アカシア便り97(日本からのお客さま)    '99-06-05      

 5月は日本からの訪問が3組あり、何かと忙しかった。

 先ず、5月1日に富山から小学校同窓の幅良和さん1行4人が来連した。
 幅さんは旅順第一小学校の同窓会『なつめ会』の会員であるが、大連沙河口小学校に
も在籍していた関係で、その『アカシア会』の会員でもある。私自身は、富山と言えば
『極楽坂スキー場』での家族スキーや、『なつめ会』の同窓会があった時に宇奈月温泉
から黒四までトロッコに乗ったり、室堂までバスで登り頂上の温泉に浸かったりした
思い出がある。特に『鱒ずし』がうまかったのが忘れられず、事前に何度か電話や
Faxで連絡を取り合っているうちに、特に頼んで『鱒ずし』をみやげに持って来て
もらうことにした。
 今回は奥さんと沙河口小学校の同級生2人、計4人での昔を忍ぶ大連訪問である。
幅さん自身は前に大連を訪問したことはあるのだが、団体旅行だったため行きたい
ところ、見たいところに自由に行けなかったという悔いがあり、今回は同級生を誘って
の個人旅行である。同級生2人は引き揚げ後初の大連訪問で52年ぶりということもあり、
見るもの聞くものすべてが新鮮な驚きと懐しさが一杯の様子であった。幅さんの奥さんは
大連には何のゆかりもない人で、家で電話を受けても『なつめ会』や『アカシア会』が
交錯して『時々どちらか分からなくなる』と言って笑っていた。
 1日はメーデーで休日だったので、私は4人を出迎えるため空港へ行った。大連の
国際旅行社が用意したマイクロバスに私も同乗して、ホテルにチェックインする前に
直接沙河口小学校(現第37中学)に立ち寄った。この中学には同窓会から母校へと
グランドピアノを寄贈しているので、校長先生にお目にかかって是非校内を参観したい
と希望していた。しかし、この日は休日のため守衛さんしか居らず、校内には入れて
もらえなかった。それでも思い出がたくさんこもった学校に52年ぶりに来たのでその
まま帰る気分になれず、校庭を見て回ったり、守衛さんと一緒に写真を撮ったりして
『3日にまた来ること』を約したあと、昔住んでいた旧居を訪問することにした。
 この一帯は日本統治時代は満鉄機関車工場と職員の宿舎があったところで、今でも
そのまま機車廠(機関車工場)と工人宿舎のアパート群として使われている。私の囲碁
仲間である呉忠明さんの家もこの一角にあり頻繁に行き来しているのだが、今回の訪問
者にこれほどの感激と感動を与える場所だとはつゆ知らなかった。
 3日は朝8時半に宿泊先のフラマホテルで落ち合い、ホテル前に停留所のある801
番の観光バスに乗って黒石礁の海水浴場に行った。801番の観光バスは大連市旅游局
の役人がわざわざハワイに行って参考にして造ったもので、展望車もあり通常料金の
2倍で2元とられる。黒石礁の海水浴場は現在埋め立てられて、新しい自然博物館に
様変わりしており昔日の面影はない。しかし、ごつごつした岩と岩の間に昔飛び込み台
として使ったコンクリートの懸け橋の一端があってみんなは喜んだ。 折角ここまで
来たのだし、今度はいつ来られるか分からないので、30元の入場料を払って自然博物
館に入った。1階は地球誕生から数千万年前の恐竜時代の展示物、3階は鯨や鮫やシー
ラカンスなどのいる海洋博物館になっている。広々とした博物館の敷地内は小中学生の
参観者が多く、帰りの裏道の路上では中国解放軍の新兵の歩行訓練なども見られた。
 時間の都合で昼食を先に済ませてから小学校を訪問することにしたので、星海公園まで
ぶらぶら歩き、昔に比べ狭くなった砂浜で波と戯れしばらく遊んだ。
 午後は大連駅前始発の路面電車に乗り終点の沙河口駅まで行った。駅からは思い出
の道を歩きながら沙河口小学校まで行き、約束の校長先生に会うことができた。40才
過ぎの才媛といった感じの美人校長で、快く校内を案内してくれた。懐かしいレンガの
旧校舎の裏側には2年前に真新しいモルタル校舎がすでに建てられていた。近い内に旧
校舎は取り壊される運命とのこと、取り壊される前に参観できてラッキーであった。
 この後、旧居訪問と藤井さんのお父さんが勤めていた機関車工場内の研究所を見るた
め、特別に工場の門扉を開けてもらって中に入ることができた。我々一行を見ていた
近所の中国人が2棟先のアパートに日本人が住んでいることも教えてくれた。それから
赤いピーナツを求めて蔦町市場(現玉華市場)までバスに乗って行った。この蔦町市場
は私の住んでいるマンションの近くにあり、日常の買出しに利用する所で、目的のピー
ナツがあることを前日確認しておいたので効率よい買物ができた。
 夕刻は1日中歩き回った疲れでぐったりし、近くの私のマンションに来てもらい、
予めかみさんが用意してくれた夕食を一緒にとりながら昔ばなしに花を咲かせた。
 今回の訪問者と同じ経験を持つ私にとっては、当地にいればこそできるお手伝いなの
で、みんなに喜ばれたことは私自身の喜びでもあった。

