アカシア便り−15(娘の北京−大連)       1995年 4月 8日

 4月に入ってすっかり春らしくなった。主楼(本館)の前の桃の木も真っ白な花が満

開になり、日本では,8日、9日の連休が花見のピークになるのではないかと想いを馳

せている。

 横浜の娘二人が初めての中国訪問のために3月31日に北京に到着して、4月3日に

来連した後,6日に帰国した。この間,授業を休む訳にもいかず,慌ただしい1週間を

過ごした。

 私たち2人は大連から北京まで出迎えに出たが,19時到着の娘たちの便には2時間

半の待ち時間があったので,北京空港内をゆっくり買物したり食事をしたりして過ごし

た。成田空港に比べると大変狭くて分かりやすい。時間があったので,ホテルへのタク

シー料金の調査も予めしておいた。予定通り娘たちと落ち合ってタクシーに乗り、21

時ごろホテルに着いた。少憩の後 ,ホテルの外の近くのレストランで軽く食事をした。

ホテルは北京市の南に位置している前門飯店で,空港からは105元の距離であった。

三ツ星のホテルだが京劇を見せる梨園劇場があり、設備はまあまあだし宿泊料金は4人

が3泊して 3,160元(35,000円)と大変安かった。

 翌4月1日は,万里長城、明の十三稜、燕沙友誼商店(ルフトハンザ・ショッピング・

センター)ともっぱら観光をすることにした。この日の交通便は,前日,空港からホテ

ルまで乗ったタクシーを利用することにした。ホテルへ向かう途中で運転手と交渉して,

丸一日貸し切りで450元から500元ということだったので,500元を払うことに

して,翌朝8時にホテルに迎えに来るように頼んだ。まじめでおとなしそうな運転手だっ

たので,安心して任せることができた。前に,友人のJICAの古垣氏が700元払っ

たと言っていたので,即座に決断できたのは有難かった。

 八達嶺・万里の長城は市の中心から北西へ70余キロ離れており,中国古代の最も偉

大な建築工事と防御工事で、宇宙飛行士が宇宙から見ることができる唯一の地球上の人

工建築物である。長城の長さは六千余キロで,気勢は雄大壮観である。『長城に至らね

ば好漢にあらず、長城に遊ばねば終生遺憾に思う』と言われているところである。かな

り急な階段を登るので,軽快な足下の準備が必要であった。

 明の十三稜は長城からの帰り道になるが,明王朝が北京に都を移してから後の13代

の皇帝の陵墓で,三方を山に囲まれた美しい環境にある。現在,見学できるのは長稜と

定稜だけであるが、十三稜のうち唯一発掘を終了して参観できる定稜の『地下宮殿』と

そこから出土された貴重な文物を見学することができた。

 市内のルフトハンザー・ショッピング・センターに戻ったのは16時30分に近かっ

たので,ゆっくり買物をするために貸し切りのタクシーはここまでにして,500元を

払って運転手と別れた。

 ホテルに帰ってからは,年中毎晩出演があることで有名なホテル内の梨園劇場で京劇

を鑑賞するのだが,この日は『白蛇伝』が上演されることになっていた。毎日,他のホ

テルからバスを連ねて大勢の人が観劇にやってくるほど観光のスポットになっている。

 京劇は 『国劇』とも言われ,中国民族芸術宝庫の中の珍品である。ゆったりした歌

の調子、生き生きとした演技、工夫を凝らした立回りと華麗な服飾をもって国内外の観

衆に喜ばれている。座席は自由席で,7時30分の開演なので7時過ぎに行くと,正面

のころあいの席が空いていた。テーブルの上には北京独特の茶菓が準備されており,ゆっ

くりそれを味わいながら開演を待った。

 初めて観る京劇は,出演者のきびきびした動作,優雅な手足や目の動き,サ−カスの

ようなアクロバットの集団演技等,目を皿のようにして感激しながら鑑賞した。失礼か

もしれないが、これがでたらめな普段接している同じ中国人とは到底考えられない新し

い発見であった。

 終演は9時少し前だったので,それから,ホテル内のレストランで食事をした。

 2日目はバスに乗って前門(チェンメン)まで行き、あとは 徒歩で毛主席記念堂、天安門

