一日の生活

One Daily Activities in My Life – 我生活的一个日子

By  Yoshi Mikami / 三上吉彦

 

 

内容

アメリカ... 1

米国・ペンシルバニア州/ノースカロライナ州/ニューヨーク州での一日... 1

米国・ハワイ島での一日... 2

アジア... 3

中国・大連での一日... 3

日本・長野県での一日... 3

日本・東京での一日... 4

日本・神奈川での一日... 4

日本・関西での一日... 4

 

 

 

アメリカ

 

米国・ペンシルバニア州での一日

 

若い頃、米国ペンシルバニア州の大学院で過ごした。学業が忙しくて他は何もできない状態だったが、1年目は大学院生の寮に住み、2年目は友人と家を借りて住んだ。寮は3食付で、夕食後はみんなで6:30からのWater KronkiteアンカーのCBSニュースをテレビで見て、毎晩ベトナム戦争の位ニュースばっかりだった。家を借りた時には夕食は変りばんこに作り、鶏肉を醤油と砂糖で煮たものとブロッコリを蒸したものばかりを食べていた。

 

米国・ノースカロライナ州/ニューヨーク州での一日

 

若い頃、米国の会社で働いた。朝食は自宅で自分はベーコンをフライパンでこんがり焼いて油気を取り去って、コーヒーは多分缶入りコーヒー粉を買って自動式のコーヒーを作り、食パンをトーストして、コーヒーとMinutemaidの濃縮冷凍オレンジジュースをあらかじめ水で薄めて冷蔵庫へ入れて冷やしたものを一人で食べてから、会社へ自分の車で行った。ノースカロライナ州にいた時の始めは車が1台しかなかったので、妻が必要な時は一緒に乗って会社へ行き、帰宅は迎えに来てもらった。ニューヨーク州の北部に2年、南部(ニューヨーク州北郊外)2年に住んでいた時だけ、冬は時々雪が降り、朝外に駐車してあった車の雪を拂う必要があった。

日曜日だけは少し違っていて、妻がパンケーキを作ってくれて、それにカナダ産のメープル・シロップを掛けて家族で一緒に食べていた。ついでに日曜日に何をしたかというと、ノースカロライナ州では日本人同士で妻たちも一緒にゴルフをしていたし、ニューヨーク州では子供たちのめんどうをみるので忙しかったと思う。

 昼食は会社の大きなカフェテリアで食べた。ニューヨーク州北部でだけ、昼食時には同じ課のグループで食卓を囲み、食べ終わってもゆっくりといろいろなできごとを話し合うのが習慣だった。夕食は妻が作ってくれたが、時々は牛肉のステーキを外で私が作って食べた。大学院時代からの習慣で、確かアンカーがDan Ratherに変っていたCBSニュースをよく見たし、日曜日夕方はCBSの「60 Minutes」という深入り時事ニュースをよく見た。テレビといえば、ローリーにいるころは土曜日の夜C&Wバラエティー番組「Hee Haw」をよく見て、ここは本当に田舎だなあと思った。

 

米国・ハワイ島での一日

 

毎朝の日課:ハワイへ20157月から移住して来て2か月、退職後の毎日の過ごし方も決まってきた。毎朝の日課を書くと、朝は5時頃目が覚めるというか、以前から目覚めているが起床をする。早朝は少々寒いくらいなので長袖と長ズボンを着て、まずコナ・コーヒー豆(娘が勤めているMountain Thunderコーヒー農園のVienna Roastの豆)を適当な大きさの粉に挽いて、メリッタで丁寧に朝のコーヒーを大きな容器に娘の分まで作る。コーヒー用のお湯はこの家の男性どもがヤカンを電気コンロの上で空焚きしがちなので、業を煮やした娘が0.51.7 L入りのお湯を作れるFarberware社ガラス製(プラスチック製?)の沸かし器を買って来たのを使う。(2015.09.19.) 湯沸かし器が壊れたので、同じ会社の黒色のを買って、使い勝手が少し工場している。  (2016.09.20.)

