中国の会社で働く1


北京へ研修旅行(香山頂上で)

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中国の会社で働いた。会社の機密やその他に触れないように、さしつかえない範囲でどんな模様か、お話しします。一人でも多くの日本人が中国で働かれることを望みます。

日本人募集に応募

2002年4月に日本人の友人が、ある会社で日本人を募集していると連絡をくれました。彼自身も応募したいくらいだと、仕事の内容や給料を募集者と煮詰めて、電子メールで彼の友人を中心に送ってくれました。5月中旬に履歴書を2ページ以内に日本語と英語でまとめて、電子メールで送り、しばらく待ちましたが、返事がない。その年の9月からの仕事は5月中には決めないといけないので、6月はじめに催促したところ、すぐ面接があり、日本語・中国語・英語を混ぜての面接で(私はなるべく中国語を使った)、社長から仕事の内容を聞き、経歴を確かめ、質問もして、翌日はOKと電話で返事があり、この会社が不動産会社の子会社だからでしょうか、決断は非常に早い感じでした。以前勤めていた大学には、9月からは他へ行くことを通知しました。

1週間ほどで雇用契約書の原稿をくれました。契約書は正文が政府が作った中国語・英語で、附件は中国語・日本語で作ってくれました。1つ、私自身が大きな譲歩をしたことがあります。それは私が夏休みが終ってから9月1日から働きたいといったのに対して、社長はそれでも構わないが、7月末と8月末にそれぞれ大連と東京で大きな会議を予定しているといったので、7月15日から働くことにしました。その代わりということでもないのですが、週に4日働く(私は水・土・日は休み、中国では土曜日にも働くところがまだある)、給料と住宅費補助は認めてもらえました。前に勤めていた中国の大学と日本の会社から「結業証」をもらってくれ(履歴書の確認と、前職が無事に終っていることの確認でしょうか)、また履歴書に間違いがあることが分かれば、契約を中止するという項目があるのは、多分中国の雇用契約では一般的なことでしょうが、私には新しいことでした。日本では「結業証」というのはないので、日本の会社からは何年何月何日から何日までこの会社に在職しましたというメモを書いてもらいました。

携帯電話を使う

米国、中国、日本で携帯電話を使う」へ移動しました。(2015.07.24.)

アパート探しと引っ越し

月給の他に住宅費補助が出ることになったので、もっといいアパートを探して、引っ越すことになりました。大連へ来てから11か月間住んだ、森茂大厦の北側、周りはすべて中国人の、実験小学校の対面の7階建てアパートビルの6階、裕景商場にも大連駅にも近くて便利な、アカシアの並木が身近にある愛すべきアパートよ、さようなら!

新しいアパートは香都花園と五一広場近くの高層アパート(新型公寓)が候補にあがり、前者は1990年代前半には付家荘の別荘とならんで唯一の外人が住めるアパートだったそうですが、大き過ぎるのと、勝利路に面していて多少うるさいので、後者の25階で、タタミの部屋のある新しいアパートにしました。 アパートを決めるまであと2つを見ましたが、比較してみると

要素香都花園新型公寓a新型公寓b
場所勝利路&聯合路    五一広場、黄河街&大同街五一広場、黄河街&大同街
築、広さ9年、115m2新、95m2新、110m2
眺め(階)可(4階)良(25階、南東向き)優(25階、南向き)
騒音
勤務場所までの交通901路、40分26路、50分26路、50分
元/月3166元3000元4000元
冷蔵庫、空調有、有有、無有、無
管理
となり、新型公寓aにしました。(注:大連の不動産屋は、100元払うと、1か月間、いろいろなアパートを一緒に探してくれる。)

引っ越しでは、大失敗をするところでした。会社が引っ越し屋を雇ってくれて、私は段ボール箱をいつ持って来てくれるのか会社で聞いているうちに引っ越し日がきてしまい、当日持ってきてくるのかなと楽観視していたら、段ボールは自分で探してきて、自分ですべて荷物を包むのが中国流らしく、来たのは運送屋だけでした。直前におかしいなと多少気付き、たまたま寄った大家さんのところで2つ段ボールをもってきて、台所用品はまとめてありましたが、本はもうビニールの買い物袋20個くらいに詰め込んで、何とかしのぎましたが、中国での引っ越し準備にはくれぐれもご注意!何でも、中国の方はものがなくなったり、壊れたりする恐れがあるので、引っ越し屋に自分の大切なものを包んでもらうのはいやがるので、引っ越し屋というのは存在しないんだそうです。(2002.09.01.)