 次は日本IBM時代の30数年来の友人、川田嗣郎さんのゴールデンウィーク最中の
訪問である。彼は入社以来、松下電器産業の担当SEとして同じ部門で仕事をしていた
時からの付き合いで、2年前に早期退職をしている。その後、SE部から研究所、流通
営業部へと移った変わり種で、『SE論文』の特別賞を受賞したり、『かな−漢字変換
ロジックの考案』で特許をとったり、『POS論文』により情報処理部門の技術士の
資格をとったりした実績を残している。
 来連の目的は、コストメリットを狙ったソフトウェア開発の現場視察で、私の勤めて
いる会社の来賓としての訪問である。総経理が出迎え歓迎のあいさつをした後、現場視
察をし、歓迎夕食会には総工程師(技師長)の張利民さんがホストとして迎えてくれた。
来賓の歓迎夕食会は会社の恒例行事の一つで中華料理が一般である。この日は傅家荘の
『仲夏客舎』という宿泊設備もある閑静な別荘に招かれ、珍しい貝など活魚料理が食膳
を豊かに彩った。都合のよいことに、張利民さんは私と同じマンションに住んでいるの
で、彼の車でホテルまで川田さんを送り一緒にマンションに帰った。
 私は川田さんの能力をよく知っており、折角大連に来るのに手ぶらでは惜しいと思い、
2時間の講演を依頼することにした。会社にとっては同じ情報システム分野の大先輩
なので、彼の得意分野の話題を5つ提案しその中から選んでくれるよう頼んだ。
結局彼が選んだテーマは『Information Technology−情報通信
技術、日米の動向』というものであった。会社では前日に掲示板に発表して、参加資格
をプロジェクトリーダー以上に絞ったところ総経理以下22名の参加者があり、大変
好評であった。
 OHPと通訳を使った講義内容は、中国のコンピューター技術者にとっては大変新鮮
な反響をもって迎えられたことも成功要因の一つとしてあげられる。

 次は大連市主催のアカシア祭りへ来賓として来られた長兄の友人、井田十四生さん
ご夫妻である。彼は大連2中から旅順高校、東大、大和證券へと進み長兄の旅順高校
時代の同窓で今でも親しく付き合っている。妹の美千代さんは、私が入社した時の人事の
採用担当であり、兄の十四生さんも大和證券の情報システム部長として水田真一理事と
親しく、入社に際していろいろとお世話になった恩人である。
 今回の大連訪問は54年ぶりの回顧旅行とのこと。4泊5日でスイスホテルに宿泊し
て10.5万円と格安で、48名の人たちと一緒である。団体といってもアカシア祭り
の歓迎夕食会以外は完全に自由行動となっている。井田さんとは4月に入ってから2〜
3回、手紙と電話でのやり取りがあって、私の心積もりがはっきりしていた。
 大連市内の旧居訪問や学校訪問は何の支障もないが、未開放地旅順の訪問については
違反者への高額な罰金があるので細心の注意が必要である。先ず、当地旅行社の総経理
である呂同挙さんに相談したところ、費用の面で折り合いがつかずこちらから降りた。
次に、旅順児童教育後援会の縁で、九三小学の児童6名と女教師1名が日本へホームス
ティのために渡航する航空券を購入してあげたことから、この教師にお願いしてみるこ
とにした。幸い、快く引受けてくれ校長先生や旅順口区政府の方とも連絡をとってくれ
たので、これを利用することにした。しかし、井田さんが希望した黄金台海水浴場は
入境禁止区域とのことで行くことができず、残念であった。
 車は管理幹部学院の教え子に頼んでマイクロバスを格安の400元で世話してもらい、
旅順訪問は定額2万円でお願いした。井田さんご夫妻と案内役の私と旅順の女教師だけ
ではマイクロバスに余裕があるので、井田さんの友人もお誘いした。
 その友人は河田さんと言い、井田さんとは旅順高校の同期だが理系出身で凸版印刷の
常務取締役であったとのこと、奥さんは芸大出身のシャンソン歌手で河田黎という芸名
である。前々日、シャングリラホテルであった大連市主催の歓迎夕食会の席でそのすば
らしい喉を披露したそうである。
 旅順訪問はお決まりの爾霊山とそのふもとの桜公園、東鶏冠山、水師営会見所である。
これ以外に、無理のないように女教師に頼んで、今は第56中学になっている旅順高校
の仮寮の塀の中に車ごと入れてもらってゆっくり参観した。それから、海軍司令部に
なっている旅順高校校舎と博物館の前をゆっくり通過し、旅順で唯一の三つ星ホテル
『新世紀大酒店』で昼食をとった。昼食は甘酢あんをかけた骨ごと食べられる黄魚の
から揚げにえんどう豆の炒めもの、湯麺と焼きそばという軽食であった。その後は新市
街をもう一度迂回してもらい、満鉄バスのあった大正広場まで戻って2人が旅順高校時
代に食券なしで食べられたという思い出の食堂を探しあてた。白玉山のふもとを回ると
旧市街に出る。井田さんは学生時代、兄と一緒に我が家を訪問したことがあるとのこと
だったので旅順南路の入り口に当たる民政署の方を迂回してもらおうと思ったが、工事
中で通れず河田黎さんが生まれたという旅順病院の前を通ってもらった。
 車中でいろいろと話をしていると、黎さんは金州民政署の最後の署長であった山口
さんの娘さんとのこと。お父さんは関東州庁でも相当な役職にあったようで、翌日
かみさんと一緒に月見が丘(現星海一站)の官舎を探して出して、家の中まで入れて
もらったとのことである。今回はからずも井田さんご夫妻の大連での旧居訪問と旅順
行きに同行でき、少しでもお役に立てて幸いであった。

アカシア便り目次へ戻る