し買うことができた。もっ

とも,買ったものは奥さんの趣味の手芸品とは全く違うことがあとで分かった。

 鉄鋼の街・鞍山は,中国でも鉄鋼業は斜陽となっており治安に問題があるとのことで

当学院でも大変気を使ってくれた。そして,全行程を車で行くか、誰かスタッフを同行

させるかで最後まで揉めたが,結局,鞍山出身の若い元明松先生が同行してくれること

になった。

 木澤さんも当初は中国人の案内者がいればと言っていたくらいだから,その要望にも

ぴったりで学院の配慮に感謝した。

 往きは 急行の軟座車で5時間半ぐらいかかって鞍山駅についた。ホテルは 鞍山で唯

一の五つ星で車でも10分ぐらいの所だと聞いていたが、ここは木澤さんのテリトリー

なので,懐かしの街角や学校などを尋ねながら2時間近くかけて市内の目抜きを通り、

ホテルまでゆっくり歩いて行った。元明松先生とは,ホテルで明日の千山行きの打合せ

をして別れ、我々は少憩の後タクシーを6時まで貸し切って鉄工所から鉄西の方面を探

索し,最後は二一九公園に回ってもらった。二一九というのは 2月19日が鞍山の開

放された日であり これを記念して付けられた名前だそうである。木澤さんも幼い日の

記憶が鮮明によみがえるのか,8月15日の終戦の日にこの公園の池の端で遊んでいた

ところ,お姉さんが探し回った挙句 やっと見つけて家に連れ戻されたことなどを詳し

く話してくれた。その二一九公園では傘祭りが行われていて,大小さまざまな赤や黄色

の傘が飾られていて,昼間は何か催しが行われていたらしい。我々が訪れた6時過ぎに

は 人もまばらで閑散としていた。

 公園を出たら7時を過ぎていたので直ぐそばの野外食堂で 生ビールに焼き肉やその

他の珍しいものを食べたあと 酔い冷ましに20分くらい歩いてホテルへ戻った。ホテ

ルロビーでは,鞍山にしては珍しく都会の雰囲気を持っていてピアノの演奏をしており

コーヒーを飲みながら演奏を聴き、そのあと10時頃に おのおの部屋へ戻った。

 翌日は千山行きだが,朝から窓の外は真っ黒な雨雲におおわれとても山登りの雰囲気

ではない。元明松先生がマイクロバスをチャーターして来てくれる手はずになっていた

のだが、定刻の8時過ぎに電話がかかってきて,昨夜約束したバスが手付金50元を持っ

て行ったまま時間になっても来てくれないとのこと。ひとまず,先生にホテルに来ても

らって善後策を練ることにした。彼がホテルに着いたころには,横殴りの雨が相当激し

く降っていた。タクシーだと4人が定員なので,結局,先生には残ってもらいわれわれ

4人が行けるところまで行こうという結論になった。先生とは,1時に昨日立ち寄った

デパートの入り口で落ち合うことにして出発した。

 千山ではタクシーの運転手のお陰で,ずぶぬれになりながらもかなりのところを回る

ことができてやはり来た甲斐があったと,皆で喜び合った。木澤さんには大雨の中を多

くの記念写真を撮ってもらい,またビデオにも撮ってもらって後で送っていただき大変

よい記念になった。

 千山には九九九の山がありあと一つの山を神様が作ったので,この名前があると言わ

れている。昔は修験僧が修業したところであり 険しい山のあちこちに修行した僧坊が

建っていて,その中でも有名なのが天外天、一線天、五仏頂などと言われている。学生

に書かせた旅行記にも,数名の人がその素晴らしい景観を描写していた。大連からは通

常,夜の10時頃にバスで出発して朝3時頃に千山に到着し、それから目的の山に登っ

て 御来光を拝むのがコースになっているらしい。大雨の中とは言えかなりの人出があ

り、運転手のお陰で その一端に触れることができたのは何よりの幸せであった。

 午後は,予定通り元先生と落ち合って,遅い昼食を食べてからデパート巡りをし、早

めにホテルに戻りシャワーを浴びてさっぱりとした。木澤さんは,奥さんと一緒にホテ

ルのハイヤーを借りて町に出かけ,想い出の横町などを探索したことをあとで伺った。