これは来連3年目を迎える直前の話です。五一広場のアパートは私の部屋へはついに都市ガスが入らずLPガスだったのと、まわりに自動車修理店が多くてみんな路上で修理をするのできたなくて、引っ越すことにしました。友人がカルフール近辺のアパートに居て、3か月を残して帰国するということで、日本企業の人達がよく借りるところも参考に見せてもらったあと、こんな比較をしてみて

要素科学家公寓
Scientists' Apartments
博愛大廈
Bo-ai Tasha Condos
曼哈頓大廈
Manhattan Tower
場所黄河路黄河路天津街
築、広さ6年、93m29年、95m2新、95m2
眺め(階)可(10階)可(19階)可(20階)
特徴守衛の居る中庭から入るように
なっている
近くにカルフール
住民が使えるクラブ(コーヒーショッ
プ、小さなジム、ゴルフ)がある
1Fに小型の日本商品スーパー
住民が使えるクラブ(コーヒーショッ
プ、ジム、テニスコート)がある
地下に本格的なスーパー
勤務場所までの交通26路、30分26路、30分901路、30分
毎月の家賃2200元超高額(17000元)高額(7500元)
空調、バスタブ無、浅い有、深い有、深い
管理
科学家公寓に決めました。(契約書については中国語で交渉してサインし、家賃は台所を新装してもらうので毎月200元積み増しました。)すべて日本語で済ませられる博愛大廈に似たアパートはシャングリラーホテル隣接の世紀大廈(Century Tower)、スイスホテル内の公寓などがあり、日本企業・組織はすごく家賃が高いところを借りているんだなぁ、とため息をつきました。マンハッタンは香港の資本が建てた物で、ほとんどは買い上げ用だが、賃貸はこれまでの日本人向けのものよりはるかに安い。(2003.06.30.) 大連での4年目は科学家公寓を2000元の家賃で借りたが、年度途中で、バス・トイレの天井から上のアパートの水漏れがして、家主が上の部屋の持ち主に一生懸命な押させようとするのですが、直らないので、年度が終ったら出ることにしました。(2005.04.01.)

大連の5年目についてですが、現在の大連はマンション・ブームで、市街地にも郊外にも新しい、いいアパートがたくさんできたので、科学家公寓からそう遠くないところの万達華府というところに、北向きだが冬の暖房は熱いくらいで、スーパーも北京華聨もカルフールもそう遠くない処に、18階の70平米で、北に黄河路と東北路を見下ろす景色のいいところに、家賃2500元で住むことにしました。7月末に引っ越して、この2年間にアパートが広いのでいい気になり、あらゆる物を買っていて、引越しはすべて自分の車でやったが、大変だった。すべて新しく、きれいで、いいのですが、午後3時を過ぎると北窓に太陽光が差し、夏は結構暑く、窓を開けたいのだが、黄河路と東北路の交通量が多く、ウルサイので、窓が開けられない。多少覚悟はしてきたのだが、来年は空調を入れるように交渉しないといけない。(2005.08.13.)

大連の11年目の晩秋に、5軒目のマンションへ引っ越すことにしました。これまで6年間住んできたの所は市内で郊外へ通うのが大変になったので、軟件園・高新園区に探していたところ見つかり、高新園区の七賢路という海事大学の次の停留所で下りてすぐの海側で、一般に珪谷暇日(Silicon Valley Resort)と呼ばれている所です。 (2011.11.01.) これまでここは買い物は、東北財経大学向かいのウォルマート、黒石礁のニューマート、西安路のカルフールへ行かねばならなかったが、先月道向かいに万達広場ができて大変便利になり、七賢路バス停も万達広場と改名になった。 (2013.06.26.)