広場、中山公園、故宮博物院を参観した。天安門広場は北京の中心に位置しており,世

界で一番広い広場で40万人が収容できると言われるだけあって,さすがに広々として

中国人のおのぼりさんが大勢来ているようだった。

 毛主席記念堂はあいにく日曜日のために休館だったが、一人10元で中に入れるとの

こと、列に並んで4人で40元払って中に入ったら,毛主席の石像の前でポラロイド写

真を撮るだけのことだった。通常の開館日には,日に数回,決められた時間に保存され

ている毛澤東主席の遺体が地下室から参観フロアにせり上がって来て対面できるとのこ

とである。

 今回の参観、見学で最も印象深かったのは,故宮博物院の入場料金であった。私は一

度行ったことがあるのだが,その時はグループツアーだったので入場料金がいくらであっ

たのか知らない。ところが,今回,初めて入場料が内賓=20元、外賓=80元(日本

語ガイドテープ:20元を含む)と内外格差が余りにも大きいことが分かった。そこで,

持っていた中華人民共和国・国務院発行の専家証と大連市公安局発行の居留民証を見せ

たところ,内賓料金で入場することができた。中国にこの内外二重価格がなくならない

かぎり、国際的にはやはり特殊な国家だと見られることは間違いないであろう。

 故宮は明、清二代にわたる皇帝の宮殿で、明代の1406〜1420年に創建され5

75年の歴史を持っている。中国に現存する最も完璧な古建築群であり、門構えが4門、

宮殿等の建築物が15、庭園が2つほどあって、部屋数は9,000あまりにおよぶ。

1912年、辛亥革命の際に 清朝政府の『退位詔書』が署名されたのは養心殿と呼ば

れる清末の200年の間,日常の政務を執ったところである。参観時間は約1時間30

分で,2時間もあればゆっくりと参観ができる。1970年に行ったことのある台北市

の故宮博物館には金銀財宝の展示物が豊富であったが,北京には紫禁城と言われた建築

物が残っているだけである。1948年,中国国民党との内戦の終末近く 運搬可能な

金銀財宝だけが台湾に持ち去られたということである。

  故宮博物院を参観した後,またバスで王府井大街(ワンフウチンダ−ジェ)まで行っ

て買物をした。夕刻近くなって有名な本場の北京ダックを食べようと思いバスに乗った

のはよかったが,私の発音が悪かったのか和平門に行きたいと言ったのに和平里の方へ

どんどん行ってしまい、地壇公園を過ぎてからこれは決定的におかしいと思って地図を

見たら,案の定,和平門とは全く反対の方を走っている。慌ててバスを降りて一停留所

戻り、地下鉄に乗り換えて30分ほどで和平門に着いた。ここまで来ればホテルまでは

バスで10分以内で帰れるので,安心して地下鉄駅前の北京全聚徳ダック店に入り待望

の夕食をとることができた。6階建の建物全体がレストランになっており、個室や団体

貸し切りの部屋があるフロアをスキップして,3階の大広間に案内された。そこには,

日本人らしい家族連れやビジネス関係の人たち、外国人や地元の人たちで和やかな雰囲

気であった。テーブルもゆったりと配置されており,落ち着いて食事をすることができ

た。

 3日目は大連に帰る日。簡単な朝食を済ませ,8時30分にホテルを出てバスで近く

の天壇公園に行き、広々とした園内を散策したり、大極拳をした。天壇は中国に現存す

る最大の祭壇建築物で、明、清の歴代皇帝が天帝に五穀豊穣を祈ったところである。公

園の中にある宮殿の長い回廊を利用して商品が陳列されており,回廊の手すりには多く

の人が群れている中で,中国独特の楽器・故弓を引いている人やその音楽に合わせて

歌っている人たちがいた。そのほとんどの人が退休幹部といわれる年配者であった。

娘たちは 商品の陳列棚を覗いてはおみやげの買物をしたりして,楽しい半日を過ごし

た後ホテルに戻った。帰りの飛行機は13時25分だったので,11時30分にはホテ

ルを出た。空港でチェックインの後,昼食を取ろうと思ってボディチェックも終え待合

室まで行ったが、待合室の周辺にはスナックすらなく仕様がないので弁当を買うために

また外に出た。時間に余裕があるつもりが,もう一度ボディチェックが必要となり並び