生まれ育った家は,今では薄汚く汚れが目立ち家の周りにも大きなデパートが立ち並び,

その余りにも大きな変わり様に過去の美しいイメージがすっかり幻想となって,第二の

故郷に対する想いが吹っ切れたと言うことであった。

 これはこれで一つの収穫であったのかも知れない,と人ごとながら想う。

 さて,いよいよ大連に帰る日であるが,切符もルートもまだ決めていない。元先生が

いるから何とかなるだろうという気はあるが少し心細い。木澤さんは,小学生のころに

行ったことのある遼陽の白塔へ行きたいとのこと、バスで1時間くらいなので,先ず遼

陽に往き,昼までに瀋陽に出てノンストップ特急『遼東半島号』で大連に戻ることにし

た。

 遼陽の白塔は さすがに見ごたえのある立派な由緒ある塔であり 西安の大雁塔や小雁

塔を彷彿とさせるものがあった。園内は広々としており,アカシアの花もきれいに咲い

ていた。白塔のある公園は駅から近く,落ち着いた静かな街の雰囲気がよく分かって来

てよかったという思いが強かった。

 ここからバスで,高速道路を一路瀋陽を目指して約1時間かかると言う。11時過ぎ

に座席はバラバラだが,運よくバスに乗ることができたのはよかったが高速道路を降り

てから瀋陽駅までの道のりが長かった。

 特急『遼東半島号』は大連まで4時間で着くので,切符さえ手に入れれば問題ないの

だが,瀋陽で切符を手に入れるまでは気が気ではない。大連を出る時には,瀋陽発は午

後1時ごろと聞いていたので,12時半にバスで瀋陽についた時には時間が切迫してお

りかなり焦った。しかし,瀋陽駅の窓口で確認したところ,16時20分発だと分かり

一安心、後は切符を手に入れることだけである。元先生がいるから問題なく切符も手に

入り、あとは 大連駅到着の時刻を学院に連絡して,迎えの車の手配をしてもらうこと

である。すべての手続きが終わって,やっと昼食のために駅近くの中華料理店に入り、

余裕を取り戻すことができた。

 初めて乗る『遼東半島号』は,広軌鉄道で乗り心地はまぁまぁであった。乗客はまば

らで席を譲り合いながら,我々5人で2桝8人分の席を占領してゆったり旅行ができた。

 昼食が遅かったので,乗る前に買った果物を食べたり白酒などを飲みながらいろいろ

な話ができた。午後8時30分ごろ大連駅に着き,迎えに来た曲国祥のマイクロバスに

乗って予定通り学院に帰り着きホッとした。

 旅行の時は,いつも崔助教授のアルバイト先である国際旅行社に切符の手配を頼むの

だが、瀋陽発のノンストップ特急の発車時刻すら適切にガイドできないのが中国の現実

の姿なのである。

 翌5月30日(火)は,私の8時からの授業を木澤さんご夫婦が参観することになっ

ているので,ただ木澤さんを学生たちに紹介して授業を見ていただくだけでは面白くな

いので,教科書の一部を私とは違う発音で朗読してもらうことにした。ところが,アナ

ウンスを専門に勉強されたという奥さまの朗読が素晴らしく,学生たちはそのきれいな

発音にウットリと聴きいっている様子がよく分かり,私もそのすばらしさにすっかり感

心してしまった。93級19名と94級30名の2クラスの会話授業が連続していたの

で,全員に紹介できたのは何よりであった。

 午後は 企業管理の時間だが,ちょうど章の区切りだったので確認テストを宿題に出

して休講とし、我々4人は開発区、新港、金州を巡って夕刻に帰り,ゆっくりと夕食を

とることができた。

 大連最後の日は南山賓館に泊まってもらうことになっていたので,白雲雁水、傅家荘、

燕窩嶺、濱海路から老虎灘を回り、夕刻5時に 張賢淳教授を南山賓館に招いてお別れ

パーティを開き,1週間の旅の締めくくりとした。張賢淳教授との懇談の場を設定した

のは,光吉さんからの依頼で,木澤さんに再渡航について教授の意向を確認してくれと

いうことだったので,お別れパーティに名を借りて席を設けたのである。

 この旅行中,木澤さんご夫妻のホテル代はかなり圧縮できたが,我々の分まで多額の

食事代を負担していただいき大変恐縮であった。