外国のテレビ受信

引っ越してから2か月、五一広場の環境にも慣れて、まわりに兄弟ラーメン、西安ラーメン苑、過橋米線(昆明市で始まったごま油ラーメン)などの店も発見して、いよいよ有線テレビの外国のテレビ受信を申し込むことになりました。中国人は外国テレビを見る自由はなく、また日本の衛星テレビを直接受けるには中国南部では2〜3mのパラボラアンテナでいいのに、北部では9mくらいのを建てないといけないということで。まず、外国人は大連テレビセンター(大連電視中心)の9F、広電中心(454-0000 x1035/1045、火・金の8:00〜11:00)へ自分で出向き申し込まねばなりません。ただし、9月はもうデコーダーがないので、10月から受け付けるといっています。(2002.09.23) 10月になって電話で聞いたら、これまでのアナログ・モデルからデジタル・モデルに変えたが、いま品質に問題があり調整中で、今は売ることはできませんということでした。(2002.10.10.)11月1日に待ちきれなくなって、大連テレビセンターへいったら申し込みを受け付けていて、申込書をその場で書いて、パスポート、居留証、アパートの賃貸契約書(房証)のコピーを提出しました(会社からの証明書(在職証明書)は不要だった)。2週間で許可が出ると聞いたが、12月4日になってやっと許可が下り、デコーダー(解碼器)1900元とICカード150元を払い、3Fの有線テレビ局出張所でこれらを受け取り、いま毎月12元払っているケーブルテレビ受信料金にさらに毎月の外国テレビ聴取料金30元を払ってアパートに帰ってきました。

週末にデコーダーを家のテレビに装着したら、意外と簡単に外国テレビが写ったが、米国のCNNなどはよく映るのに、日本のNHKと韓国のKBS1は途切れ途切れにしか写らない。それでまた大連テレビセンターへデコーダーを持っていってテストしたらそこではOK、あとでアパートに有線テレビの技術者に来てもらったらシグナルが弱いとのことで、その後待つこと5日、やっとシグナルを強くしてくれたのでしょうか(ビルにリピーターでも付けた?)、やっとNHKとKBS1もよく見れるようになり、3か月越しのプロジェクトは一応終りました。来月1月から毎月の外国テレビ聴取料が100元に値上げされるそうで、英語CNNと日本語NHKのために(NHKのはNHK World Premierという、NHKの東京地区用のCh. 1のプログラムを世界各地のケーブルTV用に配信しているもので、時々「放送権の都合によりご覧いただけません」(Due to copyright reasons, the visual images cannot be seen.)と出て肝心の画像が見えないし、民放は一切見れない)、しばらく月額の支払いはストップしようと思っています。(2002.12.17.)

入社第1日、業務用&個人用パソコン、社内システム

朝8時に行くとデスクが用意してあり、事務関係の人が文房具と机上のプラスチック製書類整理棚(これを組み立てる)、携帯電話サービスのパンフレット類などをもってきてくれ、しばらくすると社長さんと同僚が2階と1階各部署へ連れて行ってくれて、紹介してくれました。日本人としては、トイレに西洋式が1つあり、安心しました。

机上のパソコンは中国製本体でPentium III - 500M Hz、128MBメモリー、30Gハードディスク、1024x768グラフィックス、Samsongディスプレイ、中国製キーボード)、Windows 98日本語版が入っていて(その後ソフトが壊れたので、Windows 2000中国語版とWindows 98日本語版を入れてもらい、おもに前者を使っている)、プリンターはLAN上にHPの白黒のがある(脇に1度使った紙のトレーがあり、なるべくその裏に印刷する)。初日は自社のホームページもじっくり見たり、宣伝パンフレットを見たりしました。私はこのWindows 2000中国語版に日本語IME(入力方式)と韓国語IMEを入れて、中国語・韓国語も日本語も処理できるようにしています。E-mailは会社ではOutlook Express 5.5中国語版を使っていて(メールリストの日本語題名が文字化けするので、しばらくしたらNetscape 7.xに変えるつもり)、1日の終りに自分のノートパソコン(Windows Me日本語版)のNetscape 6.2にバックアップを取り、その段階でサーバーからダウンロード済みとするようにしています。(2002.10.15.) 社内システムについてはあまりここに書けませんが、広州市天安電脳技術研究所のISOMISというWindows 2000 Server上のシステムを使って、お客さんの訪問予定、会議室、昼食の手配、訪問接待の結果報告、次週の仕事予定などを管理していて、大変便利です。(2003.02.15.)

