中国の他の地方・あれやこれや


北京旅行の香山で同僚と

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以下は、大連および東北地方以外の中国について書いています。中国内を旅行する時に、以下の3冊の旅行ガイドブックを持って行いています。私のそれぞれの特徴も書くと:

それぞれ特徴があるので、中国内の旅行はこれら3冊を持ち歩いています。

中国東部

上海

上海はこれまで、何回行ったでしょうか。初めて行ったのは1991年で、日中友好協会が主催した上海大学で1か月中国語の勉強して、その間蘇州・南京・杭州・紹興なども観光した。2回目はザビエル会の人たちと中国を西安まで旅行した時(1998)に寄り、3回目はひとりで大連・瀋陽に来たあと愛徳基金会の行事(@蘭州・南京)に参加した時(2000)の帰りに寄ったもので、4回目以降大連に移住してから仕事で何回か行って(2004-2006)、また2006年にはツアーでもいったものです。

蘇州

1991年の上海大学留学時に、課外旅行でいってきました。

南京

南京は1991年の上海留学時に初めていって(参照:「紫金山天文台を訪ねて」)、その後クリスチャンの仲間と1998年にも2000年にも2006年にも行きました。

南京・黄山・杭州・上海の丸5日ツアー

大連へ来て6年目の10/1休暇に(2006年)、大連発の南京・黄山・杭州・上海を回る5日ツアーに参加しました。旅程は私のPDAから抜書きすると、次の通り(他人には読みづらくてすみません!): 第1日(9/30、土) 大連〜南京:  14:00に大連飛行場に集合、大連15:50 -CZ-3986 (A320)-> 17:30南京(禄口国際機場)、小雨、19:30華江賓館1933@中山北路。20:00回味鴨血粉絲湯@湖南路文明街、20:45名典で炭火焼きコーヒー、22:45 CCTV-1で同一首歌。 第2日(10/1、日) 南京〜黄山: 6:30起床・7:00朝食後、我々大連人は南の習慣:声が小さい・買うとき手を出さないなどの注意をバスガイドから受ける、8:40陵園路のプラタナスが美しい、中山陵風景区を遊覧。11:18夫子廟(秦淮河)で臭豆腐・漢理翔の塩鴨子・状元豆を食べて、13:15にバスで出て、昼食後14:00黄山へ(5時間)、19:15上海市総工会黄山休養院で夕食、宿泊。

第3日(10/2、月) 黄山: 3:30起床、4:30朝食、4:30バスで出発、黄山区を通り、6:00松谷庵の太平索道(3709m 高度差1014m Siemens 100人乗り)65元に並び(雲谷寺からではなかった)、8:30に乗車、8:45丹霞站9:00。西海大渓谷を見おろす、回音壁、9:50飛来石、10:15光明頂1800mでおやつ、11:20Ao鰲魚洞、12:20蓮花峰、13:20玉屏、13:50霧雨の中を玉屏索道(2176m 753m Doppelmayr CWA 100人乗り)で下る65元15:00、15:55慈光閣から公共バスで温泉〜湯口〜16:15乗換え場、16:20出発、徽州住宅、18:30翠林飯店in黄山市、(新安江は行かなかった)休寧で買い物、19:00屯渓老街を散策して正宗徽菜土菜館(夕食は自費)、黄山菊ビール、芸蘭軒(呉東明)0559-2117690で買い物。第4日(10/3、火) 宏村〜杭州: 5:00起床、5:50バスで出発、7:20世界遺産「宏村 」で観光・楓楊の樹2本・太平猴魁hou2kui2茶9:15、10:45黄山へ戻って弁当で昼食11:05、バスで千島湖へ16:10、小船"先鋒10号"@淳安県碼頭で遊覧16:20(五龍島の鎖島・鳥島・状元橋・奇石島、2時間)18:20、18:30千島漁村19:05。バスで杭州へ。22:30杭州・皇冠大酒店Crown Plaza Hotelの旧館。

第5日(10/4、水) 杭州〜上海: 5:15起床、6:20出発、7:10霊陰寺/飛来峰・済公の故事9:00、9:30絲綢博物館・蚕絲被Bei4 775元10:35。10:55西湖の蘇堤を散歩、11:05電動船に乗り遊覧11:45、12:30昼食@蘇家記13:15、ビルの下の梅塢wu4問茶in梅霊南路・周りは全て龍井茶の木14:15、15:20JF景芳加油站・両岸珈琲、18:00上海南站、18:30上海市十六鋪旅游中心の新晨翔食坊で夕食、時間があるのでバスで西蔵南路などを回って、戻って20:40乗船、このあと22:00東方明珠塔22:50、23:50上海物資貿易中心大厦Goods & Materials Trade Center Bldg.@中山北路x呉松路で宿泊。第6日(10/5、木) 上海〜大連: 6:30起床、7:35出発、8:20城隍廟(予園)で寧波団円・Starbuchsへも寄り、10:10外灘はけぶっていた、沙遜大厦Sassoon Bldg和平飯店/Citibank/ANB-Amro和蘭銀行・中国銀行・工商銀行/横浜正金銀行1923-24 Palmer & Turner公司が設計、10:30南京東路・置地広場を自由散策。11:50集合、13:00に着いたら大連が霧で南航14:50が飛行取消しで、代わりに上海浦東14:00 -上海航空FM9193 B737-800 1390元-> で15:45大連へ着き、16:15帰宅。ツアー参加費用はまけてくれて2980元、ホテルはすべて3つ星でした。 2980元、児童1980元 ホテルは☆☆☆ > 結語:まったくの駆け足旅行で、黄山にもいってきました、南京・杭州・上海にもいってきましたというところで、でも15年ぶりに杭州へいって、上海には何回も会社の出張でいっているのに、初めてテレビ塔へ上って、黄浦江の舟遊びで夜景も楽しめたのは収穫でした。(2006.10.05)

杭州

1991年の上海大学留学時に課外旅行でいった以外に、2006年にもいってきました。

紹興

1991年の上海大学留学時に、課外旅行でいってきました。液の校内にうず高く積まれている酒の臭いが漂う紹興酒の壺また壺、魯迅の故郷の家、詩人・革命家である秋瑾の記念碑、蘭亭などを見ました。

江蘇省の塩城自然保護区

CCTV9の番組「Around China」でやっていたが、江蘇省の塩城の北東の海岸は沼地で、多くの水鳥や渡り鳥が見られるというので、いつかぜひ行ってみたい。昔黄河が開封のすぐ西で支流が東南東へ向かい(中国の詳細地図には「廃黄河」と書いてある)、江蘇省の塩城の北東で海にそそいだ時代があり、その時に多くのシルトが海岸に堆積したそうです。地図には塩城自然保護区が100キロほど続いているので、どのあたりがいい観察場所だろうか。(2005.05.22.)

福建省:福州、武夷山、アモイ、永定へ6日ツアー

中国滞在14年間の最後の年の月に福建省へ、大連発の6日間のツアーにいってきた。
  1. Xiamen Airで大連12:25〜済南〜16:15福州へ。少し暗くなってからで、街中の明代の面影が残る「三坊七巷」の南後街でブラブラして、「花生湯」などの「小喫」(シャオチー)を食べるが、各10元のものなぞ、おいしいはずがない。
  2. 福州から8:48出発の汽車で武夷山へ。列車は小雨模様の中水を満々とたたえた大きな川・[門+虫]江(ミンジャン)に沿って遡り、13:50に武夷山駅へ。大きな一枚岩のような天游峰(海抜409m)へ登った。夕食後、夜の8時から「印象・大紅袍」という出し物を見て、チャン・イーモー(張芸謀)が手掛けたというだけあって、自然の丘と川に包まれた場所で2000人の座席を回転させながらお茶の「大紅袍」を主題にした物語を15場で見せる演出で、正直感激した。
  3. 武夷山でゆるやかな流れの九曲渓で川下りをして、それから「一線天」という巨大な岩の裂け目から空が一線に見える所を歩き、太陽が出てきて暑い中を、これまた大きな一枚岩のような虎嘯山(Hu2-xiao4-shan1)へ登る。山を下って、茶業店でお茶を振る舞って貰い、「観音王」(「鉄観音」は安渓村産だけに使えるので)と、続いて熾烈な値段交渉後に小さな袋へ詰めるのは自分でやる条件で高級茶・「金駿眉」(ジンジュンメイ)を極安で買った。(大連で金駿眉は1斤1,200元位で、この日は800元の言い値を400元弱に負けさせた。)
  4. Xiamen Airで武夷山10:20〜11:15廈門(アモイ)へ。小型バンで海岸道路を走り、車窓に自由貿易地区を見て、街中の地下に広大な台湾産品のスーパー(自由貿易地区)の2Fで昼食。午後は廈門大学を外から見て、南普陀寺で下りて見学。その後フェリーでコロンス島(鼓浪嶼Gulangyu)へ渡り(日本の江の島を大きくしたようなもの)、美しい海岸・港仔后ビーチの鼓浪石や[サ叙]荘花園やピアノ博物館やもとスペイン領事館・日本領事館・英国領事館などを見学。夕食は街中の中山路(歩行者天国)で「小喫」を食べて、まあ腹いっぱいになった。
  5. 大型バスで片道3時間半かかる1日ツアーで永定へ行き、大雨(この辺りの梅雨は3月〜6月)の中を客家が建てた「土楼」を見学。客家人は河南省の洛陽あたりにいた漢族の人々で、独特の言葉と文化を守って南下して広東省・福建省などの山奥に定住し、おもに出稼ぎをして生計を立て、こうした建物で一族郎党を守ってきて、洪秀全(太平天国の親玉)・孫文・ケ小平・李登輝(もと台湾総統)・Li Guangyu(もとシンガポール大統領)などはみな客家出だ。途中また茶業店に寄り、これまた熾烈な値段交渉の末ウーロン茶と野生の花(金銀花)のお茶を買う。また3時間半かけてアモイへ戻り、夕飯はホテル近くの「老湘親」で湖南省料理。
  6. 朝食後はホテルでブラブラしてから、Xiamen Airの廈門13:50〜16:30大連直通便は30分遅れで出発・到着。
25年前に台湾に住んでいた頃、台湾の人々の祖先の大多数は対岸の福建省から来ていて、彼らの言葉も台湾語とは福建省南部の[門+虫]南語(ミンナンユー)なので、いつか福建省へ行きたいと思っていたが、今回やっと実現した。当時は台湾の金門島・馬祖島と大陸の間での砲撃戦(1958年)の記憶がまだ残る時期だったが、いまのアモイ市は台湾の投資でもっているような時代になった。武夷山ではガイドから「[イ+尓]好!」、「再見」は[門+虫]東語で「ヌァンホ」、「ザイキン」というのを習い、北京・南京は英語で最近までPeking・Nanking(現在はBeijing・Nanjing)といっていたのとほぼ同じなので、英国人などはが始め南方の中国語方言を習ってのことだったことを理解した。アモイのガイドから[門+虫]南語で何というか習おうとしたが、アモイではほとんどの人たちが外地から来ているので大体普通話で暮らしているそうで、[門+虫]南語は知らないという、残念。 (2015.05.11.)