直した。前の時とは わずか30分のちがいで長蛇の列となっていた。おまけに やっと

戻った待合室には大連行きの標示も搭乗口の案内もなく,危うく搭乗時間に遅れそうに

なったが、最後のグループの10人ほどの人たちと一緒にバスに乗ってやっと搭乗する

ことができた。

 大連−北京の距離はちょうど東京−大阪の距離に等しく,飛行時間は50分であるが、

汽車だと渤海湾をぐるりと一周回るので18時間はかかる。大連に近づくと,空の上か

ら特徴のある旅順港口がはっきりと見える。

 大連に来てからは,4日の授業の2クラス(93級、 94級 日語外経)に娘たちを参加さ

せて会話の副読本として用意した『草の根交流の舞台』という表題の莫邦富(モ−バン

)さんの文章を二人に交互に朗読させ,分からない単語をチェックさせた上で,私が

内容の解説をした。その後,全員の発音をチェックするため 一人あたり4〜5行ずつ

読んでもらって授業を終え,全員で記念写真を撮った。

 この日の授業は午前中で終わったので,午後からは路線バスに乗って私の生れ故郷の

金州まで買いものに行った。出かける直前に学生の谷震さんから電話があり,今から部

屋に遊びに行きたいとのことだったが、事情を話すと『私も同行していいですか』と言

うので一緒に行くことにした。行動派の彼は 『私のおばさんが経理をしている和平大

厦に行きませんか?電話をしておきましたから』と勧めてくれたのでそこへ行くことに

した。娘たちは,日本の感覚で安い安いと言いながら気軽に土産を買っていたが、半年

こちらで暮らした私たちにとっては高い買物だなと言う思いが強かった。

 娘たちは買物から帰ったその足で,約束していた女子学生の寮に遊びに行った。

もの珍しさもあって3つの部屋で歓待され1時間半ほどで戻ってきた娘たちの話を聞く

と,やはり少しはカルチャショックがあったらしい。例えば リンゴを丸ごと皮のまま

出されてギョッとしたり、日本では皮を剥いて食べるんですよと言ったら,皮を剥いて

くれたのはよかったが,ナイフに突き刺したまま,ハイッ どうぞ,と出されてまたま

たギョッとしたあげく,やっと4つに割って芯を取り出して食べるマナーを教えてあげ

たそうだ。

 2段ベッドが4台と真ん中にテーブルがある部屋に,8人が生活している環境には寮

生活の経験がある末娘には楽しそうだと見えたらしいが、部屋の中の手入れに比べて廊

下の汚れが大変気になったということであった。

 一般に中国人は 公共の場を奇麗にしようという感覚に乏しい。

 5日目は,午後から企業管理の授業があったので宿題を出して休講とし,娘たちの大

連市内観光につき合うことにした。先ず,中学、高校、大学時代に陸上競技をやってい

た末娘の希望もあり、馬軍団の合宿所のある開発区へ行くことにした。コネがあるかど

うか,工業団地開発管理会社の酒井総経理(社長)に電話をしたところ秘書の鄒さんが

出て,わたしがご案内しますと言ってくれた。馬軍団ではあいにく,この日は責任者以

下選手は遠征中らしくだれもいなかった。『馬家軍陸上培訓中心』と書かれている看板

がかかっている建物と,選手たちの洗濯物のジャージーが干してあるベランダを見ただ

けで 娘たちは満足した面持ちであった。

 その後,星海公園に行った。星が浦といわれた昔の面影を今も残している海岸はシー

ズンオフのせいか静かな波打ち際に人影もまばらであったが,年配の人が二人泳いでい

た。私には,この海水浴場は子供のころの強烈な印象が今も残っている。小学校3年生

のある夏の夜,父と隣に住んでいた同級生の3人で太刀魚の夜釣りに行った時のことで

ある。父の友人5〜6人と一緒に沖へ伝馬船を漕ぎだして行き,他の人たちは2〜3匹

しか釣れていない時,父だけが10匹を超える大漁で私も手伝って忙しく魚を釣り針か

ら外していると,太刀魚のあの鋭い歯で足のすねをガブリと噛み付かれたのである。びっ

くりした拍子に船からドブンッと海に落ちてしまい,それを助けようとした同級生も一

緒に深い海の底に吸い込まれてしまった。慌てて海面にはい上がり辛うじて船に引き上