米国のソフトウェア会社は中国語版の作成に大分手を抜いている気がします。まず、Outlook Express 6.0中国語版では、右上窓の電子メールリストで日本語が文字化けをしています。(日本語版では、5.0のころからそういうことはありません。)Netscape 6.0は中国語版は出なかったし、7.0中国語版では電子メールリストの日本語はやはり文字化けしているし(日本語版では5.0の頃からOKでした)、ブラウザーは日本語を自動的に表示してくれなくて、手動で文字コードを日本語にしてやる必要があります。中国にもう少し慣れたら中国で自分のノートパソコンを買って、Windows中国語版を使おうかと思いましたが、他のソフトも大体このようではないかと思い、Windows中国語版を私用に使うのは止めました。(2002.10.18.)

私のように日本からIBM ThinkPadを持ってきた人には朗報があります。大連で藍色快車(Blue Express)という、メンテナンス・サービス拠点ができたことです。丁度日本IBMのPC Docのような組織のようで、一級、二級、三級代理店があり、まずハードディスクの交換などは私の会社の向かいの東軟信息技術学院のA408室(Tel. 476-0003 x8302)でやってくれて(この大学では学生は全部IBM ThinkPadを使っている)、LCDディスプレーの調整・交換など難しいものは中山広場から魯迅路で大連日報社の手前右側のところ(大連鉄路(魯迅路9号、昔の満州鉄道)の1つ手前のビル)Tel. 280-7730)でやってくれます。友人の牛島五郎さんの経験報告です。(2002.12.28.)大連体育場の近く、聯合路と交差する五四路にも藍色快車(280-7730)があります。(2003.03.16.) これにも落とし穴があり、2003年7月に私のThinkPadがパワーオンできなくなり、五四路の藍色快車に持っていたら、原因がわからず、メインボードの問題だろうということになり、これだと瀋陽のIBMサービスセンターへ送るので2千元(3万円)かかるということで、これを支払い、1週間後に「DCカードが壊れていたので替えた」といって返されましたが、しばらく使ってみると8月にキーボードの調子が悪く、また五四路の藍色快車で見てもらったが、日本語のキーボードは中国にないといわれ、その月に日本へ行った時に東京のIBMサービスセンターでキーボードを2万円で交換してもらった。やれやれ、ひどい話しでした!(2003.08.23.)

これは古い話しですが(昨年2月)、デジカメの写真を縁無し印刷するのが主な目的で、裕景電子城のC座にあるエプソン代理店(大連恒成)でプリンター(Epson Stylus Photo790, 2880x720dpi, 1730元)を買いWindows日本語版で使っていますが、インストールは英語モードが自動的に起動され、印刷時のメニューも英語になることに注意すれば(紙の縦長印刷はPortrait、横長印刷はLandscape、など)、すべてうまくいっています。また今年は、デジカメのCompact FlashカードをPCカードに入れるためのアダプターを、やはり裕景電子城G座の大連賽達科技というところで買ってきました。王霞莉さんがめんどうを見てくれる。日本のようにフラッシュカードを差す時にもボタンがある複雑なものではなく(9,000円くらいする)、簡単なもので、260元(4,000円くらい)でした。(2002.02.27.) 会社で使ったUSB Flash Disk(中国では憂盤といっている、Floppyが軟盤、HDが硬盤)が朗科Netacの32MB/64MBのもので、Windows 2000中国語版では調子がいいが、私用のWindows Me日本語版では調子が悪いので(多数の写真ファイルをコピーすると、オーバーランして、ノートパソコンがハングアップしてしまう)、また裕景電子城の大連賽達科技へいって、清華同方光盤のUSB Flash Disk 64MBをそこでテストして、定価260元を245元にまけてもらい(本当ですかね?)、買ってきました。32MBのは200元くらい、128MBのは400元もする。(2003.05.31.)

Freeware/sharewareは、日本では窓の杜あたりでみなさんダウンロードしていると思いますが、中国ではZD Net下載軟件全方位下載OnlineDown.Net病毒資訊網あたりでやっているようですね。(2003.02.25.)