中国北部

北京(2001 - 2005)

私は北京には、これまで旅行で2回、出張で3回行きました。
第1回目は2001年10月始めの連休にワイフと、往復に飛行機を使って3泊4日で、オリンピック・ホテル(奥林匹克大酒店)へ宿泊。交通とホテルの予約は、大連の東北旅行社へ頼んだ

早朝の飛行機で大連を出発。第1日目は天安門広場、故宮博物館、夜に和平街の全聚徳で夕食

第2日目は天檀公園、胡同と四合院、瑠璃廠、夜は朝陽劇場で四川雑技団を見て

第3日目は明の十三陵の定陵、万里の長城・八達嶺そばの居庸関、芦溝橋と抗日博物館を参観

第4日目は香山、頤和園、中関村へ行って、夕方の飛行機で大連に帰還

第2回目は2002年10月始めの連休に会社の研修旅行で、家族も含めて大人40人、子供6人(家族は自費負担)で4泊3日で、前夜大連を夜行列車で出発

1日目は来今雨軒飯荘で朝食、外研社・中関村数碼大厦・北京中関村軟件園を見学、北京大学農園で昼食、北京大学を参観、頤和園を歩き、頤和園路の東来順飯荘で夕食、宏国賓館(3つ星)で宿泊

2日目は香山へ登山(ここの紅葉はきれいでなかった)、亜運(アジア大会)村の京東肉餅で昼食、長城飯店(the Sheraton Hotel、5つ星)へ入り水泳、和平街の全聚徳で夕食、そこから歩いて天安門広場の夜景を見て、長城飯店で宿泊

3日目は天銀大厦・華彬国際大厦(Roy Chai Bldg.)・中国銀行本店などを見学、天安門広場・故旧を見学、遅い昼食を王府井近くで取り、夜行列車で大連へ、翌日早朝に大連到着

第2回目の旅行は前回と重なるところも多かったのですが(木柵地の国宏賓館に宿泊)、北京は何回行ってもいい気がします。香山の登山はいつも気分がいいし、天安門広場の夜景は始めて見ました。北京はいつも大変化をとげていて、例えば今回は地下鉄が今まで1・2号線だけだったのが、13号線が西直門から北へ半円形に東直門へ、「軽軌」と呼ばれるおもに地上を走る路線の西半分完成していて、年末までにすべて完成する予定と聞きました。オリンピックを控えてでしょうか、前門と瑠璃廠の南側に東西を走る、広い朱市口路ができていて、その南側に紫色の立派なプロテスタント教会が完成していて、バスガイドがあそこを見てくださいと自慢げに紹介していましたが、この朱市口教堂は去年私が写真を撮りに行った時には、道路工事と一緒に壊されていて、どうしたんだろうと思っていたものでした。

第3回目は2003年3月24日〜26日に会社の出張で行ったもので(国宏賓館に宿泊)、北京の欧米中日の企業へ誘致のために行ったものです。地安門そばの北平楼で北京風夕食を取り、初めて地下鉄に乗りました。[2003.05.14.] 第4回目は2003年7月14日〜17日に行き(国宏賓館に宿泊)、主に日系のコンピューター会社を回り、第5回目は2005年3月14日〜18日に行き(東三環南路にある世紀遠洋賓館Best Western Hotelに宿泊、1泊450元)、日系の様々な会社を回った。以下が私の北京の感想です:

北京はオリンピックが終るまで、人が住むところではないですね。(2005.03.18.)

天津


写真は左から:天津開発区への電車、開発区のHoliday Inn、会社の仲間たち

  7月末に、会社の同僚と2人で天津へ1週間出張して、月曜日午後出て金曜日午後大連へ戻った。勤めている会社が武漢(下記)に次いで、天津にもソフトウェアパークを作るので、あらかじめ外国企業誘致の可能性を探るための出張であった。大連からは飛行機で40分で天津浜海飛行場に着き、今回同僚が急遽予定を変えて北京へ1日行くことになり、迎えに来ていた者の車で一緒に京津高速道路を廊坊を過ぎて、北京の四環路まで送り、北京とは本当に近いのだなと実感した。(注:廊坊は北京と天津の長と中間点にあり、歴史上ここで義和団が8か国連合軍にはじめ勝ったというところで、中国商務部馬紅副部長の出身地なので、ここにソフトウェアパークを作ろうかという検討が一時あった。)飛行場からはタクシーで30分で、天津市街地にも、開発区にも着く。開発区は天津市街地からは電車(軽軌)またはタクシーで1時間くらいのタンクー(塘沽)港あたりにあり、天津経済新技術開発区(TEDA = Tianjin Economic-HiTech Devt Area)が正式名称で、TEDA(泰達)と呼ばる。私がいま住んでいる大連市の市街区と開発区の関係に大変よく似ていて、天津開発区にはすでに、モトローラのアジア最大の携帯電話工場、サムソン、ダイハツ、トヨタおよび関連企業などがある。

開発区の一番海側に、軽軌の終点駅の前に天津ソフトウェアパーク(天津浜海服務外包産業区)をこれから建設して、製造中心の産業にITO(プログラム開発)/BPO(業務引き受け)など、IT関係のアウトソーシング業務を加える。ビルはいまデザイン中で、建設が今年秋に始まり、来年末に完成する予定なので、天大科技園に仮事務所をまもなく構える。天津は中央政府の直轄4都市の1つで、人口は7百万。港町で、人口も面積も、私がいま住んでいる大連市とよく似ている。大学の状況は、ITO要員は天津大学(天大)、天津理工大学、南開大学などから、BPOの語学要員は天津外国語学院、天津大学、南開大学などからの卒業生が中心。今回は日系の通信会社1社、内装関係会社1、IT関係会社2社を訪ねて意見交換したが、なかなかいい感覚を得たので、人材の募集に注意しながら楽観論で進めたい。ちなみに、開発区は第三大街にレストラン、カラオケ、バー、ホテルなどが沢山あり、大連の開発区の金馬路・五彩城と似ているが、New MartやMykalのような大型のスーパーは見かけなかった。私が泊まったホテルはおそらく3星で、1泊230元のところを、60元支払って済み、清潔で冷房もよく効いていた。

普通の日本人は、天津は北京近くの港町で、なぜか日本では天津甘栗が有名なので、名前は知っている。(空港で日本の「万寿家」(ますや)が「天津甘栗」、「天津栗羊羹」を売っていて、値段がバカに高いが(65元)、味はまぁまぁだった。)歴史を学んだ人は、19世紀にアヘン戦争のあとの「天津条約」で中国の主要沿海都市が外国に開放され、20世紀に入って義和団事件の時に日本も8か国連合軍に参加して、天津の塘沽の港から上陸させて北京を占領した、ことは知っている。戦前、日本人の疎開があり、いまも解放路にもと横浜正金銀行ビル(東京銀行の前身)があるのを見た。さらに中国語を勉強した人は、周恩来首相が天津の南開大学で学び、近くに夫妻の記念館があり、また「狗不理」と呼ばれる包子がおいしい、と習っているかも知れない。「地球の歩き方、中国」ガイドブックに「狗不理大酒店」があったので行ったが、1個8元もして、うまくもなかった。タクシーはすべてダイハツ夏利 Xiali 1.0Lまたは1.3Lで小さい。来年のオリンピックでサッカー競技などが行われるが、西洋人には小さすぎて問題になりそう。運転手の礼儀は大連より正しいが、街中で警笛はプープー鳴らしていた(大連では最近禁止になった)。市内は天后宮、古文化街などがあるが、面白くなかった。天津には月刊日本語広告誌「JIN」(天津風華広告発行、英語版と日本語版あり) が出ている。日本商工会はなく、天津日本人会があり、1度寄ったが係員が不在で、2度目はいま来客中であと30分待ってくれといわれ、結局会わずじまい。(2007.08.03.)

山東省の煙台・威海衛

大連から黄海を越えてすぐ南にあるので、いつか行かねば。

山東省の青島(2007)

10月初旬の連休に5割引の航空券が手に入ったので、友人と急に3日の旅をしてきた。大連を23時に飛び立つもので、青島流亭飛行場の3つ星ホテルに泊まり(インターネット接続がタダ)、翌日は早く空港バスで(15元)町の4つ星ホテルに着いたが(マレーシアの華僑のホテルのせいかインターネットは有料で、1時間10元〜1日最高50元)、午前中はホテルで休憩したのち、歩いて10分のところにある海岸で散歩。大連に比べて、海が町に近い。タクシーでダウンタウン方面へ行き、ドイツ人が建てたプロテスタント教会(蘇江路基督教堂、入場料7元)、カトリック教会(天主教教堂、5元)を見て、青島駅はオリンピックを控えて大改造中なのを見て、ホテルに戻り、[門虫]江Minjiang路のほうへ行って四川料理店で夕食。2日目は前日予約しておいた[山労]山へ観光登山(詳しくはこちら)。3日目は朝小雨だったので、ホテルでブラブラして、昼12:00ごろ雨はあがっているのでチェックアウトし、タクシーで中山路へ行って1930年代のドイツ建築を見て散歩し、中山路からカトリック教会を見上げる設計になっているのを理解して、そこらにはレストランがないので、[門虫]江Minjiang路へまた行き、台北レストラン(法耶餐庁La Fayette)で遅い昼食後、ホテルでゆっくり荷物を取って、バスで空港へ行き、23:05発の飛行機に乗り、大連の家に着いたのは00:30過ぎ。(2007.10.08.)

山東省の曲阜、泰山、済南(2004)

十・一休暇に大連からの3泊3日のツアーで、山東省の曲阜、泰山、済南へ行く機会がありました。費用は旅行社への支払いが1550元で安かった。(煙台へ船で行くツアーを望んでいたが、早く満員になり、「双飛」の50人参加のツアーでした。)1日目は夕方17:00時に飛行場へ集合し、飛行機は19:40に予定通り出発し、済南空港へ到着。3泊ともにホテルは山東金馬大厦(山大路262-1号、@経十路、0531-893-6688)で、この日は夕食を取るのを忘れて(というより、飛行機で夕食が出ると思ったが、出なかった)、ホテルの聖巴西西餐(Brazilian Restaurant)で遅かったので50元を30元にまけてもらって食べた。2日目は7:30にバスで出発して、10:30に曲阜の孔廟(孔子廟)へ。高速道路の出口に「有朋自遠方来、不亦楽乎」と大きく垂れ幕があるのが印象的で、なぜか門前では生の大根を包丁で縦に切り身を入れたものを食べるのがはやっていてこれを食べて、あとの孔府と孔林も入れて団体106元を払い、廟内へ入り、倒柏・圓柏の木が美しかった。12:50に東方聖城大酒店(五馬祠街)で昼食、13:30に孔府(孔子の子孫の住居)へ。そこからまた20分くらい歩いて15:00に孔林(孔子などのお墓がある)へ。16:15にはそこを出て16:40にバスに乗り、19:00に済南のホテルで夕食。この日の観光は、全然おもしろくなかった。夕食後は土地のスーパー、大潤発百貨店(歴山路@文化西路)へはるばると歩いて行き、翌日の昼食などの買い物をしました。

3日目は、7:30にバスで泰山へ向けて出発、9:00に泰山の天外村の手前で下車し、バスで5合目(中天門)あたりまで行き、そこから歩いて登るような中国人ツアーの代表的な一般コースで、9:50に天外村で小型バス(24人乗り、18元)に乗り、10:15に中天門(海抜847m)へ到着、そこを10:30に大勢の人たちとともに歩いて出発し、石段を登り、途中で山東煎餅(塩味の中国式クレープ)を買って食べたりして、12:15にやっと南天門へ到着。そこで昨晩買ったキュウリ、パンなどを昼食として食べる。そこから稜線を東へ歩いて、13:30に頂上の玉皇頂(海抜1545m)へ達し、皆さん鍵を納める儀式をしているのを見て、13:45にそこを出て、14:10に南天門へ戻り、駆け足で下り、15:10に中天門に到着し、そこで小型バスに乗り、15:50に天外村へ戻って、そこの芝生でゆっくり休息。17:40にツアーのバスで出発、途中で「華泰木魚石」工芸品売店へ寄ったが、ここの木魚石は偽物が多いという話もあり買わず、済南には19:00に到着、夕食はホテルで。前日も、この日も、鯉の料理などは出ず魯菜(山東料理)は大したことはなかった。4日目は、朝食前に山東大学の東キャンパスへひとりで行って見て(1901年に北京の京師大学の郊外校として始まり、2000年に工学部と医学部を合併(211工程))、9:10に済南市内観光へバスで出発、10:00に黄河大橋を見て、11:15にパオ(Bao4)突泉公園を見学(済南は泉城とも呼ばれ、たくさんの泉があり、大変印象的でした)、12:15に博遠大酒店(緯九路)で昼食。13:30から自由行動になって、私は仲間とタクシー(初乗り6元)で14:10に省博物館(20元)を見て(戦前の済南戦争などの歴史が見れると思い行ったが、ここにも隣りの市博物館にもなかった)、16:00に隣りの千仏山公園に行ってロープウェイと徒歩で山頂へ行き(入場料15元+索道往復25元)16:45まで遊び、その後またタクシーで東にある天主教洪楼教堂(ドイツ人のカトリック教会が建設)へ行き、17:30にそこを出て、18:20には西にあるプロテスタントの経四教堂(緯六路の手前)を訪問して、19:00には経十路の南側にある中華名優小喫城レストラン街の済南小喫城で鯉などの魯菜で夕食を取り、20:00に中心街の三聯大厦に集合してバスに乗り、21:00に飛行場へ到着。22:50に飛行機が時間通り出て、済南〜大連へ。(2004.10.05.)参照:友人の馬場宏治くんの梁山(水滸伝のふるさと)にまで足を伸ばした話を「中国その他の場所」で