 

パンをトーストして食べるが、パンはフランスパンでいいのがないのが悩みで、友人から時々貰うハワイの連邦政府WIC制度のLove’s Whole Wheat Breadか、COSTCOで売っているLa Brea BakeryLA)製のインド風のナンか、最近は同じくEinstein Brothers製のベーグル(ゴマ入り、シナモン入り、パルメジアン・チーズ入り)かをCOSTCOのブランド(Kirkland Signature)で売っているものを使うが、これをトーストして縦に半分に割ると焦げて堅い部分と内部の柔らかい部分を味わえて(シナモン入り、パーメジャンチーズ入り、ごま振りかけ3種どれもおいしい;KTAで売っているベーグルがまずい!)、ウズベキスタンのサマルカンド旅行や新疆自治区良好で食べたナンに似ていて、特においしい!パンには友人が飼っている蜂からのハチミツか、Philadelphiaクリームチーズ(Kraft社)を付けて食べる。こうしてパンとコーヒーで朝食を済ませて、続いて4~5種類のお茶から選んで作り、食後ゆっくり飲む。お茶は紅茶に近い「金駿眉」(福建省武夷山で買ったもので私は一番好き)、ウーロン茶の「観音王」(同、名称「鉄観音」は福建省安渓県以外では使えない)、野生の漢方薬茶の「金銀花茶」(同、孫たちは一番好き)、ちょっと古いプーアール茶の「六山円茶」(雲南省)、日本の静岡県牧之原産や掛川産の緑茶だ。 (2015.09.19.) (update on 2015.12.06.) COSTCOEnglish Muffinを売っているので、前から買ってみたかったが、ついにblueberry入りとalmond poppy入りを6個ずつ買って、甘すぎるがコーヒーとよく合うので、楽しんでいる。 (2016.09.13.)

 

次にパソコンでメールの処理をするが、時間があればハワイなどに関するこれから作りたい項目を集めてあるので、そこから選んでWikipediaに新項目のページを作り、頭の体操とみなさんの奉仕としている。5時半はまだ暗くて、5時45分ごろ段々明るくなり、神奈川県では夏は4時半には白み始めるのに、ここは背後の東側にフアラライ山(海抜2,521m)があり、ハワイは子午線の西にあり夏時間もない勢だろうと思うが、でも時々いつも見下ろす西側にもきれいな朝焼けが見えることもある。

 

娘も私に次いで早く起きてやはりパソコンで処理をして(何か色々とコーヒー農園のWebを改訂したり、インターネットで入ってくる注文の以上処理をしたり、他のアルバイトをしているのだろう)、その次に下の孫が起きて徐々に大騒ぎを始めて、上の孫は次週にしか学校が始まらないので自由に後で起き、女婿は通常前夜遅く帰るのでずっと遅くまで起きない。以前しばらくは、7時頃(忘れなければ)短パンツに着替えて、ラジオ体操を通常娘が付き合ってくれて(孫たちはラジオ体操がよく分からないので第一体操で一回、第二体操で二回ジャンプするところだけ参加することもある)iPadへ録音したものからやっていたが、8月中旬から学校が始まって朝は忙しいのでやっていない。8時から9時にかけて外へ出て近くの道(Holu Street)でジョギングしてくる。この辺りは山の斜面なので、アップ&ダウンがありジョギングには適さないが、突然の雨を冒しても、何とか1,500メートルくらいを目指しているといっても、その頃は背後のフアラライ山の上に太陽が出て、ジリジリと照りつけるので、いい汗を掻く。しかしここは海抜400500mくらいなので、昼間下界の海岸付近は熱くクーラーをガンガンつけるが、ここは比較的涼しいので家にクーラーはない。ジョギング後家へ帰ると、皿洗いをする。こうして朝は総じて、いままで日本でやってきたことを、多少変更して続けようとしている。 (2015.09.19.) Back FridayJawbone Upというインターネットも使う万歩計を買ってもらったので、毎日の目標を1万歩にセットして旧飛行場公園にあるジョギング用コースで走ったり歩いたり熱心に使っていたが、4か月目に失くしてしまい、また裏庭で農業を始めたらそれと近くの散歩で運動も十分になっている気がする。 (Update on 2016.04.22.)

 

昼の日課:退職後のハワイでは仕事をしていないので、毎日やることが違う。昼食はほぼ家で自分が作って食べる。よく中国家庭料理「西紅柿炒鶏蛋」(タマゴのトマト炒め)を作ったり、「楊州炒飯」(いろいろ入った焼き飯)を作ったりするが、午後人に会う時は最初にニンニクとショーガを油で炒めてから料理に入るのを控えめにする。街の図書館へはよく行くし、町のすぐ南にある旧飛行場公園の水泳プールへもよく行く。買い物は車で5分位のところにMatsuyama Storeというコンビニがあるが、値段が高いのでなるべく20分位かけて街中のKTAスーパーか郊外のCOSTOCOへ行く。場合によっては、街中のWalMart と少し郊外のTargetOfficeMax(事務用品)へは時々行くし、街中のSafewayと少し郊外のKmartMacy’sはめったに行かない。以前Border’s本屋が街中にあったが、数年前になくなってしまい、小さな本屋が少し離れたケアホウ・ショッピングセンターにあるKona Storiesだけになってしまった。 (2015.09.19.) Univ. of the Nationsの農園奉仕で農業の基本を習ったので、家の裏庭に3つの畑を作り、ブロッコリ、レタス、もらったニラの株を植えて、ヒマがあれば水をやったりしている。 (Update on 2016.04.22.)