通勤、遅刻、給与支払い

通勤はあさ7時に家を出て、10分くらい歩いて五一広場のバス停(東北路の大連電視中心のすぐ北側)で26路の始発のバスに座り、ほぼ終点近くの大工路(大連理工大学の北門近く)で降りて、2〜3分歩き、大体45分かかります。バスの乗車代金は1元で、普段は大連市商業銀行で作ってくれる「大連明珠公用カード」というICカードを使っていましたが(1元の乗車料金に対して8.5毛引かれる)、11月からは前月の後半から聯合售票室(五一路88−3号、解放広場から馬蘭河へ行く道の左側)で毎月の定期券を買って使っています(26路は毎月26元)。毎月の定期券だけで、日本の3か月定期券、6か月定期券に相当するものはありません。(2001.12.28.)

会社の始業時間8:00に遅れると5元くらいの罰金があるようで(名札で自動ドアをあけるようになっているので、そこでセンスする)、もう少し詳しく聞こうと思います。あさは8:00から会議をやっていて、最近の日本のようにフレックスタイムの考えはなくて、あさ9:30以前、午後4:30以降の会議は避けるということはやっていません。

給与は毎月xx日に、前月分の給与がyy銀行の口座に払い込まれます。日本のように、自分の好きな銀行に払込みという訳にはいきません。これとは別に昼食費が会社近くのzz銀行支店に払い込まれ、会社のビルのカフェテリアの食事代はこの銀行の口座からカード用金額を指定して、カードで引き落すこともできます。

日々の仕事、部門間の関係

私の仕事は、なるべく多くの日本のソフトウェア会社に大連でソフトウェア開発をしてもらうように働きかけ、日本人の訪問者を接待することです。

8月には大連市の情報産業の宣伝ビデオ録音に協力しました。すでに中国語のセリフと日本語の粗訳があるのを、前日にきれいな日本語に訳し、同僚にワープロで打ってもらい、学生アルバイトを探し、市内のある影視広告有限公司で、15分の中国語ナレーション付きビデオに3時間半かけて、日本語ナレーションを1パラグラフずつ吹き込む作業をしました。中国語の説明は日本語訳より短くなるので日本語訳を削ったり、学生にもっと「大連が好きです」という感情を出して録音するように指導したりで、苦労しました。

部門間の関係では、招商部・発展計画部・物業部・企画部・財務部・人事部・業政部・行程部(建設計画部)・IT事業部があり、発展計画部は日本の広報部で、日本の総務部に対して中国の会社では行政部と物業部というのがあるのが違います。行政部は日本の渉外部のような働きをし、共産党からの指示も実施し、物業部は出張のめんどうを見て、車やチケットの手配、会議室のお茶の注文などをしています。(私もまだよく分かっていないので、続く...)

会社の電子メールシステムは仕事のことばかりでなく、従業員の結婚、出産、季節の事柄(中秋の名月など)についてのお知らせや感想を送るのにも使われ、従業員の相互信頼感を高めています。以下は、詩が話題になったときに、私が作った詩です。

山へ登ろう、より高い所へ
  中国・大連、牛角山で。2002年初冬に
  三上吉彦

山へ登ろう、より高い所へ。 黄海が見える、山も谷も見える。 風は冷たいが、海が太陽に映えて、 暖かく光っている。

山へ登ろう、より静かな所へ。 目を閉じて、山の向こうの町と港を想う。 そこは戦争と植民地の歴史を持つ所、 今は北方の真珠。

山から下りよう、谷に向かって。 そこに新しい街を造ろう。 我々の新しい知恵と努力で、 新世紀の平和と友好の証しを築こう。

中国語訳へ

Let's Go Climb the Mountain, to a Higher Place
    At Ox's Horns Mountain, Dalian, China
    In Early Winter, 2002
    By Yoshi Mikami

Let's go climb the mountain, to a higher place, There, we will see the Yellow Sea, mountains and valleys. Though the wind blows cold, the sea reflects the sunshine, Glowing in warm colors.

Let's go climb the mountain, to a quieter place. Closing our eyes, we think beyond the mountains about the town and its port. It has a history of wars and colonies, But now it is the Pearl of the North.

Let's go down the mountain, to the valleys below. There, we will build a new town. Employing our newly-acquired knowledge and hard work, We will develop a testimony of peace and friendship of our new century.