中国中部

武漢

1) 武漢へは、三回行っている。初回はいま勤めている会社が大連に続いて、揚子江中流域の大都市・武漢にもソフトウェアパークを作ることになり、どんなお客様を誘致したらいいかを探る目的で1月末に1週間出張した。大連から飛行機で青島に寄って、3時間半で武漢天河飛行場へ着いた。(天津経由もあり、また直通だと2時間半。武漢は揚子江に北西から漢江が合流しているところで、武漢3鎮とよばれる武昌(政府・学園地区)・漢口(商業地区)・漢陽(工場地区)に分かれていて、飛行場からのバスは、まず漢口へ入り、漢江をわたって漢陽へ少し入るのが気づかず、平原を走っていたバスが急に高度を上げ始めたと思ったら、巨大な橋を渡り始め、これが戦後ソ連の援助で作られた武漢大橋で、煙霧の中で下に急に長江(揚子江)が見えた。橋を渡って武昌へ入るとすぐ左に黄鶴楼が見えたが、もう5時ごろで見学の時間がなかった。 台湾にいたときによく習った、清朝を倒し翌年中華民国がはじまることになる蜂起(武昌起儀)の場所を通ったらすぐバスの終点で、そこまで1時間かかり(バス代30元)、そこからタクシーで武漢軟件園(ソフトウェアパーク)近くのホテルまで20分(45元)。

武漢の人口800万。ここは内陸で、ホコリっぽく、長江が三峡を下って大平原に出た氾濫原にあり、大きな地図にはない湖・沼が沢山あり、冬は水蒸気で太陽がオレンジ色に見え、夏は重慶・南京と並んで中国の「3大かまど」といわれているそうで、さぞかし蒸し暑いと思う。武昌の町の郊外には武漢東湖“光谷”開発区と呼ばれる広大な地域があり、多くの大学と工場がある。(光谷Optical Valleyとは、この地区の開始時点でオランダのフィリップス関連企業がここに光ファイバーの製造工場を作ったためで、いまでも中国の光ファイバーは主にここで作られていて、中国プロサッカーに武漢光谷チームもあるので。)この地区の東南寓に武漢“光谷”軟件園(位置で武漢を選択)が大連軟件園と武漢東湖“光谷”開発区管理委員会の折半の投資で作られ、4月に中型ビルが4棟、7月に大型ビルが2棟完成する。ホテルはこの近くで3つ星くらいだが(1泊320元=5000円弱)、部屋が広く、デスクトップ・パソコンとインターネットが無料で使える。インターネットがなく、あっても有料で、狭い部屋の日本のホテルい比べて、中国の人たちがうらやましい。

翌日は武漢光谷軟件園の事務所へいって、武漢開発区管理委員会へ寄り、日系会社も2軒まわって、その1軒の人たちと漢口の日本料理店で夕食を食べてきた。武昌側から長江を渡って漢口へ行って、また武昌側へ帰ってきが、きょうは偶数日なので、偶数のナンバープレートの車だけしか橋を渡らせないような交通制限が毎日ある。その翌日は光谷軟件園で同僚と建設中の建物を見学して、入園希望の日本語学校と話し合いをして、そこで昼食後、タクシーで黄鶴楼・長江武漢第一橋・漢口の解放路・武漢二橋を回り(同僚が来るまでグルグル回るのが好きで、戦前のフランス・日本などのもと疎開地にも興味がないので、降りて写真を撮りそこねた)、もう1つの日系企業を訪問して、武漢の状況を聞き、軟件園も説明して、早めにホテルへ帰った。武漢は本当に大きい。タクシーはほぼすべて、漢陽に大工場があるシトロエン(雪鉄龍)の神龍・富康988というモデル(1600cc)で、(私が去年買い損ねた)愛麗舎Elyseeもチラホラ。タクシーはじめ(起歩)3元で安いが、5〜6元くらになると他の都市並みの料金に追いつき(大連ははじめ8元)、これは数年前にリンタクを廃止した時の名残だそうだ。

武漢は長江(揚子江)の中流にあり、地図で見ても中国人口配置の中心。日系企業でも中国の消費者へのコールセンターなどの中国全土向けのサービス拠点にはいいと思う。雪鉄龍シトロエンCitroenが東風汽車と合弁会社を作っていて、東風汽車が最近武漢へ本社を湖北省十堰からここへ移し、日産自動車も中国本社をここに移し、本田もシビックなどをここで作っている。(私は2年前にシトロエンCitroen Elyseeをオーダーしたあと納期が異状に延長されたので、ホンダFitを買ってしまったので、次の機会にはまたシトロエンにしたい。)武漢は日中戦争中に日本軍がここまで進駐してきて、それ以上進めなかった。出張前に読んだ本の中の「図説、日中戦争」(河出書房新社、2000)に、上海・南京・徐州を攻略した日本軍が1938年秋から武漢に進攻した模様が詳しく書いてあった。日本軍はその後1945年まで駐留していた訳で、駐留中に中華民国政府があった重慶へ無差別爆撃したり、長沙へも進攻したりで、まあ読んでいて気が重くなった。当時傷病兵が収容されていた病院に桜を植えたらしくて、戦後の日中国交回復後も桜が贈られたりして、これが武漢大学に残っていて、中国で一番桜が美しいところと聞いているので、4月にまた出張して、やはり黄鶴楼も登ってみたい。(2007.01.26.) (Update 2007.08.05.) 

2) 二回目の武漢行きは日本のお客さんが武漢ソフトウェアパークを見たいということで、同僚と2人で大連から武漢へ出張してきた。第1日目の午後大連から武漢へは直通便で2時間あまりで着き、出迎えに来てくれたタクシー運転手が、武漢についていろいろと教えてくれて、武漢製鉄廠・武漢鍋炉(ボイラー)廠・武漢造船廠(下記の注参照)などもあるのを学び、また橋は3つできていて、三橋を通ったが、これはきれいなつり橋で(一橋はコンクリートの橋脚が10くらいあり上が道路・下が鉄道、二橋はかまぼこ型、あと3つ建設中)、お泊りは開発区にある新大谷商務飯店(The New Otani Business Hotel @関山路)というあやしげな名前のホテルに2泊した。(インターネットは無料で使えたが、すぐ認識されないで、IPアドレスなどを入れて接続した。)夕食は近くの龍鳳魚という所(@関山一路金地太陽城B区16号 8756-9957)へ歩いて行き、土地の江[魚連](?)の山椒味火鍋へ、いろいろな具も注文して食べた。夜9時ころ武漢の同僚が自動車関係のプレゼンの追加を持ってきたので、夜半までそれを日本語に直してから寝た。翌日のあさラマダ・イン(華美達酒店)でお客さんたちをピックアップして、すぐ武漢高新技術区管理委員会へ案内して副局長から武漢市と開発区のプレゼンを受け、その後武漢ソフトウェアパークに案内して、近くの荷田会所という所で昼食後、東湖風景区を武漢大学などぐるぐる車の中からお見せして、天河飛行場へ見送りした。
注:
1)武漢造船所はここで潜水艦をつっているそうで(最近青島に子会社も作った)、ついでに、中国の戦闘機はおもに成都で、戦艦は上海で、空母は大連で、戦車はパオトウ(包頭)で、重火器は石家荘で作っているという。
2)武漢には
武漢日本商工クラブがあり、日系のIT会社としてはインテック(本社:富山市)のIT子会社、安川電機(本社:北九州し)のIT子会社・安川情報システムの合弁会社(合弁相手は武漢大学関連会社)などがあり、UML(Unified Markup Language)をアジアで推進している日本のUMTP(UMLモデリング推進協議会)が武漢大学を中心にセミナーなどを開いていて、武官は日本のIT業界とも関係が深い。

夕方時間があったので黄鶴楼へ行き、「この人は武漢市のために企業誘致活動をしているのだから」と同僚が私を入り口の係員に紹介・説明してくれて、パスポートと写真と60元で黄鶴楼の年カードを作ってもらった(通常の入場料は1回50元)。丁度夕日が長江の向こう側を沈むところで、写真を沢山撮った。また、李白の詩以外に崔の詩「黄鶴楼」

毛沢東の詩「水調歌頭・游泳」(1956) を学んだり(この「西江に石壁を立て」という部分が「三峡ダム」の予言だと言われていらしい)、武漢長江大橋を列車が南北に行き来するるのを見下ろしたり、武漢造船所を遠くに見たりして、暗くなってからホテルへ帰り、その後武漢軟件園の総経理が夕食へ招待してくれた。翌々日は我々は朝早くホテルを出て、この日は武漢大橋完成50周年記念日で、天河空港発の南方航空は大連経由の長春行きだった。おみやげは空港で、湖北省の麻糖の詰め合わせと武昌魚を買い、一緒で70元。(2007.10.17.)

3) 三回目の武漢行きは、すぐ下の6.日目に書いてあるように、2014年の夏に重慶・長江三峡・荊州へ行った時に、武漢へ寄ったもの。 (2014.08.26.)

