アカシア便り6(学院雑感,日本人社会)         1994年 11月 27日

 23日・水曜日午後から27日・日曜日まで学生寄宿舎の一斉下水道工事のため急に

休講となり,教職員を含めて全員帰省してしまった。学生たちは大喜びで,水曜日の午

前中の授業もほとんど手につかないありさまで,三々五々ふるさとのわが家を目指して

帰って行った。家路につくそのスピードの速さといったら本当に見事なもので,午前か

ら午後にかけてぞろぞろとキャンバスの中は時ならぬ賑わいを呈するありさまであった。

 私も思わぬ休講に,学生たちのふるさとを一目見ておこうと思って,特に日本語学習

者の多い地域の金州区・亮甲店鎮と向応郷を選んで行くことに決めた。そして ,24

日・木曜日に月4回利用できることになっている学院の車の手配を外事処に依頼したの

だが,学生たちの家のほとんどが農村地帯にあることと,安全上の責任が持てないとい

う理由で車を出してもらえず,この計画はおはこになってしまった。

 翌日,大連市内に住む日本人に会った時,『中国も改革開放といって国を挙げて自由

主義経済を標榜しているのにまだまだ閉ざされているところがありますね』と言ったと

ころ,『それはその学院の中の問題ですよ』と言われてしまった。

 今の中国で,一つの組織がどのような指揮系統になっているのかを理解するのは,な

かなか容易なことではない。この学院をとってみても,今年の4月に学院長が定年退職

したあと,いまだに後任が決まっていない。しかし,学院長の代行は党書記が勤めてお

り,特に支障なく半年以上も一つの組織が運営されているのが現状である。学院だけで

なく企業経営の場合も,最終的なデシジョンメーキングは必ずその上を管轄している上

級組織にあるのが普通である。中国の組織が我々に理解しずらい原因の一つには,同一

組織に複数の行政部門がかかわって管轄権を有する場合があることであろう。この学院

の場合を例にとると,次期学院長の候補について確固とした情報をだれも持っていない

し,いろいろな臆測が錯綜して,地についた業務運営にすら影響を及ぼしているのであ

る。というのは,上級組織が遼寧省と大連市にあって,学院を統括するポジションにだ

れが座るかによって経営方針がガラリと変わることがあるので,しばらく様子を見てか

らにしようという態度が職員全体の中にあって,著しく効率を下げるというケースであ

る。

 改革開放や市場経済への移行が言われて久しいが,今の中国は,共産党一党支配の社

会主義国家であることには変わりなく,共産党の政策は学校や企業等の集団にある共産

党組織を通して伝達・学習・貫徹される仕組みだが,次世代の人物を育成する責任を担う

大学では,特にこれが徹底していると思われる。一般の日本人には政治学習はなじみが

薄く,また怖い存在とさえ思われている。しかし,一方では,今の政治の一番の優先任

務は経済建設にあり,各組織の共産党員の任務も組織の業績向上が第一の任務になって

いる。したがって,この学院でもわれわれのような外国人教師の存在が多くの有能な学

生を募集するきっかけになり,また多くの外国からの語学研修生を招聘するきっかけに

することができて業績を上げられるのなら,学院の経営は国に貢献していることになる

のである。

 先週,三井海上火災・基礎研究所の宮沢社長以下4人のスタッフが当学院に来られて

60数名の参加者を対象に講演をされたが,その時 216ページにわたる中国語の資

料が配布された。非常に充実した内容だったので,当日名刺交換をした大連事務所の中

島所長に電話をして日本語資料の有無を問い合わせたところ,思いもかけず配布資料以

外の講師となられた方々の自己紹介を含めた講演内容全体の裏原稿まで用意してもらい

入手することができた。その時,電話に出た秘書の呉洋さんは日本語が素晴らしく客と

応対する時の敬語の使い方も適切で,私が教えている56名の学生たちもせめてこのく

らいの日本語ができたら,と感心した。その後,事務所を訪ねてみて彼女が当学院の出

身で '92年卒業だということを知りびっくりした。

 中国では,中学校から外国語教育が徹底して行われており、日本語、英語、ロシア語

のうちの一つを選択することが必須になっている。学生たちの話によると,今では日本

語と英語だけになっているそうだが,大学にはいっても語学コースはそのまま踏襲され