「北方の真珠」というのは、中国でよく使われる大連市のニックネームです。この詩は中国語訳と共に、億達集団の社内紙「億達人」2002年12月28日号に載りました。(2003.01.13.) 大連日報の「特集:大連は古くなった工業を振興する 第4回:IT産業」でここ大連で活躍する外人を紹介するインタビューを受け、私はこの詩については言及しなかったのですが、会社の広報部が紹介したらしく、2003年12月3日(水曜日)付けの大連日報に載り(中国語)、この詩が広く知られるようになりました。(2003.12.03.) そのあと、教会のサンクスギビング・パーティーを取材にきた、大連でもしにせのインターネット・ニュース社、天健網英語版の記者、Caroline WangさんとFarah Songさんがインタビューに来て、Mr. Mikami's Software Dreamという記事になりました。(2003.12.15.)

それから、神様の新しい智恵を強調した詩に中国・東北地方の子守唄として有名な「月児明,風児静;樹葉挂窓[木霊];小宝宝,快睡覚;睡在那箇夢中.」(月は明るく、風は静か。木の葉が窓枠に掛かっている。可愛い子よ、すぐ眠ってね、あの夢を見ながら。)を少々変えて音楽を付け、「We Have Climbed the Mountain, to a Higher Place」という聖歌(賛美歌)としました。はじめ私の採譜が間違えたようなので、少し訂正して、2003年2月に亡くなられたもとの同僚、川島徹さん(茅ヶ崎同盟教会)と、中国に働いている方々すべてへ捧げます。(2003.02.19.)

昼休み

昼休みは11:30〜12:30で、同じビルの地下にあるカフェテリア(中国式ファスト・フードの「アカシア」が経営)で定食を食べ、みんなはほぼ1階の卓球室でピンポンまたは蹴鞠に毛建子(チェンツ jian4-zi、日本の蹴鞠に似た遊び)をする。私は外を散歩するか、ジョギングをするか、向かいの山(牛角山)へ登る。8月中旬から、火・木12:00〜12:25に「日本語コーナー」(日本語の練習に誰が寄ってもいい)もやり始め、秋から秋山千早子さんが初級のめんどうをみてくれ、私の方は上級というkとにしました。

社内ではお互いに何て呼ぶの?改姓

金xx総経理(社長)、李yy副総経理(副社長)、劉zz総経理助理(所長アシスタント)、張aa部長は、それぞれ金総(チン・ツォン)、李総(リー・ツォン)、劉助理(リュー・チューリー)、張部長(チャン・ブーチャン)と呼び、社員旅行の時などのように勤務時間外でもそう呼びます。社外の人もこのように呼んでいるようで、また親会社の孔bb董事長(会長)も孔総と呼びますから、呼びかけの言葉には会長と社長と副社長の区別がありません。私ですが、契約書によれば「三上部長」ですが、4文字でいいにくいのでしょうか、「ミカミサン」(三上さん)とか中国語で「サンシャン」とか呼ばれていますが、私は「老米」(ラオミー、大外の学生が使ったニックネーム)と呼ばれたいなぁ。(2002.10.10.) 入社して1年経った今、そろそろ中国名を付けたらと社長から話しがあり、いろいろ考えた末、すでに「ラオミー」が普及しているので、姓だけを「米」Mi3に変えて、米吉彦Mi3 Ji2yan2にしようと思います。米というのは辞書を引くと米蒂Mi3 Fei4という北宋の書道家が居て、外国語の「ミ」は大体「米」で(ミラノは米蘭、スペインの画家ミロは米羅、タイアのミシュランは米其林、ミッキーマウスは米奇)、姓としては回族の姓のようです。(2003.11.10.) (続く)

実用中国語、日本語、英語

中国語学校で習ってきた中国語と、社会で使っている中国語に差があるのに気付きました。例えば、学校では自分の奥さん、旦那さんは共に「愛人(アイレン)」と呼ぶと習いましたが、これはいま50才代以上の人たち(文化革命世代)が使う古い用語で、いまの30代後半、40代は、大体奥さんを「太太(タイタイ)」、「妻子」(チーツ)、旦那さんを「老公」(ラオコン)、「先生」(シェンション)と呼び、「愛人」は「情人(チンレン)」の意味を多少含んでいるので使わないようにと注意を受けました。つまりどうやら現代中国語が、戦後の新中国で使われてきた中性表現(「愛人」など)から、段々台湾などで使われている伝統的表現(「太太」、「老公」など)に回帰しつつあり、新中国後に準備された中国語学習テキストの現行用語への改訂が大幅に遅れているというのが現状のようです。いずれにしろ、西欧起源の言葉、英語などではhusband、wifeで十分なのに、中国語・韓国語・日本語はどうしてこうまで苦労して配偶者を呼ぶのでしょうね。