重慶、長江三峡、荊州、武漢 2014

中国・大連へ移り住んで13年目の終わり(2014年)の夏に、長江三峡へいってきた。日本人友人たちと5人で重慶、長江三峡、荊州、武漢を5泊6日で回ったもので、行程は
  1. 空路で大連〜天津〜重慶。重慶江北空港からホテル(大礼堂酒店)へは現地ガイドを頼んだ他は、午後は自分たちでバスに乗って市街区へ行き、泥水で急流の長江の上を長江ロープウェイに乗ってからは、中心地の解放碑へ。重慶は南京・武漢と並んで三大火炉で、確かに蒸し暑いが街路樹に黄葛樹を植えていて、木陰が気持ちよかった。そこで軽軌(地下鉄・郊外電車のようなモノレール)に乗って大坪駅まで行くと綺麗な水の中嘉陵江もたっぷり見えて、戻る途中の曽家岩駅で降りて長いトンネルを抜けると人民広場へ戻れた。夕方重慶火鍋を食べて、夜の武漢はまだ蒸し暑いのに人々はダンスと歌に興じていた。
  2. ガイドと専用車の案内で、人民広場、重慶三峡博物館、少し離れた磁器口(明代の港町)を見て昼食。洪崖洞で嘉凌江が長江へ流れ込む様を見て、朝天門埠頭で500人乗りの豪華船・長江黄金5号にチェックインして、すぐ一時下船して夕食と買い物。夜の10時に「三峡下り」へ出帆。
  3. 5階建の船の上部甲板のコーヒーショップでコーヒーを飲んで、VIP食堂で朝食。午前中に豊都で小雨の中を一時下船して、「鬼城」を見学したが、これは神仏混交のゴチャゴチャしたものだった。午後は淡々とした平地を行く航海で、退屈。午後のオプションの「石宝塞」下船は、希望者が少なくてキャンセルされたといっていたが、そこは夕方暗くなって通過して、もともとスケジュール上無理。午後遅くに、船長主催の全乗員へのパーティーがあり、夜は乗組員によるタレントショー。
  4. 午前中は大きな湖のような所(豊節)で一時下船して、バスでひと山越えて橋を渡ると白帝城で、李白が「朝に辞す白帝彩雲の間、...」と詠んだ詩をいろいろの人が書いた石碑や『三国志演義』の場面の展示などを見る。乗船するとすぐ三峡の第一「瞿塘峡」(くとうきょう)を通り、10元札の裏にも描かれている有名な光景だ。午後は巫山で一時下船して、小三峡、続いてオプション(400元)で小々三峡を遊覧。夕方、三峡の第二・巫峡(ふきょう)を通り、長江のほとりに立つ神女峰などの神々しいまでに美しい十二峰の山々を夕暮れの景色として見た。夕食はネクタイと長ズボンと「つま先が見えない靴」で正装して、船長が招待の夕食会で、英国からのカップルと、カナダからの孫とおばあちゃんと一緒のテーブル。夜には操舵室を見せてくれた。三峡の第三・「西陵峡」は夜間に通過して見れなかったが、翌日の午前2時に起こしてもらい、豪華船が三峡ダムの5段ロックゲートを通る様を見学できた。
  5. 午前中は三峡ダム見学のためにはまた一時下船。バスに乗って、エスカレーターに乗って壇子嶺という小山へ登り、南側の三峡ダムと北側の2列のロックゲートを見下ろす。再上船して、黄梅峡を通り(これもなかなかのものだった)、今も中国最長の葛洲[土覇]ダムの手前の三游洞埠頭(宜昌市郊外の小さな埠頭)で下船すると、武漢からガイドが迎えに来ていた。武漢へ行く途中に我々は赤壁へ寄りたかったが、その代りに荊州の古城へ寄り(各自200元)、ここは三国志にたびたび登場する石垣と土塀に囲まれた町で、私はその素朴さが気に入った。夜に武漢3鎮(武昌・漢口・漢陽)の内の漢陽から漢江を渡り、漢口にあるホテル(漢正瑞3x金酒店)に到着。
  6. 午前中はガイドと専用車で武漢見学で、漢口側で戦前の租界地の横浜正金銀行(改装中)を見て、長江大橋を渡り、武昌側にある黄鶴楼、大雨の中で隣りの「紅楼」(武昌起義記念館)、少し離れた所の湖北省博物館を見て、大急ぎで武漢天河飛行場へ到着。大雨のためか飛行機の出発が遅れて、直通で大連の自宅へは真夜中に着いた。
長江三峡はすばらしかった!重慶では危険なほどの水量と急流が、白帝城あたりから巨大な細長い湖になっていて、もう川下りではなく、少しの流れはあるが平坦な湖水の遊覧だった。5日目に赤壁へ寄ろうとしたが、ガイドとの交渉に失敗し(行程的に無理だったかもしれない)、途中で荊州によって、これもなかなか良かった。何が一番楽しかったというと、5人の協力体制とおしゃべりだった。私は中国語ガイドの通訳をして貢献した。 (2014.08.26.)

山西省の太原、五台山、大同、雲崗石窟(2004)

2004年のメーデー休暇に、山西省の太原と五台山(ウータイシャン)、大同と雲崗石窟(ユンカンシークー)へ行く機会がありました。大連の十大旅行社が募集した5泊5日のツアーに参加したもので、全体で70人くらいが現地ではAとBのグループでバスに分乗して行きました。参加費用は、1人2280元(その内飛行機代が1040元;傷害保険代20元と飛行場使用代2x50元は別払い)でした。第1日目は、大連19:20発の飛行機が濃霧のために遅れて 00:30に出発、02:15に太原武宿飛行場に着き、ホテルに入ったのは02:50という、初日から波乱含み。第2日は、7:00に起床、7:30に朝食、8:10に専用バスで出発、まず全体の計画がはじめ太原の周りを見てその後大同の周りを見る予定がその逆に変更され、太原の街路のアカシア(大槐樹)がもう花が咲いているのを見ながら郊外へ出て、楊家峪インターチェンジから高速道路へ入り、時々ヤオトン(崖に作られた横穴式住居)を車窓に眺めながら高速道路を一路北へ。忻州Xinzhouで高速道路を出て、五台山へ向かい、11:38に壮大な峠を越えて、12:30に五台山の中心地である台懐鎮へ到着。途中五台山には中国仏教のお寺(黄廟)とチベット仏教のお寺(清廟)があり、半々であるとの説明を聞き、ここは海抜2000mの高地にある盆地で、まわりを5つ頂上が比較的平らの高い山に囲まれている。13:00には海天酒楼(臥龍山荘)で昼食。ここからあとで菩薩頂(プーサーティン)と分かったお寺が、チベットのポタラ宮のように見え(右の写真)、その背後の北台頂(3058m)にまだ雪があり、霜をかぶっているように見える、すばらしい景色で、快晴だが5月の風が冷たくて寒い。昼食後13:40に出発して、台懐鎮をずっと上手の方へ歩いて、14:20には菩薩頂へ裏口から入り、15:50には顕通寺(洛陽の白馬寺を建てた2人のインド僧が同じ年にここへ建てた)へ下り、さらに塔院寺(大白塔がある)と万仏閣へ下りて、見学した。(どこへ行っても文殊菩薩が祭ってあり、彼の誕生日が6月で、五台山挙げての大掛かりなお祭りがあるという。)18:05に駐車場を出発して、21:15にやっと夕食(麺食王@忻州)、00:38 に忻州を1時間ほど北へ行った所の朔州市で2つのホテルに分かれて寝たのが00:45の強行軍でした。

第3日に、私は7:00に起床し、外を散歩してから朝食。9:15にバスで出発し、広い平原を時々遠くに山脈を望みながら北の大同方面へ毎時110kmでつっ走る。途中10:50に木塔(仏宮寺釈迦塔@応県)へ寄り、12:20に懸空寺を見学。ここは金龍峡谷(すぐ上に恒山湖のダムがある、1958年建設、高さ69m)の崖に建てられたお寺で、12:45にそこの笑容飯荘で昼食、13:20から懸空寺へ上がり、これはなかなかスリルがあるいい経験でした。(日本の島根県の山間に、三仏寺の三徳山(みとくさん))投入堂(なげいれどう)という似た建物がある。NHK-TV 2007.01.01./02.)15:05には出発し、16:45には大同市の九龍壁(前の池で龍が泳いでいるように見える)を見学し、17:40に大同市内の南側の迎賓路にあるホテルへ。18:15から近くの麗晶美食(@新開南路南口、0352-209-9333)で夕食。夜私はタクシーでキリスト教会・大同市基督教堂(スェーデン人が建て、ここは西堂といい、東堂もあるという)を見に行き、21:10にホテルへ帰った。第4日は、私は6:00に起床、外を散歩。朝食後9:00に出発、9:25に雲崗石窟を見学開始し、写真をたくさん撮り(右の写真)、12:00にバスで大同市街へ帰り、12:20に前夜に食事をした麗晶美食で昼食、13:15に再出発し、高速道路をまた110km/hで突っ走り、楊家峪インターチェンジから太原市街地へ入り、16:30には山西省と言えばお酢という訳で有名なお酢の工場東湖酢園(老陳酢集団、以前は美和居)を見学し、18:10にホテルへ着き、ここで夕食、汾酒(フェンチョウ、山西省の白酒、さわやかな味がする)を沢山飲みました。夕食後は、開化寺街を歩いて柳巷南路(中心街)へ散歩し、21:08に寝る。

最後の第5日に、私は6:00に起床、ホテルのすぐ来たの鐘楼街を歩いて、柳巷南路を過ぎて、キリスト教会・橋頭経堂(光緒4年に建てられたという)で第十四期義工培訓班開学と書いてある聖書研究会に参加した(マタイ8:24-27を節をつけて読んでいた)。8:05にバスで出発し、10:10に霊石インターチェンジを出て、王家大院(高家崖と紅門堡がある;創始者の王兄弟はまず豆類の商売でもうけてから、四品官という今の省長/市長のような役人になったという)を見学。13:00に町の城壁が残る平遙古城(ピンヤオ、城壁は1.5x1.5km)へ入り、13:30に昼食(@宝泰飯荘、冠雲牛肉など)、15:00には日昇昌票号博物館(19世紀初めから20世紀初めにかけて小切手のような「票号」を取引し銀行の役割をして、雷履泰1770-1847など金融商「晋商」を輩出)を見て、16:45に再出発、太原の南郊外の汾東南路/平陽路の南に白色と紅色のアカシアの並木を窓外に見ながら通り、18:20に太原の迎澤路(@柳巷南路)へ到着。そのあたりにはレストランはなかったので、食品街まで歩いてそこで夕食(最低!)、19:45には市内を出発し、南東郊外の山西大学のそばを通って、20:25に太原飛行場へ着き、21:40発予定の飛行機が22:55にやっと出発し、00:10に大連空港に着き、00:45ごろ就寝するという強行軍でした。私が住んでいる大連市では、一番好きなレストランが麦子大王という山西料理店で、前々から山西省へ行きたいと思っていましたのが、願いがかない、すばらし田舎の地方であることが分かり、満足したたびでした。(2004.05.06.)

湖南省の長沙と張家界(チャンチァチェ)(2002)

2002年5月のメーデー休暇に大連発のツアー(3180元、大連豪華C団・金龍汽車・西部国旅)で長沙と張家界へ行く機会がありました。第1日目(4/30)は夜10時の飛行機が更に遅れて深夜大連を出発(南方航空CZ9372 大連23:20-02:00長沙)、長沙黄花飛機場そばの今朝賓館へチェックイン。第2日目(5/1)は、8:30にホテルを専用小型バスで出発、12:00に留賢二餐庁で昼食、13:00に桃花源記公園(陶淵明を記念)へ入り、裏山の御碑池、高挙閣、儺神廟へ登り、秦城で出口へ。18:00に常徳の寧泰賓館へ着いて宿泊。3日目(5/2)は7:00に常徳を出発し、折からの梅雨期の雨を集めた[シ元]江を渡り、12:00に張家界の武陵源の銀都大酒店で昼食、13:00から黄龍洞(1983年に発見された鍾乳洞、銀花池などがありすばらしい)、15:45からは天子山索道(全長2084m、高度差692m、安達+Doppelmayer1997年、右の写真は五筆峰)へ乗り、賀龍公園から歩いて下山。20:00に張家界賓館へ戻って、夕食。このホテルは南画の風景が回りに広がるすばらしいところにある。

4日目(5/3)は7:15に賓館を歩いて出発、ケーブル(POMA)で森林公園の黄石塞へ登ったが、折からの雨。11:45に賓館へ戻って昼食、13:30から金鞭渓(5.7km)を散策(川に沿って南画の風景が展開する)、18:30に張家界賓館で夕食。第5日目(5/4)は朝ホテルを出て、9:00-11:00に茅岩河漂流(温塘からゴムボートで35 kmの川下り、途中から中型の舟)、12:30に金山飯店@張家界市で昼食、13:30に張家界から武陵源・黄龍洞へ戻り、慈利県、常徳市を経て(19:30に旅行楽美食城で夕食)、[シ元]江を渡り、22:45に長沙へ到着。第6日目(5/5)は、8:30-10:00に湖南省博物館で馬王堆漢墓からの出土品などを見て、10:30-11:30には湘江を渡って岳麓書院へ行き、12:00に王子大酒店で昼食、13:30-16:00には嶺尚・澄子ご夫婦と長沙駅で待ち合わせて、UCCコーヒーショップで雑談したあとキリスト教会を2つ訪ね(左の写真は長沙基督教会)、16:30に新興大酒店4F新興家菜館で夕食(白沙口卑酒など)、夕方の飛行機(南方航空CZ9371波音737長沙19:30-21:50大連)で大連へ着いた。[2002.04.31.-05.05.] 大変面白い旅行でしたが、残念ながら今回は九天洞(アジア最大の鍾乳洞)や宝峰湖へは行けなかったので、秋にまたいってみたい。