げられたが,夏の夜とはいえ寒さでブルブル震えてしまい早々に引き揚げることになっ

た。電車の中では父の上着に二人で仲よくくるまり,電車を乗り継いで1時間ほどでやっ

と家に帰に着いたが,その後,風呂に入ってはじめて人心地が付いたのである。その夜

のことが,つい昨日のことのように思い出される。

 大人になってからも魚屋に並んでいる太刀魚を見るごとに,その日の夕食に食べた

太刀魚の美味しかったことともに あの時の強烈な印象が思い出される。

 老虎灘楽園に着いた時にはすでに1時になっており,先ず腹ごしらえをすることに

した。ここで食べた魚と豆腐のスープは抜群に美味しかった。一昨年10月にかみさん

と二人で来た時は 月曜日であったため楽園全体が休みで 食堂もなく水族館だけしか見

ることができなかった。今回は 人影もまばらな楽園内をゆっくりと楽しむことができ

た。鳥の放し飼いをしている『鳥語林(ニャオユイリン)』というところが,ここでは

最好(ツイハオ)と言って最高の見どころだということを入門する時に受付で聞いた。

なるほど,丹頂づるや雉やくじゃくなどが人見知りせずにすぐ目の前を自由に動き回る

さまは,そのスケールといい日本では見たことがない。出口近くの広場には 三国志や

紅楼夢の有名な場面を選びだして,等身大の人形を使って表現した場面が10シーンく

らい飾りつけてあった。しかし,シーズンオフのためか中国人のおおらかさのためか,

手入れが行き届かず傾きかかっている薄汚れた人形が哀れであった。

 この日は,5時から日本経済研究所・所長の張賢淳教授宅に招かれていたので,丸一

日観光をした後,白雲新村にある教授宅を訪ねた。 伝統的な中国の家は四合院といっ

て4つの棟に囲まれた中庭があって,家に入ると土間があり,幾つかの部屋がその奥に

連なっており,数家族が一緒に住むのが普通であった。現在では,日本と同じように高

層アパートに住むことが普及しており,南関嶺の古い家並みも公費で建てられる高層ア

パートの順番待ちで,自費で立て替える人は誰もいないということである。教授宅は6

階建てのアパートであるが,エレベーターがないので上り降りがとても大変ではないか,

と思う。幸い教授宅は2階だったので良かったが,隣の棟にある崔助教授宅は6階なの

で大変である。ここ白雲新村のアパート群は当学院関係者が大勢住んでいるので,朝夕

の送迎バスが一台割りあてられている。運転手もここのアパートの一室に住んでいるの

で,この時間にはすでに下班(シャ−バン−下校)した学院バスが横付けになっていた。

『若者たちに 普通の中国人がどのような生活をしているかを見せてあげたい』という

のが,娘たちを招いた張教授の趣旨であった。家の中は2LDKといわれる間取りで,

2寝室とリビングと台所があって,風呂とトイレがユニットになっている。玄関では,

きちんと靴を脱いでスリッパに履き換える。

 人を招く時は朝から一日がかりで教授自身が材料を買いに行き,料理の準備まで奥さ

んと一緒にするとのこと。しかし,お客さんが来ると,教授はホストとしてお客さんの

相手をし,台所は奥さんに任せるとのことであった。

 従って,すでに準備されていた5〜6種類の前菜を除きあとから出された10数種類

の料理は,すべて熱いもので奥さんが仕上げたものである。

 数ある今日の献立の中でも,特に大きなさざえのつぼ焼き、子牛の肉の天ぷら、とろ

みのある揚げた鯉の姿煮等が素晴らしかった。これらの材料はなじみの店で店頭には出

していないのを,奥から出して来てもらって特別に買ったものだそうである。

 料理のうまさは言うまでもないが,奥さんのオハコ料理の一つに数えられる という

最後に出された長い尾を引くアツアツのさつまいもの飴煮に,娘たちも大喜びであった。

 食後にデザートをいただいた後,8時ごろ車が迎えに来て学院まで送り届けてくれた。

 娘たちの1週間の中国旅行はこれで終わり,明日はいよいよ帰国の日である。私は朝

8時から午後3時まで6時限の授業があるので行けなかったが、かみさんが見送りに行っ

て飛行機が見えなくなるまで手を振っていたそうである。