 

週一回の活動は、聖書をアリイ通りでハワイ島一種のクルーザー船客へ配りに行き、ケアラケヘ小中学校でコナ合唱協会(Kona Choral Societyの練習が夕方6:00から2時間あり、日曜日の昼は自宅から40分位のところ(ケアラケクア)にある教会へ10:00の礼拝へ行く。 (2015.09.19.) ハワイへ来てから6か月目から、月・金の午前中はUniversity of Nationsの自然農園で奉仕をして、火・木の午前中は下の孫を親も参加する幼稚園へ連れていっている。 (Update on 2016.04.22.)

 

毎夕の日課:夕方は5時ころになると、夕食前に少し運動してくるかとなり、また近くのHolu Streetジョギングしてくる場合が多い。運動上がりは冷蔵庫から冷たいビール(Kona Beer)か、最近はビールを持て余してKikkomanの梅酒も(他に比べて半額!)、各種ワインもいい。酒の肴には、もっぱらポテト・チップス(Krinkle-cut potato chips – sea salt)かTortilia Chipsを食べている。後者にはCathee’s Kitchen(locally-made) Salsaをコストコで買って付けて食べているが、6層の黒豆&コティジャ(Rojo’s Classic Black Bean & Cotija Cheese Six Layer Dip)、ザジキ(Tzatziki)などもいい。

 

夕食は6時から7時の間で、この時期我が家からは南太平洋の日没が抜群にきれいだ。女婿はツアリスト・ガイドで午後に出て夜中に帰るので、夕食を一緒のことは少ない。私は食後に皿洗いをして、1ガロン入りの巨大な容器に入っているハワイ島製Homogenized Milkと書いてある牛乳(時々友人から分けてもらうWIC制度Non-Fatミルク)を小瓶に入れて前日作ったヨーグルト(日本から別の友人が持ってきた「カスピ海ヨーグルト」)から種を小瓶に移し、前夜からのヨーグルトを家族全体に配り、孫たちはメープル・シロップとライム汁、私は蜂蜜とライム汁で、ライム汁は教会の庭に落ちているライムを拾ってきていて下の孫と一緒に絞る。孫たちが寝る8時頃は、私も自分の部屋へリタイヤして、ハワイの午後3時ころから(中国の朝9時から)入ってくる微信(WeChatでの連絡を処理してから、寝る。(2015.09.19.)

 

 ハワイではテレビを見ていない。娘の家族と一緒にいて、子供が小さいのでテレビを置かない主義なのでそれに合わせているというか、ニュースはPBSラジオで聞くし、その他はインターネットで見る。春にメリー・モナーク・フェスティバルがある時だけはKFVEのインターネット・ストリーム放送があるので見るくらいだ。天気予報も毎日いい天気だから、見る気もしない。

 

アジア

中国・大連での一日

 

20019月から中国・大連へ移った。その14年の内3回引っ越したので場所により違うが、大体バスで2030のところにある会社へ通っていた。朝はバスが混むという理由で早く家を出て、大連ソフトウェアパークの数碼広場(ディジタル広場)8号館にある会社に着いて、朝食には近くのカフェテリア(1号館または16号館)で2~5元位の豆醤、餅子、塩菜(咸菜)を食べた。8時または8時半から仕事が始まり、インターネットで海外の企業へ連絡して大連へIT関係の子会社を作ってもらうのが主な仕事だった。

大連滞在の後半の朝食には、大連でもフランスパンが入手できるようになり、特に「Tasty精品味道」というチェーン店の西安路店(同じチェーン店でも他にはない)のがおいしくて、路面電車に乗ってよくそこへバタールbâtard)・フランスパンを買いに行き、4つに切って冷凍庫に保存して食べた。大連ではニセアカシアの花のハチミツを安く売っているが、本当に純粋ハチミツだろうかと疑問が生じてしばらく食べなかったが、自分のおじさんが長白山で椴樹(Chinese Lindenbaum)の花から採ってくれたハチミツを配ってくれる人がいたので、これをよく食べていた。というのは、オーストリアとクロアチアへ旅行した際に菩提樹(Lindenbaum)のハチミツを買っておいしかったので、その樹の中国の相棒の椴樹からハチミツを採っているのを夏に吉林省延辺朝鮮族自治区へ旅行した際に長白山付近で目撃しているので。