中国南部

雲南省の昆明(2002/2007)

1) 2002年1月末に昆明でAmity Foreign Language Teachers's Conferenceがあり、約1週間行ってきました。まず初日(1/26)は飛行機(3Q4616 15:30-20:10 Boeing 373-700 3720元)で昆明飛行場へ行き、タクシーで錦華大酒店(Kunming King World Hotel、98 Beijing Rd 0871-313-8888、特別料金で1泊350元 食事50元)へチェックイン。翌日(1/27)は日曜日だったので、10:00から錫安聖堂(Holy Zion Church 256, 368, Jamea 4:17, 312)へ参加、階上で英語集会があるというので11:30-13:00にKunming International Fellowship (KIF, Tomという方が主催, Phi 4:10- Contentment, Dr Brakesが説教)で礼拝、午後16:00-19:00は駅前からバスに乗って雲南民族村を見物した。3日目(1/28)からAmity Conference(1/27-2/2)がホテルで始まり、午後15:00-16:00は、駅前からバスに乗って高[山焼-火]Gao1-yao2、太華寺を経て、[シ+真]池(ティエンチー、昆明の西南郊外に広がる大きな湖)の西岸にある西山森林公園(ここに、私の故郷である藤沢市の友好都市・昆明市に生れた中国国歌の作曲者、聶耳ニエ・アールの記念碑・お墓がある、左上の写真)へ1人で遊びにいった。

4日目(1/29)は主に会議に出席、5日目(1/30)は午後13:40-16:40にみんなでバスで干海子村へ移動し、少数民族、苗(ミァオ)族のAmity Projects(バイオガス、図書室、医療室、道路など)を見学と交流に行き、教会堂や猫族文字(香港から来た英国人牧師が創ったと言われている)も見せてもらって、武定に宿泊(500元)。6日目(1/31)は武定県基督教清心堂(苗族が多い、右の写真)でAmity Projectに関する県政府の評価の話を聞いて賛美歌を歌う交流をして、8:30-13:30かけてバスで武定から昆明へ戻り、午後15:00-17:30に雲南省博物館を訪ねた。7日目(2/1)は1日9:30-17:30石林へ観光に行き(交通費300元、途中に昆明からベトナムのハノイまで通じるフランスが建設した狭軌1,067mm鉄道が山間を走るのが見えがくれする)、8日目(2/2)は早朝チェックアウト(3700元)して、タクシーで飛行場へ行き、そこで火龍果・石榴などの南方の果物を売っていたので買って、飛行機( 3Q4615 10:30-14:40)で大連へ戻りました。[2002.01.26.-02.02.]

2) 2回目の雲南省旅行へ、年末・年始に休みを取っていってきた。12月28日から6日間の大連発ツアーに乗ったもの。昆明へは6年前にいったが(前記)、今回は昆明からさらに奥へ、雲南省旅行定番の大理・麗江へもいったもの。(第1日): 大連からは、早朝に飛行機で出発して途中鄭州に寄って、5時間かかって昆明へ(海抜1891m)14:00に到着。まずバンに乗って、東郊外の九郷(チウシャン)というところで地下の鍾乳洞へ入り(私は鍾乳洞へ行くのは始めてなので感激)、石林公園の入り口近くの旅館で泊まる(このツアーのホテルはすべて3つ星で、食事はまずかった)。(第2日): 翌日起きて石林に寄り(ここは何回いってもいい)、午後昆明へ戻り、世界園芸博覧会1999会場へもいった。雲南省には中国の少数民族56のうち25が住んでいるそうで、石林あたりはイ(彝)族が住んでいて、イ族の人たちは、我々に「アーパンカー(阿胖哥、お兄さん)、アパンメイ(阿胖妹、お姉さん)」と呼びかける。夕方、園芸博覧会会場の手前のところで、夕食を食べながら少数民族の歌と踊りを見た。昆明から大理への移動は夜行列車で、3段ベッドの2階で寝て、窮屈で背中が痛くなったが、(第3日): 朝起きたらもう大理(標高1976m)。ここらあたりはペー族(白族)が中心で、そこからすぐさらにバンで5時間かけて麗江へ(標高2400m)。麗江近くなると前方に玉龍雪山が見えてきて、麗江(標高2400m)に大きな平原にあり、平野のどこでも玉龍雪山が見える。 麗江はナシ(納西)族の居住地で、まず束河(シューハー)古城と呼ばれるナシ族の居住地に寄り、ここはまた昔チベットへ文物を運んだ「茶馬古道」が通ったところ。ナシ族はもともとチベットから移住してきた人たちだそうで、トンバ Tompa 宗教・文化・文字(表彰文字)をもつ。観光客には、「パンチンカー(胖親哥、お兄さん)、パンチンメイ(胖親妹、お姉さん)」と呼びかける。念のため、ナシ語で
Hello は A lala lei
Good bye は Lei toto
Thank you は Jiu bai sei
夕食は、雲南産のキノコ鍋を食べさせてくれるところで、自然の恵みにあずかった。ついでに、雲南省の人たちはほぼ北方方言を話していて、ガイドさんと運転手の話も少しなまりがあるが、そばで聞いていて大体分かる。西の西安も、成都も、大体北方方言だった。

(第4日): 翌日は早朝からバンに乗って玉龍雪山(最高峰・扇子?は5596m)を目指し、牧場/ゴルフ場でバスに乗り換え、ケーブル−カーに乗って雲杉坪(Spruce Meadow)でなくて、毛(牧-攵+毛)牛坪(Yak Meadow、標高3680m)までいったが、あいにく雲に囲まれてしまい、冬だったので周りが枯れた芝生で景色はよくなく、でもヤク(チベット・ヤク)を見たが、とにかく寒くて、早々と退散してケーブルカーで降りた。帰路のバスが白水河・藍月谷と呼ばれるところに寄ったら、玉龍雪山が雲間からか顔を出して、写真をパチパチ撮った。この日の午後は、麗江古城に寄り、みんなでブラブラして、夕食はここのバーが並ぶところにある「桜花」(韓国人経営)で、また辛い四川風鍋料理を食べ、コーヒーを飲み、終わってバー街をブラブラして、ホテルに帰った。この日は大晦日だったが、少しテレビで歌の番組があった以外は、外で少し爆竹が鳴っただけで、他は何も大晦日らしくなかった。 (第5日): 翌日は元旦で、午前中はツアーの休憩時間で、玉龍雪山を映す池がある玉泉公園へ行く元気もなくて、ホテルでブラブラし、お昼に麗江をバンで出発して、午後遅くに大理に着く。途中で麗江平原を出ると、10km以上にも及ぶ観音峡の坂道を下り、また平原に出て、また大きな山道を下る繰り返しの地形を見ることができて、ああこうなっているので、世界の秘境となっているんだと分かり、いつかさらに奥の秘境、シャングリラーからチベットへ行ってみたいと思った。大理では、まずペー族の大理古城を見て(麗江古城を見たあとなので感激が少ない)、大理の山(蒼山、主峰・馬龍峰は海抜4122m)と海([シ耳]海=アーハイ)の関係を見て、夕方は大理駅まで送ってくれたので、駅近くのペー族レストランで夕食。アーハイで捕れたてのフナ(中国語で[魚即]魚)が子持ちで、うまかった。 大理から夜行列車に乗り、(第6日): 翌朝昆明へ戻って、さるホテルで朝食後すぐ尊品珈琲&佳子盟花卉市場(鮮花・ドライフラワー市場)へ寄り、いろいろな買い物をして、私はプーアール茶(普[シ耳]茶)は避けて薬用の「三七(花)茶」(三七人参の緑色の花を乾燥したもの)を買った。帰路の飛行機は買い物のダンボールは機内持込でタダで、途中重慶に寄り、夜7時ころ4時間かかって大連へ帰ったので、往路より1時間早かった感じ。

終わりに、雲南省は、冬やはり寒く、ほぼ大連での服装(長袖下着シャツの上に長袖シャツ、セーター、ジャンパー、ズボン下)で過ごしたくらいで、また山腹が緑でないので、やはり時間があれば春〜秋に行くべきだろう。また、はなやかな少数民族のショーと一見楽しそうに見える少数民族の人たちの観光客に対する動作の裏に、政治的には江沢民時代に広範囲に行われた、少数民族の代表が漢族の代表にとって替わり、少数民族独特の教育などができにくい政策が、進んでいるものと思われる。 私は実は、この旅行の直前に左胸に「大人の水疱瘡」にかかってしまい、子供のときに水疱瘡にかからなった人が大人になってかかる病気だそうで、この病名も大連へ帰って翌日に大連医科大学付属第2病院へ行って分かって大事無いことを確認できたのだが、旅行中ずっと左胸がかゆくて、また体に何が起こっているのかも心配で、硬座寝台車で背中がさらに痛くて困った。また、このあいだ一眼レフカメラを買ったので、ずっと写真を撮る練習をしてパチパチ撮ったのだが、これほど多くの写真(約1GB)を撮って、どうしよう?撮影技術は少し向上した感じ。(2007.01.02.)

海南省の海口市から三亜市の天涯海角まで(2006)

1月末の旧正月休みの直前、中国の最南端、海南省へ4泊5日のツアー(費用は3,200元で、旧正月には4,200元に跳ね上がり、ホテルはすべて4スター)に参加してきました。第1日目は大連を13:20発の飛行機(中国南方航空)で出発、途中南京に30分寄り、18:20に海南省の省都、海口の美蘭国際飛行場に到着。空港近くのホテルへ、荷物をガラガラ引いて行った。海口からのガイドは、長沙出身の気のいい男性。夕食はホテルのレストランで、東山羊、冬瓜海鮮湯などの海南料理を自前で。2日目は、大連からの数人、北京からの数人、長沙からの数人で、約20人のツアーになり、小型バスに乗り、高速道路東線を三亜方面へ南下、私は海南マツダ(馬自達)の工場が空港近くの桂林洋にあるのをガイドに聞いて確認し、まずみんなで海口の少し南の海南熱帯動植物園(@東山、動物はサファーリ状に放し飼い)へ。[王京]海市で降りて、昼食。全行程で昼食はどうやら単価2〜3元のものらしく、ご飯はぺチャぺチャで、野菜がほとんどで、魚が1品、正直まずい。昼食の時にレストランの広場に売っているココナツ(椰子の実)の大きなのを買ったら、汁が甘くない。以降、旅の終りまで2時間ごとくらいに、ココナツは小さいのを買って、汁を吸ったあとは、実を割ってもらい、果肉を食べました。最近毎年アジア国際会議が開かれている博鰲(Bo-ao)で船に乗り、小さな湾を渡り、玉帯灘(海岸)へ船を乗り上げる。ここは8.5kmもすばらしい砂浜が続く、オーストラリアのゴールド・コースト並みの海岸だそうです。午後、万泉河で竹の船で漂流し(大して面白くなかった)、興隆温泉の熱帯植物園を見て、ホテルは興隆で(シャワーで温水が出なかった)。夜近くの明珠娯楽園という所で「人妖歌舞」という、貧しいタイ人の男性たちがお金のために女性に性転換をして(特殊な薬を飲むため平均寿命が40歳だそうです)、あやしげな踊りをやる習慣があるようで、彼らが中国にかせぎに来ていて、その踊りを150元で見て、それが終って50元を払うと一緒に写真を撮らしてくれるのを見て、正直気持ち悪くなって、こんなのは中国では禁止すべきだと思った。3日目は、さらに高速道路東線に沿った道路を南下、陵水で下りて、南湾サル島(南湾猴島)へロープウェイで渡り、野生の小さなサルを見て、サルの曲芸も見て、山に咲く三角梅の赤紫の花(海口市の市花)も十分見て、さらに三亜市へ着き、西の亜龍湾の高級ホテルが並ぶビーチ(タイ人の投資)でしばし休憩。昼食後、三亜市の南海岸(大東海)の精品潜水基地で30分のダイビングをして(始めて酸素マスクの使い方が分ったが、水はきたないし、300元は高かった)、夕方に鹿回頭公園という海南島のおそらく最南端の小半島に行き(このツアーで、ここの山が唯一の山登りでした。ここに黎族の伝説が書いてある)、夕食後は持ってきた現金がなくなり、ガイドに建設銀行のATMがあるところへ連れていってもらった。三亜は黒社会の人達が多く、犯罪人も沢山かくれていて、海口に比べて、危険なところだそうです。