ところで、秋月久美子さんのサイトにに「日中パソコン辞書」、「中日パソコン辞書」、「日中現代語辞書」、「中日現代語辞書」、「中国ブランド名辞書」(外国会社の中国語名が載っている)などがあり、大変便利ですね。BitEx日中・中日辞書便利です。(2002.08.29.) 情報・通信辞典 e-Wordsも便利です。(2003.06.05)

中国の会社で私は、日本語の最終チェックもやっています。最近やった会社紹介パンフレットでは、

  1. 毎年大連市の大学卒業生は20000人に達し-->大連市の大学卒業生は毎年20,000人に達し(副詞句は、修飾する動詞の近くに)
  2. カタカナは半角は使わずに(貧乏くさい)、全角で書く
  3. お客さんを大切にする意味で、基本的に「です、ます調」を使い、「である調」は使わない
  4. 且つ、及び、或は、又は、...等-->かつ、および/と、あるいは、または、...など(助詞はなるべくひらがなで。中国の日本語教育では、漢字が分りやすいので使っている)
  5. 出来れば-->できれば(助詞・助動詞も、漢字の意味が内容と無関係ならひらがなで)
  6. 「ソフト」-->「ソフトウェア」(書き言葉ではかならず「ソフトウェア」、特に「大連ソフトウェアパーク」は正式名称なので。「大連ソフトパーク」とは言わない)
  7. 文章の中の「:、;、----」は、日本語ではあまり使われないので、使わない(「ソフトウェア輸出基地---大連軟件園」-->「ソフトウェア輸出基地である大連軟件園」に直した)
  8. 東芝梶ANEC梶A日立 -->東芝、NEC、日立製作所(日本人は会社の正式名称には敏感で、鰍ヘ前にあったり後ろにあったりで複雑で、NECは日本電気鰍ノなるので、簡単にするため、私は鰍削除した)
  9. 行う(おこなう)-->行なう(こうすると読みやすいので)
  10. 三ヶ所、三カ所 -->3か所(横書きのときは算用数字=アラビア数字を使い、例外は「私は...が一番好きです」。
以上の中で、助詞をひらがなで書くなどは、私が12〜5年前に本を書いたり、雑誌に記事を書いた時に、現代の新聞・雑誌の書き方として習いました。以上参考になれば幸いです。みなさんの経験はどうですか。

いま日本の会社では海外へ輸出するための技術書の英語翻訳を中国へ依頼するケースが増えています。友人の会社の技術書を日本語から英語への翻訳する仕事のめんどうも見ました。注意するように指導した点は、基本的なもの

技術的表現に注意すること などでした。結局、中国の理科系学生は英語の原文を読む機会がほとんどないので、外文書店(長江路141号、勝利橋の手前50m、263-7357)で「精読電脳、応急英語」(北京工業大学出版社、2002年)を求め、またNetscape 7.0のインストレーションの手引きを印刷して、見てもらいように努力した。

この内容はハードウェア・マニュアルが約35ページ、ソフトウェア・マニュアルが約120ページ、メッセージが約10ページを、まず中国の会社の人が1か月かけて中国語に直し(中国で販売予定もあるので必要だった)、これを4人の理工大学大学院生がさらに英語へ訳し、その内の2人がそれぞれの章を編集したものを(1人はよくて、1人はよくなかった)、さらに私が紙の上でそれぞれ20時間、60時間、6時間(合計86時間)かけて修正し、会社の人が最終編集したものを日本へ納めました。大学院生が分かりにくかったものは大変基本的なことで、