午前11時ころは腹が減って、昼食は近くのカヘテリアかレストランで10元位の弁当(スープ、ご飯、卵か肉炒め、野菜)を食べか、「吉祥ワンタン」専門店でもよく食べた。午後5時には残業なしにほぼ全員帰宅を始めて、家ではビールを飲みながら何か食べるものを作って、それで夕食にした。大連滞在の中ごろ教えてくれる人があり、いろいろと中国家庭料理を習ったがあまり身についていなくて、「西紅柿炒鶏蛋」(タマゴのトマト炒め)や「西紅柿牛肉」(牛肉のトマト煮)や「楊州炒飯」(いろいろ入った焼き飯)ならレシピ―をみなくても作れる。自分一人であるいは友人たちとレストランで食事をすることは少なかったが、毎週お客さんあるいは大連長野県人会などの集まりで飲んで食べることが多く、始めは政府関係の人たちとも大いに白酒を飲んだりしていたが、段々酒に弱くなり、もっぱらビールやワインにした。

夕食の時期にテレビもよく見た。毎月20元で、すべてケーブルで配信され、ローカル・チャンネル(大連電視台)で北京(中央電視台)からのニュースは7時から30分で、大連ニュースはその前の時期もあったし、その後の時もあって、やはり30分。外国人は毎月100元を払って特殊デコーダーを契約できて、外国テレビを20局ぐらいが見える契約だった。NHKのWorld Premium放送(世界のケーブル局向け)、CNN、BBC、France 2などで、イラク戦争の時にはよくCNNを見たし、NHKは都合が悪い話はブラックアウトされたし、またなぜかキューバ局は入っていたがロシア局は入っていなくて、多分もっと多い局の契約ならあったのだと思う。夕方6時に大連電視台で「今晩60分」という番組があり、2・3の話題を深く追跡するが、その番組(2007.10.04.)と日曜日昼直前の「東の風」という日本語番組(2004.08.08.、この番組は2014年以降中止)で、それぞれ10分位私の大連での仕事や生活を紹介された。

 

 

日本・長野県での一日

 

幼少のころ東京の爆撃を避けて、長野県北部に一家で過ごした。「これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺」と小林一茶が詠んだ村の隣村だったので、そのころは冬にはよく雪が降って積もった。晩秋になると野沢菜を小川で洗って、大きな樽に漬けて、冬中それと大根漬けを唯一の野菜にして食べた。味噌は毎冬に今年はどこの家でと近所の人たちが集まり、大豆を大釜で煮て、自分たちで作った。醤油は手に負えなくて、市販のものを買った。

 長じてもう50才台になってから、冬季オリンピックがあり、単身赴任で長野市に3か月住んだ。雪はもうそんなに沢山降らない時代に変っていたが、朝起きて雪が降っていると、外に駐車していた車の雪を喜んで払いのけて、冬を過ごした。

 

日本・東京での一日

 

中・高・大学時代は自宅に住んでいたので、朝夕食は家では母が作ってくれたものを食べていた。昼食は中学ではパンを買って食べ、高校ではウドンを買って食べ、大学では何を食べていたんだろうか、牧場を持っていた大学だったので牛乳がおいしかったのだけを憶えている。また、大学時代に初めてコカ・コーラを飲んで、ひどくまずいものと感じた!

 

日本・神奈川での一日

 

40才前後から、神奈川県藤沢市に住んでいる。1980年代、90年代をそこから市内は車で、大和、川崎、東京へは電車でウィークデイに勤務した。東京へ通った時期が長いように感じ、朝6時には起きて、6:30には家を出て、モノレール、東海道線または横須賀線で通った。

仕事を退職してからは、朝は近所の公園でラジオ体操をする日もあり、そのあと家の周り1.5キロくらいジョギングをする。7時頃の朝食はミルク、コーヒー、妻が作った食パンに近いものあるいは近くのパン屋で買ったバタール・フランスパン。 ...(続く)

 

日本・関西での一日

 

大学を出て社会に出て3年目に神戸へ転勤して、独身時代の3年位を阪急六甲駅近くのアパートに住んで、三宮の営業所へ通って過ごした。そのころのことはよく覚えていないが、会社が終るとセンター街にあるカントリー&ウエスタンの店で米国ナッシュヴィルのGrand Ole Opry演奏会にも出たことがあるバンジョー弾きから西部開拓時代の歌を聴いて軽く飲んだり、夕食に自炊したことはなく、アパートの近くにお好み焼き屋があり、そこのおばさんと娘さんが作るお好み焼きを啤酒も飲みながらよく食べていたことを憶えている。

 

 

 作品集目次へ戻る

ホームページへ戻る

 

Created by Yoshi Mikami on March 7, 2015. Updated on Sept. 13, 2016.

 

Followed Possibly by the Internet server company’s alien messages.