アカシア便り78(娘と孫の訪問)            '98-07-12

 7月5日(日)に長女の純子が5才と1才半の子供をつれて大連まで来てくれた。

会社での夏休みは皆が交代で1〜2週間とるのだが、皆がとりたがるシーズンを外して

一足さきに休みをとってやって来たのである。

 同じ会社に勤める旦那は今回は留守番役である。この夫婦は始めから共働きで生活を

支え合って行こうと言ってスタートしたはずなのだが、どうもうまくいっていないらし

い。共働きで子供を育てるのはなまやさしいことではない。どうしても女の方に負担が

多くなり、夫の協力がなければやっていけなくなる要素が強い。ところが、男の方に

家事は女の役目という意識があるのか、日常の子供にかかわる仕事が後手後手になって

しまい、これが積もり積もって妻の不満が欝積する結果、大きなマグマになっていつの

日にか爆発してしまうらしい。

 わたしにも共働きではないが、その経験はある。かみさんに頼まれたことを忘れた訳

ではないが後回しにしていた結果、『なにも協力してくれないのね!』と言って責めら

れることがしばしばある。男の論理で言えば『寝るまでにやればいいこと』や『明日で

もいいようなこと』と思っているのだが、女はそうではない。家事というのは気が付い

た時にすぐやらなければ積もり積もって、家の中はてんやわんやになってしまうという

ことを肌で知っている。事実そうなのだが、これが男にはもう一つピンと来ないのだ。

別に、男は外で働き、女は家事をやっていればよいという杓子定規的な考えではないの

だが、家事に対する逼迫感が男と女では根本的に違う。

 そこで問題になるのがこの永遠に交わることのない行き違いに対する男の態度である。

男の側に『相手を理解しよう』という思いやりの態度があれば、女は少々のことは我慢

してついて来てくれる。毎日の待ったなしの単調な繰り返しの家事に追われている女の

立場からすれば、『男はずるい!』と取られがちだが決してそうではない。

 しかし、当事者にとっては『お互いに思いやりの心があれば!』すべて解決できると

いうのは、余りにも事の本質を理解していない第三者の絵空事だと取られるかも
しれない。

  娘のわずか5泊6日の滞在中にも、2人の子供の世話をすることがいかに大変なこと

かという事がよく分かった。先ず、当然のことながら子供の生理現象には待ったがない。

食べること、排せつの処理、しつけ、教育等々、その上、清潔に保つことは子供の養育

には欠かせない。掃除は小まめにやらないといけないし、洗濯も山ほどある。

 このどれ一つとしておろそかにはできない。手抜きもできない。毎日が本当に戦場の

ような慌ただしさである。子供が食卓で食事をするのがいかに大変なことか、短気な

親ならこれだけで頭に血が上ってしまうだろう。いわば子供との根気比べである。

 このような状況のなかで、家事の一端を夫に担ってもらいたいというのは当然だし、
夫の側もこれに協力しなければならないと思う。女の立場からすれば、せっぱ詰まって
夫に頼んだことを、男の方ではそうとは知らずに軽く受け止めて、頼んだことを後回し
にされたのでは『やってもらわない方がまし!』ということにもなる。男の立場からは
『何でおれがこんなことやらなきゃならないんだ!』と言ってそっぽを向いてしまう
ことだってありそうだ。そうなると、お互いの欠点だけが目につくようになって『むしろ
お前なんかいないほうがましだ!』ということになりかねない。


 かみさんはこのような状況を見ていて娘に大きな理解を示している。

自分には身についた職業がなかったので我慢の連続だったが、女にもきちんとした

職を身につけておいて男と対等に渡り合えるようにならないと、いつも女の方が悔しい

思いをしなければならない、というのがその根拠である。経済的に独立できることが
女の立場を強くするというのである。私たちには娘が3人いるが、かみさんはいつも
娘たちに向かって『会社は辞めないように!』と言っている。

 わたしの考えは、これとはまた別のところにある。男と女は基本的に違うということ

を認め合うことからスタートしなければならない。確かに、人権とか人格とかは対等で

はあるが、それぞれの特徴を生かした役割分担があってもよいのではないか。

 育った環境も性格も違う2人が一緒に生活するのだから、どこかで異和感を憶えても

不思議ではないし、それが元でいさかいすることもある。むしろ、夫婦喧嘩のない家庭
など考えられないというのがわたしの立場である。

 しかし、縁を大事にしたい。何かの縁で夫婦として一緒に暮らすことになったのだか

ら、この縁を大事にして生きていきたい。そのためには相手の立場を尊重して思いやり

をもって生活することが基本である。これは夫婦の間だけではなく、人間関係のすべて、

あるいは、国を跨がっても言えることではないか。つまり、この世に生きるということは
無明の世界に生きることであり、苦あり、楽ありというのは諸行無常の世界なので、
すべての縁を大事にしていきたいと願う。

 『お釈迦さまではあるまいし、そんなことができるもんか!』と言うなら、『そうだ、

もっと苦しめばよい!』と言うしかない。

 ともあれ、わずか5泊6日の大連滞在があっという間に過ぎ去って、娘たち親子3人

と、かみさんが10日(金)にJALで帰国した。

 大連滞在中は雨が多くて行きたいところにもあまり行けなかったが、わたしの休日を

利用した『大連森林動物園』にだけはしっかりと行くことができた。子供たちにとって

は、動物と語り合うことはすばらしい出会いであったであろうし、広々とした動物園の

中で見たパンダ、さる、ライオン、とら、ぞうなど忘れられない印象として残ったに

ちがいない。また、動物たちの演技を見せるのもこの動物園の一つの特徴である。

 とらやライオンを鞍の上に乗せて走る馬というのも珍しい取り合わせだし、ライオン

の輪くぐり、くまの自転車乗り、さるの綱渡りなどもあった。象舎では、2頭のぞうが

行儀よく『ニイ好(こんにちは)』に始まって、つぎつぎに演技を披露し、最後の
『再見(さようなら)』まで上手にやっていた。中でも、サッカーボールを壁に向かって
上手に蹴っていたのに感心した。

 昼食は持参の弁当と、別に園内で売っている弁当も買って食べた。園内が大変広い
ので、帰りは出口までモノレールに乗り、あとはタクシーで帰宅した。タクシーに乗る
とわずか15分でマンションに着くし、料金も10元と大変安い。

 中国では一人っ子政策なのでどこに行っても一人の子供しか連れていないのに、我々

は、ちびを2人も連れていたので非常に珍らしがられた。子供たちは大連で2輛連結の

バスや2階建てのバスにも乗った。同じマンションに住む中国人家庭にも招かれたり、

お土産もどっさりいただいてご機嫌の旅であった。