ハードウェア用語Hardware Termsソフトウェア用語(続き)Software Terms (Cont.)
仕様specifications【スケジュール】画面が表示される。The Schedule screen appears.
構成configuration【時刻】枠に時刻を入力する。Enter the time in the Time box.
システム要件system requirements上書き保存するOverwrite and save
規格、標準standard(s)...枠にチェックを入れて選択しないとする/選択するClick in the ... box to deselect / select it.
最高5台までつなげるUp to 5 units can be connected.(入力用)枠/選択枠(entry) box / list box
ノートPClaptop PC...ボタンを右クリックright-click the ... button
Note: (ディスクの)空き容量free (disk) space
メッガー(電気抵抗計測器)megger (impedance measurement device)【スケジュール】ボタンをクリックclick the Schedule button
定格5A、公称5Arated 5A, nominal 5Aコピーして貼り付けcopy and paste
4倍速のCD-ROM以上4X CD-ROM or faster上書きして保存overwite and save
ソフトウェア用語
Software Terms
有効・無効に設定できるcan be set as Enabled or Disabled
プロパティーproperties
メッセージ
Messages
状況statusメモリー領域が不足するMemory space has become insufficient.
種類types指定するspecify
入力するenter (inputではない)分割ウィンドウpartitioned window

などでした。ソフトウェア用語に関しては、日本の友人の小澤譲二さんにも聞きましたので、ここで感謝します。(2002.12.07.)

社員旅行、研修旅行

大連の会社では、夏には「上海」(シャンハイ)と呼ばれる従業員を1日、または1晩泊まりで海水浴に連れて行く行事があります。私のところは、8月の始め、金曜日の午後1時に社員全員が中型バスで出発、旅順南路の塔河灘浴場で水泳とビーチバレーの競技をして、その晩は系列会社が経営する別荘地(白銀山トンネルを出てすぐ左)へ泊まり、翌日は午前中にまた塔河灘浴場へ行き、そこで昼食を食べて、午後2時ころ大連の会社へ帰りました。バスの中では、社長さんがいろいろ話をしたり、クイズをしたりで、大活躍でしたから、中国の会社の社長さんは大変だなと思いました。

それから、この会社では研修旅行がたびたびアレンジされています。10/1国慶節休暇には家族同伴で(家族分は個人負担)、北京へ研修旅行に行きました。夜行列車で行き、夜行列車で帰る強行軍でしたが、研修部分は北京の最近の建築(崔ト Cui Kai 氏が設計した外研社、中関村数碼大廈、中国銀行本社、華彬国際大廈 Ruoy Chai Bldg. など)と北京中関村ソフトウェアパークを視察し、その他は香山、天安門、故宮、東来順・シャブシャブ店、全衆徳・北京ダック本店などへ行き、ホテルは国宏賓館(3つ星)、長城飯店(1Sheraton、5つ星)に泊まりました。10月末の土曜日は半日で、大連の鉄道学院ソフトウェア学院(馬蘭広場の西側、旅順中路にある)、鉄道学院培訓部&愛特国際学院(卒業するとオーストラリアの大学へ留学)、開発区の大連理工大学ソフトウェア学院の建設予定地(大連大学のすぐ手前)、双D港(DDポート)、金石灘の模特学校(モデル学校)を見ました。

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Working in Companies in China 1

A Study Trip to Beijing (at the top of Xian Shan)

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I now work in a company in China. I want to describe below how it goes in China, treating it carefully so it does not violate my contract to keep my company's information confidential.

Job Application and Interview

Buying a Cell Phone

The First Day at Work

Looking for an Apartment, Moving and Looking at Foreign TV Stations

Commuting, Late Arrival and Salary Payment

Daily Work and Among the Departments

The e-mail system is used by the employees for our business, but sometime for just communication to enhance our comradeship. For the latter purpose, I wrote a poem which was later put in our Groups monthly newspaper:
Let's Go Climb the Mountain, to a Higher Place At Ox's Horns Mountain, Dalian, China In Early Winter, 2002 By Yoshi Mikami

Let's go climb the mountain, to a higher place, There, we will see the Yellow Sea, mountains and valleys. Though the wind blows cold, the sea reflects the sunshine, Glowing in warm colors.

Let's go climb the mountain, to a quieter place. Closing our eyes, we think beyond the mountains about the town and its port. It has a history of wars and colonies, But now it is the Pearl of the North.

Let's go down the mountain, to the valleys. There, we will build an IT town. Employing our newly-acquired knowledge and hard work, We will develop a testimony of peace and friendship of our new century.

Link to its Chinese translation

It was later modified and added with music, and made a hymn: "We Have Climbed the Mountain, to a Higher Place."

Lunch Time

How Do We Address Each Other?

Practical Chinese, Japanese and English

Employees' Outings

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Prepared by Yoshi MIKAMI on August 14, 2002. Last update: Nov. 21, 2013.