るケースが多いということだ。大連のように日本からの進出企業が比較的多い地区では,

将来の就職に有利だと見ているためか,英語から日本語に乗り換えて大学の4年間で新

たに日本語を勉強しようとしている学生もいる。

 私の担当している国際貿易系・本科の7名のうち4名がこの種の学生であるが,中学

校・高校の6年間日本語を勉強してきた学生たちよりも,目的意識がはっきりしていて

自己紹介をさせても自分の意見をはっきり述べて憶するところがないし、考え方もしっ

かりしているように思われる。

 大連に来たら一度は訪ねてみたいと思っていた外国語学院には,日本語会話の教科書

を購入するために行ってきたが,意外と会話の教科書がないものである。流暢な日本語

を話す蔡全勝副教授にあっていろいろ話を聞いたが,外国語学院では,会話の授業は2

年で終わり,3年以降は同時通訳者を育成するための授業に切り換えつつあるとのこと

であった。しかし,3年生に同時通訳を授業するのは無理だということがわかり,今年

からは4年生への授業に切り換えたということだった。

 ともあれ 私の担当している19名の学生には,あと1年強の間に日本の進出企業に

就職しても恥ずかしくない日本語をマスターさせなければならない訳で,どのように教

えるかは赴任まもない私にすっかり任されているのが現状である。これは '93年の卒

業生を出してから3年間学生が途絶えており,次の卒業生は,今私が教えている19名

'96年に卒業するまでいないのだから,すべてが一から教材を揃えてカリキュラム

とシラバス(詳細な教課内容)を考えなければならない訳である。

 日本経済研究所の学生である日語・外経の卒業生の現在の就職先を聞いてみたが,一

覧表になっているものは何もなく,就職後の異動についても実態を把握している節は何

もない。また,組織的に就職活動をする部署もなく,学生たちにガイドするようなもの

は何もない。ただし,張賢淳教授の話によると,日本語と経済をしっかり履修してさえ

おれば就職のことは何も心配することはありません と言って泰然自若としている。外

国語学院の学生たちは語学力では優れているかも知れんが,経済の知識が何もないので

せいぜい秘書ぐらいにしか使えないが、当学院の出身者は日本の経済という題材で,しっ

かり教えているから就職するのには有利だと言うことである。

 外国語学院で用事を済ませた後,南山賓館のとなりにある日本領事館・大連事務所に

行って在留届を出して来た。領事館の出入り口は厳重に公安警察が護衛しており,日本

人と分かっていてもパスポートがない人は一歩も中へ入ることができない。この日は

たまたま私一人がパスポートを持っていたので,一緒に行って門前払いを食った笹谷先

生とかみさんを外に残したまま一人で書類上の手続きを済ませた。その後,笹谷先生の

持っていた名刺を頼りに八日市領事を訪ねて初対面の挨拶をした。挨拶を済ませて治安

問題等の話題になった時,実は二人を外で待たせているのですよ,と言ったところ,す

ぐに自分で外に出て行って二人を中に招じ入れてくれた。大連市の日本人の実態につい

てよもやま話をした時日本商工クラブの江原会長を紹介してもらい,後日訪ねることに

した。この領事館・事務所は 建物が古くて庭も広いので何か由緒のある屋敷跡だと思っ

て眺めていたが、案の定,旧満鉄総裁の官邸だということであった。この辺りは戦前

南山麓(ナンザンロク)と言って高級住宅街のあったところで,閑散としたたたずまいを

今も見せており,私の3人の兄たちが生まれたところでもある。大連のあちこちにこの

ような面影を残した建物群があって往時を偲ばせるが,今はどの建物も色あせて,一軒

の家に数家族が住んでいる。

 その翌週,民航大厦(ミンコウターシャ)の8階にある大連日本商工クラブを訪ね,JETRO

大連事務所長でもある江原会長に会って初対面の挨拶をして来たが,その時の話では,

大連への日本進出企業ははっきりしている企業で400社はあり、出入りのはっきり掴

めない個人ベースの企業が800社程度ある。そして,このうち商工クラブに加盟して

いる企業は200社で個人会員の入会も認めているということであった。商工クラブの

主な活動は,進出企業社員の親睦を図るのが目的で麻雀大会、テニス大会、忘年会等

年に数回集まっているそうである。これらの会社は,大体3年ぐらいのサイクルで人事

異動があるのであまり活発な活動にはつながらないということであった。