4日目は、三亜市の西方へ、高速道路西線を30分くらい走り、途中鉄道線路を何回か渡り、これは海南島の西海岸に沿って海口から三亜まで第2次対戦中に日本軍が築いた単線狭軌鉄道(日本の鉄道と同じ)で、おそらく機関車・車両がメンテナンスできなかったという理由で、いまは使われていなくて、これを標準軌(中国の鉄道と同じ)・複線に変えることが最近決定されて、徐々に工事が始まっているとガイドの説明があった。南山大小洞天という海岸公園へ案内され、ここは唐時代の鑑真和尚が何回か日本への渡航を試みる過程で漂着したところで(当時は振州といった)、その記念碑もある仏教と、不老松もある道教の混合記念公園だった。このあといよいよ中国ツアーのハイライト、お土産店での買い物が始まり、まず三亜鳳凰国際飛行場近くの三亜帝佳水晶工芸廠へ寄りました。昼食後は西島という江ノ島のような観光島へ船で渡り、雨が降り出したので海水浴はできず(ここにダイビングがあり、水がきれいでよさそうだった)、少数民族観光村(猫族黎族村)へ寄り、踊りを見て、いよいよ海南島最大のハイライト、天涯海角(ティエンヤーハイチャオ)海岸公園へ寄りました。(「天涯海角」とは「この世界の果てまで」の意味で、中国人が大好きな表現で、「大海」「今肖難忘」など中国の叙情的な歌の約4つに1つは「天涯海角」または「天涯与海角」を使っている感じ。清時代にここの役人がこの海岸の大きな岩に、「天涯」「海角」「南天一柱」などの文字を彫り付けた後、有名になったという。)この晩は中国の大晦日の日で、ホテルの2Fの香港料理店で地元の文昌鶏なども含めておいしいものを食べ、夜8時ごろからの大晦日のテレビ番組を深夜まで見て、23:58からホテルの前で花火と爆竹がはじけるのを見ました。第5日目は、ひたすら高速道路東線を北上し、途中ガソリンを入れるところで、海南省の無鉛ガソリン(93号)は5.51元(大連では4.16元)、ディーゼル油(柴油)は4.11元(大連では元)なのを発見し、これは養路費を含む値段に最近変わったからだそうで、大連など他の地域でも、養路費を別に納める制度は廃止されて、日本および海南島のようにガソリン代に含まれるように変更される予定と聞いている。万寧市で東山嶺(潮音寺)という観光地に連れて行かれ、タイの仏教徒のお布施が沢山来ている所で、丁度ここに来ていた日本の友人にも逢い、そこを出て昼食後は、春[日軍]椰子という商店へ案内されて、椰子のいろいろな食品・工芸品を買い、さらに近くの四季果園・熱帯水果自産自銷なる農協のお店みたいな所へも寄り、みんなで名も知れぬ果物を沢山買い、16:00過ぎには海口飛行場へ着き、飛行場内の味千ラーメン店でラーメンで夕食を済ませ、19:00発の南方航空に乗り込み(乗る前の安全チェックで、リュックサックの中のくるみ割りとワイン用コルク栓抜きを発見されて大変でした)、南京経由で、23:50に大連空港へ到着(大連の気温は−2℃)、24:00過ぎに帰宅しました。注:海南島の中程に五指山(1867m)があり、次回はぜひここに登りたい。(2006.01.29.)

中国西部

甘粛省蘭州など

世界のプロテスタントの方々と一緒に、2000年にいってきました。

陝西省西安

日本のカトリックの方々と一緒に、1998年にいってきました。

夏の西安チベット旅行をすることになり、そこへ行く途中に私独りで夏の西安と成都も訪れた。いま計画を始めた書籍の取材だった。西安にはもう2度観光に行っているので大雁塔(玄奘三蔵が仏典を漢文に翻訳した所)とか兵馬俑とかは見ているのだが、仕事関係で行くのは初めてで、中国人と結婚したもと仕事上の同僚の日本人(泉佑二さん)がすべてアレンジしてくれて助かった。まず、お昼前に西安ソフトウェアパーク管理委員会を訪問して、昼食は西安料理店「百姓厨房」でしたあと、午後エマーソン、富士通、中益Joinを訪問して、それぞれ米国の会社の所業務、日本のソフトウェア開発、中国の会社で日本語入力をやっている会社だ。

この週に雨があったようで、真夏の西安は昼間温度が37℃にも達して、蒸し暑かった。西安料理店「乾洲食府」であらゆる麺類が出てきる夕食を地元の「漢斯紅狼」ビールを飲んで、夜9時から大雁塔の北側の広場で音楽に合わせて噴水が出る「音楽噴水」を見た、というより、噴水の中に入って、カメラを守りながら、水浸しになった。すごい人出で、ライトアップされた大雁塔を見上げながら、「ウィリアム・テル序曲」、「愛我中華」、「茉莉花」などを聞いて、水と遊んだ。 (2010.07.28.)

四川省の成都と九寨溝(チョウチャイコウ)・黄龍(ホンロン)(2005)

成都市のずっと北にあり、張家界と同様に中国人は皆知っているが、日本のガイドブックにはまだどこにも載っていないところです。ただし、最近日本からツアーは出ている。

a)
友人の井田三郎さん(大連交通大学へ留学中;東京都武蔵小金井市出身)が「成都、九寨溝、楽山、黄竜八日間の旅」という報告書を送ってくれました。一行二十六人、中国四川の秘境、豊かな森林、豊富な水量、極彩色の水面、九つの蔵族が、集落をつくり、少数民族を、堅持する九賽溝へ、行ってまいりました。まず、5月14日、12:30大連空港を出発、15:30成都着、緑一色,霧の街、太陽の光を見ることは、珍しい。人口は500万人、車がひしめき、交通事故は、頻繁に起こり、珍しいことではない。一段と貧しい四川省だと、言う。特色は、四川造酒、四川薬材、四川妹妹、小柄で、細身、皮膚は白く、もち肌、男性に尽くす、女性ばかりと、ガイドの説明、二つ星ホテル陽光酒店にて、一泊。夕食の時、四川の世界的有名な、芙蓉国粋劇団の演じる、[変顔]を、急遽、観劇することになりました。入場料は、120元、手品、踊り、歌、曲芸も、合わせて、二時間を、楽しみました。

してびっくり、こんな山奥に、海抜2100米の、天国のパラダイスが、存在するなんて、まだ、一般公開されて、二十年しか、たたないと、ホテルも、三ツ星少し、寒いけど、明日に備えて、ぐっすり。5月16日、九賽溝観光、童話の世界へ天井の世界から、やってきた、樹正溝、測査圭溝、日則溝の、渓谷に、12の滝と118の湖、そして、美しい自然を堪能できる暴布、湖を繋ぐ滝は、真珠が転がるように輝く。世界 5月15日、一路、マイクロバスは、パンダの生息地、本来の食べ物は、肉や果物だと、その九寨溝へ、十時間の旅、到着自然遺産となる。我々の、乗り合いバスは、一番奥の、煎竹海で、下車、熊猫海、五花海,珍珠灘、へ、バスは、自由に乗り継いで、最大の滝、珍珠灘暴布から、滝の中の木道は、整備され、遊歩道に、紫のつつじの花、観賞しながら、ごみ一つ落ちていない、喫煙など、罰金500元。服装は、春夏秋冬常時取り替えなければ、なりません。別のコースヘ、一番奥の長海へ、五彩池から、一挙に下り、惹日朗暴布、犀牛海、老虎海、樹正群海など、ひとつひとつ、バスの、乗り降りは、自由、素晴らしい、童話の世界の一日でした。5月17日、九賽溝を、出発、黄竜へ。頂上へは、酸素ボンベを、携帯し、1000を、超える池が点在し、光輝くはずなのに、雨不足で、河底が干からびて、本来の景観は、ありませんでした。殆どの人が、頂上4000米を、目指し、高山病の、被害を受けました。茂県で、一泊。

5月18日、成都へ、途中都江堰は、入場料金が、個人負担ということも、あり、観光を省略しました。5月19日、楽山へ。楽山大仏北門から、河に向かった断崖に彫られた、頭の高さ、15米まで、歩き始めました、何と、観光客の多さに、びっくり、足先まで、急な階段を降り、ぐるっと、一周寺めぐり、そして、峨眉山で一泊。5月20日、中国仏教四大聖地のひとつ、西暦400年に、建造された、万年寺観光、天下の秀麗、多くの詩人、李白にも、愛された峨眉山へ、ケーブルカーからの、眺めは、格別、猿との出会いなど、一週間の観光もあと、一日となりました。昼食後は、一路成都へ。5月21日、11:50成都空港発、大連空港へ、15:00到着。びっしり、詰まった、久々の研修旅行でした。注:1つ星ホテルに泊まったので、合計2千6百元(公園などは老人用入場料が半額)でした。(2005.05.21.)

b)
私もこの年の10/1休みに、大連発の7泊8日のツアー(保険込みで4600元、3級ホテルに宿泊予定)に乗って、上とほぼ同じコースへ行ってきました。これでツアー参加も4回目になるので、多少「中国のツアー旅行とは」についても書いてみます。第1日目、大連発のツアーは5泊6日(楽山・峨眉山なし)も入れて80人の一行が11:30に大連飛行場に集合、13:05発の四川航空の飛行機に乗り、途中徐州で30分ほど休んで(飛行機の中にあったその日の成都晩報で、前々日成都市郊外の青城山で東軟ソフトウェアパークのトップ会談があり東軟集団、Oracle、東芝S.I.などの代表が来た記事を読み、我が社も成都進出を企画している模様なので、他人事ではなかった)、16:30に成都へ着き、そのうち16人ほどが成都大酒店(人民北路@成都北站)へ泊まった。夕食は自由行動で、なぜかタクシーがなかなかなくて、バスに乗って陳麻婆豆腐店へ行き、本場のマーボー豆腐を食べた。2日目は、この16人と重慶から来た16人とが海外旅行社の「牽手同游」で九寨溝・黄龍ツアー・バスに乗り小雨の中を出発。途中、[山民]江の流れを右に見て、阿[土霸]州(このあたりの郡の名前)に住む蔵族(チベット族)・羌(きょうQiang1)族の住居が点在するのを見ながら進み、[シ文]川で左へ行くと四姑娘山6250m)に行くという標識も見て、川主寺の国賓大酒店で宿泊。3日目は、6:00に起床、7:00に出発、バスはグングンと高度を上げ、松蕃高原という4000m級の峠を越えて、下り、8:30に九寨溝の入口に到着。公園に入り、まずバスに乗って、樹正溝の滝や池を見て、またバスに乗り、東側の側渣窪溝の終点、長海という湖(海抜3130m、摩周湖のような感じ)、そこで昼食、五彩池に戻り、またバスで日側溝の終点、原始森林へ着き、バスに乗ったり歩いたりで戻りながら、箭竹海、熊猫海・瀑布、五花海、珍珠灘瀑布(鏡海はスキップ)、諾日朗瀑布(犀牛海はスキップ)、16:30の集合時間に大分遅れて17:05にバスに到着、他の人を待って18:30にバスは出発。10/1休暇で人出は多く、でも中国人もこうした自然の美を愛でるようになったのか、と多少感激。夜は九寨天堂という甲蕃古城を模して作った石造りのホテル(成都の加州集団)に泊まり、20:00からそこの九塞天堂劇院でチベット族の歌と踊りを、中国語で旧正月のテレビ番組風にアレンジした出し物を見て(180元)、中国人の方々は喜んでいたが、私は悪趣味だと思った。

4日目は、5:45に起床、7:40に出発。雪宝頂水晶店という所で買い物(バスガイドに10%のマージンが入る仕組み)、松蕃高原のヤクの肉のお店でも買い物(神山という4000m級のきれいな雪山が見えた)、そこで酥(su1)油茶(バター茶)を飲んで、また明康大薬房という薬品店へも寄り(私は天麻を買った)、昼食後峠で雪山娘子という山脈の雪宝頂(5588m)を遠望し、下り、13:40に黄龍に到着。ここはすべて歩いて、迎賓彩池、飛瀑流輝、明池倒映池、岩盤が流れる水で黄色になっているので黄龍の名前が付いた所、中寺、黄龍寺を経由して、16:10に最高地点の五彩池で(標高3840m、歩く距離は3.8km、上りの所要時間は2時間半、酸素を売っていたが普通の人は必要なし)、しばし多くの池が点在して様々な色に輝く光景を楽しんで、下りは走って(所要時間は55分)、17:05に出口に到着。皆を待って、17:50にバスは出発、途中チベット族の人がバスに乗り込んで宝石を売り出したので自分用には5元!の瑪瑙の腕輪を買い、やっと22:30に茂州賓館@茂県に着いて泊まったが、ここがひどいホテルで、シーツが替えてなかったので、替えさせたり、蒙古族のカラオケ小姐とおぼしき女性をそれぞれ連れてきて(1日千元だそうです)参加した大連開発区の日本人3名のうち1人が壊れていたトイレの瀬戸物で指に怪我をして血を出し、私は包帯を貸してあげて、彼は結局病院に行くハメになり、私は同行しなかったが一応何かあったら夜中でも携帯に電話してくださいといって寝て、もうさんざんでした。5日目は、四川料理の中国語でマーラー(麻辣、しびれるようにカライ)のシビレの元である花椒(ホヮチャオ)を買い、8:00出発の予定がお客の1人が部屋の何かを壊して、弁償せねば出発できないなどの問題あり、やっと9:30に出発、また[山民]江の流れに沿って一路成都方面へ下り、都江堰(中国古代の水利工事が見れる所、ただし降りて見ることはなかった)で昼食を取り、16:00に成都大酒店へ戻って、5泊6日の人達とはここで分かれた。(夕方、旅行業者(海外旅行社)にガイドと運転手とホテルが良くなかったと何人かが文句をいって、2日後に7泊8日の人達には結局1人200元を戻した。)夕食は自由行動で、[火巴]子火鍋で食べた。

6日目は、やはり海外旅行社の楽山・峨眉山2日ツアーに出発。大連の7泊8日の6人ともう1つのホテルに泊まったやはり大連からの16人で、成雅高速を飛ばし、途中潤東珠宝公司の水晶店で買い物をして、楽山近くで昼食。11:00に楽山へ入り、別の楽山専門のガイドが付き添い、お寺を見て、多くの人と行列に並んで、1時間50分後に、大仏を下から見れる所へ下りていった。(船で川からも大仏は見れるので、これにすればよかった!)楽山仏縁堂で買い物をして、峨眉山の両河口の夕方成都軍区空軍招待所に泊まった。7日目は、別の峨眉山専門のガイドが付き添い、小雨の中、峨眉山への下のケーブルカー(距離1480m)に乗り、下りて万年寺(海抜1020m)で中国人の方々は敬香火と称するお線香を焚いて拝み(1人は90元、家族へは180元)、拝仏し、開光と称する、買ったお土産をお坊さんに祝福してもらい(1品50元)、そこから歩いて下山して、途中お土産を買ったり、簡単な食べ物を食べて(私は皇帝茶1両50元を買った)、清音閣から黒龍江桟道/一線天を経て自然生態猿区で野生の猿を見て、清音閣餐庁で昼食。午後は荷物を取って成都へ出発、16:00に成都着。(Note: 成都からの峨眉山ツアーで上のコース「二日游」350元に対して、車で雷洞坪まで行って、それから車または徒歩および上のケーブルカーで金頂(3099m)へ着き、日の出・仏光・聖灯を見て帰る420元コースがあるので、これができたらよかった。)夕食は自由行動で、私は小喫城の夫婦肺片(大慈寺路@春煕路)で土地の食べ物を食べ、観光電動車(5元)で上東大街・東段などを回って遊んだ(イトーヨーカ堂=伊藤洋華堂、太平洋百貨などがあった)。 8日目は、6:40にホテルを出発、7:50発の四川航空に乗り、また徐州で30分休み、12:20に大連空港へ帰り、12:45に帰宅。まぁまぁの旅で、四川料理が更に好きになりました。 (2005.10.07.)

夏の成都へ 2010チベットへ行く途中、西安へ寄った後、翌日成都へ飛んだ。成都“天府”ソフトウェアパークは成都の南郊外にあり、この訪問はうまくいかなかった。以前大連で一緒に仕事をした同僚(スイス人)が上海へ出張して、なぜかあまりこうしたことに関係していない人にまかせてしまい、肝心のことが聞けなかった。よく起こりえることだ。来週大連へ帰ってから、電話でやることにした。写真はよく撮れた。

それから、西安でも成都でもソフトウェアパークなどの新しい地区の道路にあざやかなピンクの花が満開の街路樹が多かったが、何かと気になっていたが、きょう「紫薇」(百日紅=サルスベリ)と書いてあるのを発見した。日本のサルスベリは深紅なので気づかなかった。そして、きょう成都でも30℃を超える暑さで参ってしまった。夕食は四川料理を食べる気力がなくなり、夕方泊まった4つ星ホテルから西月城街へ出て、さらに歩いて「新城市広場New City Market」にあるMacで、ビッグマックを食べた。地球温暖化が進む中で、夏に西安や成都などへの中国内陸部へは、来るものではない。この日の深夜に、ワイフが日本から瀋陽・西安経由でホテルに着いた。 (2010.07.29.)

青海省&チベット 2010
(この部分の中国語翻訳

夏の西寧:7月末にひとりで夏の西安夏の成都に寄った後、西寧・清蔵鉄道・ラサへの5日の旅にワイフと一緒にいってきた。ワイフが先に日本で中国青年旅行社・成都支社にインターネットで連絡して、個人チベット旅行をアレンジしてもらって、外国人に必要なチベット自治区旅游局の「旅蔵確認函」(チベット旅行確認証書)はあらかじめパスポート番号、写真を旅行社に送ったら、成都のガイドが渡してくれた。第1日目は成都でワイフが日本から到着して、第2日目の早朝5時に起きて、7時25分の飛行機に乗り、青海省首都である西寧に着いて(ここで夕刻ラサ行きの青蔵鉄道に乗る予定)、ガイドの案内で西寧の観光をした。まず南西郊外の湟中(ホゥアンチュン)にあるタール寺(塔尓寺)に行き、これはチベット仏教最大宗派・ゲルク派(黄帽派)の創始者であるツォンカパ(14〜15世紀、いわばキリスト教のマルチン・ルッターのような方)の誕生地に建てられたもので、ゲルク派六大寺院のひとつ。もともとツォンカパがラサから母に手紙を出して、故郷には帰れないので小さな塔を建ててお祈りしてくださいとお願いして、その後この塔が徐々に大きくなり、そしてお寺に発展したという。(写真はタール寺で五体投地。)

西寧の町に戻って昼食後、まず街中のプロテスタントの基督教会Church of Christへ寄り、集会にしばし参加後、イスラム教モスク(東関清真大寺)へ寄った。青海省はさまざまな少数民族が住んでいるらしい。ここの土産店でコーランの中文訳などはこれ以上狭い我が家に書籍を買わないで、ジェッダの会社製の「Dua al Jannah」と書いてある黄金色の香水がいい匂いで、私はクリスチャンなので新約聖書(ヨハネ福音書)にイエスが生まれた時に東方(ペルシャ)の3博士がそれぞれ「黄金、乳香、没薬(もつやく)」を捧げたとあるので、その「乳香」か「没薬」に似ているのかと思い買ってみた。それからどこかいい観光地がないか捜したら、北禅寺という道教のお寺があったので行ったが、気温が暑くてそこを早々に引き揚げて、街中の上島コーヒーショップに逃げ込んで、休憩して、でもそのあたりは3日間停電で自家発電のため冷たいビールがなくて、常温のビールを飲みながら、揚州炒飯を食べて、夜行列車に備えた。こんなことなら、青海湖の観光一泊を予定に入れておけばよかったと悔やんだことしきり。ガイドさんへのチップは不要だが、運転手には50元(午後ガソリンがなくなり、ガソリンスタンドで30分も待たせた)、ガイドさんへは200元あげた。

夕方7時40分発の青蔵鉄路(1456km、2006年にゴルムード〜ラサ間1142kmが完成)のラサ行きが2時間も遅れてくるというので、はじめは一般の待合室で、途中で「軟座候車室」を発見してそこに移り、休憩。(駅に入ったらほとんど食べ物は売ってなくて、外で買わないといけなくて、私はイナスタント・ラーメンだけが買えた。)やっと夜9時40分ごろ上海から来た列車が出発し、軟座の寝台車はコンパートメントの両側に上下2段ベッドだった。(硬座寝台車は3段ベッド。)コンパートメントの同室はワイフと、偶然大連から来てヒマラヤ山脈へトレッキングに行く45歳くらいの女性、途中ゴルムードで下りた石油採掘会社に勤める26歳くらいの女性で、後者を前者がいろいろなぐさめていた。列車番号はT165次で、上海発で、西寧からは軟座寝台の下810元、下783元。みんな疲れていたので、夜10時半ごろ寝た。

チベット鉄道:昨晩は疲れていて、就寝中トイレに一回も起きず、これはめずらしいことで、きょうは朝6時半ごろ起きて、まもなく太陽が地平線に出た。08:05ごろゴルムード(格尓木、海抜2828m)で20分間停車して、機関車を入れ替えて、給水・排水もした。入れ替えを見にいったら米国GEの製造したディーゼル機関車で、あとで車掌に聞いたら機関車も客車も青島四方機車車輛で製作したといっていたが、彼への愛国教育がなせるワザで、機関車に英語で書いてあったから中国ではこうした愛国的な説明を信じてはいけない。8時になって食堂車へ朝食にいったら、10元で中国ではおなじみのマントウとお粥のある弁当風だった。列車は高原を走り(毎時120〜160kmくらい)、玉珠峰などの雪山が見えてきて、しばらくしてこの路線の1番目のハイライトであるクンルン山脈(崑崙山脈)東部の山が見えて、冰川(氷河)も見える。いくつかの風火山トンネルも走り抜ける。(写真はゴルムードで機関車を交換して、上水・下水も処理。)

まもなく、列車は海抜4000〜5000メートルの後者に近いチベット高原をひた走る。沿線の動物はチベット人が飼っているヤクや牛や羊は見えるが、チベット・カモシカや黒首鶴などは見えない。時々小さな池があり、大体草地で、路線近くに電線・電話線があり、いい景色もいい写真にならない。しかも、路線近くをトラックが走る道路があり、また時々小さな村がある。13:45ごろ、持参のインスタント・ラーメンのカップを車内のお湯が出るところで満たし、食べた。14:05ごろ、この路線の2番目のハイライトであるタンラ山(唐古拉山、6009m)が見えるあたりを通過して、このあたりの路線が最高地点(海抜5072m)。ここから青海省を出て、チベット自治区へ入る、なぜか携帯電話の信号がなくなり、路線も複線から単線になっていた。

車内の人たちは、大体高山病の症状が出てきて、私は眼球に圧力があり、気持ちもよくなかった。ワイフは食堂へ行く以外は、ベッドに横たわっていた。でも、供給された酸素吸入用パイプ(Dry型吸[気羊]管)を使うまでではなかった。コンパートメント同室の女性から、高山反応(高山病)には漢方薬の「紅景天」を食べる(飲む)といいというお説を拝聴。14:00ごろ、ベッドで一時間寝たら、気分も大分よくなった。列車は15両編成で、1台のディーゼル機関車で引っ張られ、食堂車が1輛、各軟座客車の前は西洋式トイレ、酸素供給機械室、熱水供給口、さまざまなコントロ−ル表示装置(我が車の高度計は、食堂車の正しい高度計と300m差があった)などがあり、後ろは中国式トイレ、3つの洗面口があった。硬座寝台車は3段ベッドで、洗面口も2つで、要するにユーティリティー部分が少なかった。

車内で「チベット鉄道の計画と人民の勝利」みたいな放送を、中国語と英語でやっていた。確かに持参の英語旅行ガイドブック「Lonely Planet」(2,002年版)のチベットの項目にはチベット鉄道にはいろいろな問題があり完成しないだろうというような記事があるので、偉業なのだろう。また、自然環境に配慮した鉄道と放送していて、NHKでもそのような尻馬に乗った番組をみたことがあるが、これは私のような素人でも一目見てそうではないことが分かる。例えば、15:40に安土(Amdo)を通過して、16:00ごろこの路線の3番目のハイライトである「措那湖」(ツォーナーフー)という美しい湖が右側に見えて、しかもその湖のところの小さな駅も通過した。おそらく北京のお偉方が来た時にはその駅にしばし停車して、この湖を観賞できるようになっている。しかし、路線の左側をふと見たら大きな湿地帯が広がっていて、つまりチベット鉄道は湖と湿地帯を分断して観光優先で敷いてあり、これで生態系に最大に配慮した鉄道などとはいえないと思う。つまり、こうした(いくつかの)例外を除いて、自然体系に最大の配慮を努力したと宣伝している国家プロジェクトなのだ。

列車は徐々に高度を下げ、16:15ごろ那曲(Nachu)あたりで、携帯のインターネットもつながりだした。18:00ごろ食堂車へ夕食を食べにいったら、これまたお一人様35元の弁当風だった。20:00ごろまだ空は明るくて、日没前で、この路線の4番目のハイライトであるニェンチェン・タンラ山(念青唐古拉山、7111m)が見えてきて、これは誠に神々しく見える山塊だった。まもなく、ラサへ下る川に沿って列車は走り、やがて大きな川になり、そろそろラサに近くなる。(写真はニェンチェン・タンラ山。)

列車は西寧での出発は2時間遅れが、ラサ(海抜3900m)へは予定通り21:00に到着した。出迎えに来ているはずのガイド・さんが下車口に見えず、しばらく待って携帯電話で連絡したら、駅前広場は軍隊(警察?)の警戒態勢で一般の出迎えの人は入れず、結局駅前広場を横切った所の道路でガイドに会い、出迎えの車の駐車場まで延々と歩いて、途中も軍隊を入れた写真は撮影禁止で、もう暗くなった。ラサの中心地・ポタラ宮のずっと西の方にある西蔵天海賓館(@巴尓庫路、4つ星)に泊まった。

ラサのポタラ宮など:朝は6:30にホテルに起こしてもらい、中国風朝食を食べて、7:30にはガイドさんが迎えに来て、朝8時から始まるポタラ宮の見学にいった。宮殿に向かって右の入り口から入る際、空港並みの所持品検査があった(入場料100元)。高さ115メートルの山にある7世紀・17世紀以来の宮殿なので、酸素が薄いせいで、階段と山道を登るのに一苦労。頂上に4階建ての建物があり、そこが紅宮で、政教全体を掌握していたダライ・ラマがいたところで、中に歴代ダライ・ラマの肖像があり、金銀宝石で飾られていて、マンダラも立体マンダラと称する金閣寺の模型のようなものも沢山あった。ダライ・ラマとその配下が、建て着く人たちを捉えて拘留していた牢獄があるはずだが、これは見れなかった。(写真はポタラ広場から見上げるポタラ宮。)

ここを見終わって、10時からセラ寺(色拉寺)にいった(入場料50元)。ここは明治時代の末期に日本の河口慧海が鎖国中のチベットに密かに入京して修業したところで、どういう訳かしらないが、沢山のチベット人たちが僧侶に子供の祝福をしてもらいに来ていて、出てくる時に子供たちの鼻に黒いバターを塗られていた。昼は町に戻って、ホテル近くのハルビン餃子館で昼食にして、13:00〜15:00はチベットの習慣にのっとって、観光を中止して、ホテルで休憩し。チベットでは日差しが強く、空気も薄いので、一般の会社も9:30〜13:00、15:30〜18:30だけ働き、一日6時間半労働だという。(写真はセラ寺は子供たちが多い。)

午後遅く、16時からジョカン寺(大照寺)を見学した。吐蕃のソンツェン・ガムポ王がチベットを統一してラサに遷都した時に、唐の文成公主とネパールのティツン(Teltsin、尺/赤尊)王女が嫁いでくるが、それぞれが持ってきたお釈迦様の像を祭ったことに関係していて、チベット人巡礼者がラサで最初に訪れる所という。ここに男女が抱き合った密教の像もあり、密教というのはセックス崇拝が起源とは知らなかった。このお寺の周りは八廓街(八角街)と呼ばれる広大なお土産屋の商店街になっていて、私らは子供たちから頼まれた「天珠」宝石(1400元)、チベッタン・ベル(鈴[金当]、500元)の買い物をした。

夕方18:30から、チベットの食事と踊り(蔵餐蔵劇)が療養所と書いてある所の細長い会議室であり、そこで食事をしながらチベットの踊りを見た。以前四川省の九寨溝で漢族が振り付けたチベット族のグランドショウとはまるで違う、素人っぽいもので、非常によかった。これは8時に終り、ホテルへ帰り、たっぷりとインターネットを使い、22:30には就寝。

ヤムドク湖:ラサ3日目の朝は7:00に起こしてもらい、西洋式朝食があると聞いたので行ってみたら、これから準備するので8時からでいいですかと聞かれて、それは辞退して、また中国式朝食を食べた。4つ星ホテルはこんなものか。荷物をまとめてチェックアウトし、ガイドが8:00に来てホテルを出発、車でラサ川に沿って西へ行き、チュシュ(曲水)というラサ川がヤルツァンポ川(雅魯蔵布河、この下流はインドのブラマプトラ川で、それがガンジス川に合流)にそそぐところの橋を渡り、大きなつづら道を上がり、10:50にヤムドク湖(羊卓雍措、Yamdrok Lake)を見下ろすカムパ・ラ峠に出る。ここでガイドさんが説明もしないで消えてしまい、私はここで左の山へ上り(40分)別の湖を見た気がしたが、あとでこれはヤムドク湖の続きと分かり、また下り(20分)、元のカムパ・ラ峠に戻り、13:00には下の湖畔の神湖魚荘で昼食(無鱗魚=うろこのない魚のスープなど)を食べて、ここでガイドさんにヤムドク湖の説明をさせた。(写真はヤムドク湖。)

ヤムドク湖を13:45には出発し、途中ヤルツァンポ川で8才以下の子供が死ねば水葬する場所を見て、ずっとヤルツァンポ川に沿って下り、途中川向うの山脈からラサへ行くトンネルと道路が合流してきて、15:30にはラサ・ゴンカル飛行場(拉薩貢?機場 Lhasa Gonggar Airport)へ着いた。ラサのガイドさんは漢族の父親とチベット族の母親に生まれた女性で、重慶の大学の日本語学部を出た十年選手でいろいろよく知っていて、よかったが、ヤムドク湖の肝心のところで消えてしまい、とにかくプライドが高く閉口したが、まあまあと思い300元をあげて、運転手(重慶方言を話す人だった)には200元をあげた。ラサ発16;25の-成都行き(3U8698)に乗り、成都では前と同じホテル(天仁大酒店@三洞橋路・蘇寧&好又多@西月城街)に泊まった。

チベット文化の破壊?:ラサのガイドさんは重慶の大学で日本語教育を受けた漢族の父親とチベット族の母親で、9年のガイド経験があり、よかった。チベットの祭日を聞いたら、正月は中国の春節とほぼ同じ時期で、年々少しずれるので、4年で調整するという。チベット暦1月15日は中国の元宵節と似たような行事があり、4月15日には一週間内にお釈迦様の誕生・解脱・涅槃のお祭りあるという。(中国・日本では、それぞれ旧暦・新暦で、誕生は4月8日、解脱は12月8日、涅槃は2月15日。)6月末から7月にかけてヨーグルト祭りがあり、お坊さんにヨーグルトをささげ、今年はまもなく新暦8月9日に那曲で大がかりな競馬祭りがあるので、きれいに着飾った馬をラサ近郊でも見かけた。チベット暦7月15日ごろ一週間は水浴びをする習慣があり、西寧のガイドさんから聞いた「チベット娘が一生に3回しかお風呂に入らない。」というのはウソだと分かった。この時期に巨大なタンカを開帳するお寺もある。夏以降は、あまり祭日はないという。旧暦12月23日の中国のかまどの神様の祭りもないという。 ‘

私はチベットの歌については、「青蔵高原」とか、チベット鉄道開通に合わせた「天路」くらいしか知らなかった。何でもダライ・ラマ第6世は好きな女性とも遇っていた方で(デートに使われた所は八角街の黄色の家)、彼が書いた詩が「在那東山頂上」という歌になって、最近流行っていると、ラサのガイドさんが歌ってくれた。また上に書いた「チベットの食事と踊り」で、最後に観衆も含めてみんなで歌いながら踊った歌は多分「遇上[イ尓]是我的縁」という歌で、なかなかよかったので、ガイドさんにUSBメモリーを渡して頼んだら、チベットの歌を中国語に翻訳した、上の歌や「走出喜瑪拉雅」、「拉薩姑娘」など10曲くらいをMP3ファイルでくれた。これから整理して(中国の方々は歌手名をファイルに入れてない)、iPodに入れて聞こうと思う。

海外では、中国と共産党はけしからん、ダライ・ラマ14世を追い出して、チベット文化を根本から破壊していると思っている人が多い。私は中国で9年も生活してきたせいで、政教の頂点に立ったダライ・ラマとその取り巻きは、20世紀の中ごろになっても、チベット人を中世の農奴状態に置き、反対勢力は容赦なく投獄して(その監獄はポタラ宮にある)、チベット人民は誠にみじめな状態で、そういう状態であることも自身が気づかなかった、と思っている。それを人民解放軍が解決し、国民に皆教育をほどこし、まがりなりにも民主的政権を樹立しようとしている。確かに、漢民族が大挙して少数民族地区に押し寄せ、特に江沢民政権以来少数民族地域の政権に漢民族を多数入れたりしているのは、問題だ。ただし、チベットの解放は起こるべくして起こった、フランス革命・ロシア革命にも匹敵する出来事なのだ。

ラサからの帰りに成都へ着いて、翌日午前中「杜甫草堂」でも見ようとしてそこまでいったが、市内の交通が混んでいたので恐れをなして、見ずにすぐホテルへ帰り、チェックアウトして、成都飛行場へ向かい、12:55発の西安経由の大連行きに乗って、夕方大連に着いた。西安・成都・西寧・青蔵鉄道・ラサの旅は、いろいろな面で非常に学びが多い旅だった。 (2010.08.03.)

私の新疆ウイグル自治区・敦煌・西安旅行記(2013)
    付:友人の新疆シルクロードの旅(2006)

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